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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十四章 辺境の旅
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084 隊商

 チルケの町外れ。冷たさを残した春風が、空になった木桶をカラカラと転がしていた。馬のいななきが時折響く静かな一角に、その隊商宿は建っていた。赤褐色の煉瓦で積まれた三階建ての建物は、昼の日差しにあたたかく映え、町の中でもひときわ目を引く立派な造りだった。


 ユーリが玄関の呼び鈴を鳴らすと、屈強な男が扉を開けた。どうやら顔馴染みのようで、すぐに中へと通された。


 館は中庭式で、石畳の中央には旅の神(カラトール・イシュト)の小さな祠が鎮座している。中庭の片隅には、幌をかけた荷馬車が十台ばかり並び、その脇では商人や従者たちが談笑していた。


 そのざわめきの中を縫うように歩きながら、ユーリは一人の男に声をかけた。小太りで口ひげを蓄えた、いかにも商売人といった風貌の中年男だった。


「ドナートさん。この度は、ディルムラートへの同行を許可していただき、ありがとうございます。こちらのお二人は、我が商会主の客人です。くれぐれも、ご丁重に。……そしてこちらは、私どもフェルディナンド商会の見習い候補です。道中、勉強させていただければと」


 中庭では、それまでの賑やかさが一瞬にして消え、エル・カルド人の若者と東国人の若い女性に、すべての視線が集まった。


 貴族や名士が隊商に加わること自体は、さほど珍しくない。ただし、彼らは大抵、従者や荷物を大勢引き連れてくるものだ。しかし、今回の“客人”はたった二人。従者に見える少年ひとりを連れているだけである。


 客人に慣れた彼らであっても、この二人には注目せざるを得なかった。中庭のあちこちから、ざわめきが聞こえてくる。


『エル・カルド人……』

『魔道……』


 どこからともなく聞こえてくる声に、ユーシャスは不思議そうに辺りを見回した。ドナートはユーリにそっと耳打ちした。


「ユーリさん。エル・カルド人なんて大丈夫かい? 変な術とか使ったりしないだろうね」


 するとユーリは、わざと大きな声で笑い飛ばした。


「ドナートさん、まさかエル・カルド人が魔道を使うなんて、本気で思ってるんじゃないでしょうね? この方だって、そんなもの使えるはずがありませんよ」


 そして、ドナートの耳元でささやいた。


「あの方は、先ほど町で暴れていた連中を、たった一人で捕らえてくれましたよ」


 ドナートは目を見開き、ディランを見た。宝石のような孔雀色の瞳に、雪のような白い肌。長い黒髪に彩られたその顔は、剣士というには美し過ぎた。


「い、いや。そうですか。それは……申し訳ない」


 ドナートは卑屈な笑みを浮かべ、頭を下げた。

  

「私は彼女の護衛だ。ディルムラートまで世話になる」

「これはこれは、護衛の方が増えるとは心強い」

「私が守るのは彼女だけだ。隊商の守りはそちらでやってくれ」


 突き放すような口ぶりに、ドナートは肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。そして、ユーシャスへと視線を移す。小柄な東国人の娘は、素直で御しやすそうに見えた。ドナートは、にやけた顔で、ユーシャスの顎に手をかけた。


「これはまた、かわいらしい。フェルディナンド商会の新しい売り子かな?」

「ドナートさん! その方は……」


 ユーリが声を上げた瞬間、無機質な音とともにドナートは首筋に冷たい物を感じた。ディランの剣が、ドナートの首に当てられていた。


「その手を離せ」


 静かだが有無を言わせぬ一言に、ドナートは慌てて手を引き、飛び退いた。


「ドナートさん。この方は、当商会の客人です」

「そうでした……これは、失礼を」


 ドナートの態度は、“客人”に対する非礼というより、“東国人”を軽んじたものであった。


 布地を売る商人の中には、東国から仕入れた絹を売るために、東国人を店先に立たせる者がいる。そういった東国人の大半は、言葉をまともに話すこともなく、素性もはっきりしない者たちである。布地を扱うドナートにとって、“東国人”というのはそういう人々であった。

 

 ユーシャスは、ドナートの顔を見て笑みを浮かべた。ドナートの行動の意味を理解しているのかいないのか、それはあいまいな笑顔であった。


「ディルムラートまで、お世話になります。わからないことばかりですので、いろいろ教えていただけると助かります」


 ドナートは、ユーシャスが機嫌を損ねた様子のないことに安堵し、彼女の話す共通語(コムナ・リンガ)に驚いた。


「いや、これは見事な共通語(コムナ・リンガ)ですな」

 

 事実、その発音は美しく、言葉遣いにも品があった。


「私ども以外に、今回こちらの商人たちが、一緒に隊商を組みます。こちらがイラーリオ商会、こちらがウリッセ商会」


 ドナートの紹介で、それぞれの商人が挨拶をした。どちらも、極力関わり合いにならないよう努めているように見えた。


 紹介が終わると、ユーリは中庭に用意した馬車へと案内した。四角い木箱を荷台に載せたような馬車は、中に椅子代わりの木の板が左右に据えられており、馬車の前後と窓には革製の(とばり)がかけられている簡素なものであった。


 豪華な馬車を避けたのは、盗賊から目をつけられないようにとの配慮であった。その横には、身体の大きな男が一人立っている。ユーリは男の肩に手を置き、振り向かせた。


「サムエルです。フェルディナンド商会の御者です。話すことはできませんが、こちらの言うことはちゃんとわかっています。お二人の荷物は、すでにサムエルが部屋へ運んでいます」


 サムエルは、波打った黒髪を丸く後ろでまとめ、日に焼けた優しい笑顔を見せた。身体は大きく立派だが、武器は帯びていなかった。


 商人にとって、口が利けない者は重宝される。秘密が漏れないという意味で、彼ら以上の存在はいない。


 サムエルはマルコを見ると、ぽんぽんと頭を軽く叩いた。マルコは、子供扱いされたのが気に入らないのか、少し口をとがらせた。


 その後、ユーリは泊まる部屋へと案内した。今日は、この隊商宿に泊まり、明日の朝に発つとのことである。


 部屋は三階で、中には立派な暖炉や文机、天蓋のついた寝台と使用人用の寝台があり、続き部屋には洗面や木の風呂桶もあった。隊商宿の中でも、裕福な商人や貴賓が泊まるための部屋である。マルコはきょろきょろと部屋中を見て回った。


「すごい部屋ですね。僕が辺境に来た時は大部屋でしたよ。サムエルさんは、どこに泊まるんですか?」


 マルコは、箱のような使用人用の寝台を見つけ、飛び乗った。


「サムエルは、他の使用人たちと一緒の二階の大部屋です。お前は、ちゃんとお二人のお世話をするんですよ。そのために、一緒の部屋にいるんですからね」

「はい、ユーリさん」


 ユーリは、そっとマルコの耳元に手を当て、ささやいた。


「いいですか、お二人の寝台は必ず距離を開けて、衝立を置きなさい。何ならお前の寝台を間に置きなさい。それから、洗濯は必ず女中に頼むのですよ。それから……」


 ユーリは、娘を持つ父親として、マルコに覚え切れないほどの注意を授けた。

 

 その後、隊商宿について一通りの説明をすると、ユーリは、その日のうちにクラーリク村へと帰って行った。


 翌朝、春の風に乗るように、隊商はディルムラートへと旅立った。

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