086 棘草〈ウルズィカ〉の棘
日が高くなり、隊商は川沿いの空き地で休憩のため、一旦歩みを止めた。サムエルが馬車を停めると、マルコはふらふらしながら馬車の側に座り込んだ。
隊商の一団が馬を休める間、サムエルが軽食を用意してくれた。ナッツの焼き菓子と棘草のお茶。甘い菓子と温かく爽やかな後味のお茶に、マルコの乗り物酔いも徐々に治まっていった。
手にした温かい飲み物を、ユーシャスは不思議そうにのぞき込んだ。
「マルコ、この飲み物は何?」
「棘草のお茶ですよ。そのへんに生えている雑草です」
「そうなの? でも、おいしい」
ユーシャスは菓子を頬張り、もう一口お茶を飲んだ。まるで夏の干し草のような香りとほんのりとした甘みが、馬車で疲れた体を優しく癒した。
食事の後は、皆思い思いの場所で休憩を取っていた。マルコは疲れたのか、馬車でぐっすり眠っている。ユーシャスはマルコを起こさないように、自分のマントをかけてやり、そっと馬車を離れた。手には細長い革の袋と、小さい紙片を持っていた。
一人、馬車を離れるユーシャスの後を、ディランは静かに追った。彼女は木や草を眺め、道端の小さな花に指先で触れた。徐々に、隊商から離れそうになるユーシャスに、ディランはそっと声をかけた。
「あまり、皆から離れない方がいい」
「すみません。つい、珍しくて」
ユーシャスは、道端の木を見上げた。
「珍しい? 木がか?」
ディランも、つられるように木々を見上げた。
「私の国に生えている木や草とは、どれも違っているので……。あれは何の木ですか?」
ユーシャスは、近くに生える木を指差した。大陸のあちらこちらで見かける、白っぽく細長い葉を持つ木であった。
「柳だろう」
「柳……」
そうつぶやくと、ユーシャスは革の袋からペンを取り出し、紙に『柳』と書いた。その横には、彼女の国の言葉らしきものが、続けて書かれた。
彼女は新しく知った言葉を、こうやって書き留めている。ディランはふと、母も同じことをしていたのを思い出した。
今度は緑色の蕾の塊を指差した。もう少ししたら、花が咲きそうだった。
「山多豆だろう。秋には紫色の実がなる」
「食べられるのですか?」
「食べられるが特に味はない。この辺りでは染め物に使われることが多い。……あまり好きな色ではないが」
ユーシャスは『山多豆』と書いた。
「これは?」
ユーシャスが緑の葉に手を伸ばそうとすると、ディランは素早くその手を掴み、葉から引き離した。
「触らない方がいい。刺草だ。葉や茎に棘がある」
「ウルズィカ? トゲ?」
ディランは、靴先で刺草の茎を押して見せた。よく見ると、葉や茎には細かい刺毛が生えていた。
「こいつが刺さると厄介だ」
「ごめんなさい。私……」
「貴女の国では、刺草はなかったか。他にも触らない方が良い植物はあるが……。見つけたら、また教える」
ユーシャスは刺草の言葉を、小さな紙片に書き留めると、指でなぞりながら、何度もつぶやいた。
まだ冷たさの残る風が、道端の小さな花を揺らした。
母もよく、覚えた言葉を紙に書きつけていた。大人になってから学ぶ共通語は、なかなか身につかないようだった。ディランが読み書きができるようになってからも、しばしば彼に言葉を聞いてきた。
ディランにとっては、それは疎ましいものであった。同じことを何度も聞かれることも、母が他の大人たちと違うように見えることも。
「それ、この前も聞いていた」
そう言った時の母の顔は、ひどく傷ついていた。
まるで、抜けきらない棘草の棘のように、その光景はいつまでも心に残っていた。
母はその生活の大半を、アルバストゥル領の城に籠って過ごした。訪ねてくる客人にも会わず、いつも窓辺に立ち、哀しげに東の空を眺めていた。
心待ちにしていたのは、年に一度のバルドの訪れ――。
ディランとユーシャスは、その場を離れ、馬車へと向かった。ふたりが戻ると、マルコが恨めしそうな顔で、馬車の帳から顔だけ出していた。
「どうしたの? マルコ」
マルコが寝ている間に馬車を離れたので、拗ねているのかと思ったが、どうもそうではなさそうだ。
「お尻が……」
マルコは、涙目で訴えた。
「お尻?」
ユーシャスとディランは、顔を見合わせた。
「さっき草むらでしゃがんでから、ずっとお尻がヒリヒリするんです!」
下衣を降ろしながら見せたマルコの尻は、水ぶくれができ、真っ赤に腫れていた。
「サムエル!」
ディランに呼ばれたサムエルは、何事かと顔を見せた。
「マルコの尻に刺草の棘が刺さった」
サムエルは一瞬、目を丸くして、次の瞬間には笑顔になった。笑い声が聴こえないのが、不思議なくらいの笑顔だった。サムエルは石鹸と手拭き布を持ってくると、マルコを肩に担ぎ川の方向へと歩いて行った。
「……私も、気をつけます」
ユーシャスは恥ずかしそうに、腰に手をやった。




