076 一難去って
朝早くから、エル・カルドの城内は騒然としていた。外では、衛兵が慌ただしく動き回り、馬が出て行く音が聞こえてきた。その音を寝床でぼんやり聞いていたシルヴァは、父親であるマイソール卿に叩き起こされた。
「何だよ騒々しい。もう少し寝かせてくれよ」
自分の部屋の寝台は、ふわふわとして温かい。できることなら一日中、このまま横になっていたかった。昨日は流刑地での疲れが出たのか、一日中眠り続けていた。
夜になり、流刑地での出来事を父親に話しただけで、またすぐ眠りについた。なかなか疲れが取れなかったが、侵攻で混乱に陥っている国の中で、ゆっくり寝ている訳にもいかないかと、夢うつつで考えていた。
「馬鹿者、起きろ! 大変なことになった」
「何だよ……」
この地が侵攻を受けたこと自体、『大変なこと』なのに、さらに何が起こったというのか。シルヴァは、あくびをしながら、渋々体を起こした。
「アルトが、いなくなった」
父親の言葉に、シルヴァは口を開けたまま動きを止めた。
「……どういうことだよ。葬儀までは城に安置してあるはずだったんじゃないのか?」
「どうやら自分で歩いていったらしい」
「……冗談だろ? 親父」
シルヴァの、ぼんやりとしていた頭が一気に目覚めた。
「冗談ではない。見た者がいるのだ。死に装束を身に着け、裸足で歩いていく少年の姿を」
「……まさか」
「その、まさかだ」
シルヴァはあからさまに嫌な顔をした。
「やめてくれよ、そういうの苦手なんだ。夜眠れなくなる……それは誰が見たんだ? 酔っぱらいの戯言じゃないだろうな?」
「いや、町の外を見廻りしていたローダインの兵士たちが見たのだ。それに、目撃者は一人ではない。アルトは東の方角へ向かったらしい」
「まさか、俺に追いかけろとか言わないよな」
「バカ者。お前にそんな暇があると思うか。アルトの行方は、ローダインの兵士に捜してもらうしかあるまい。儂は、ミアータの様子を見てくる。アルトの事で辛いのは分かるが、国がこんな時だ。七聖家の務めは果たさなきゃならん。第一聖家には、ミアータしかおらんのだから。お前は、家で来客の応対をしろ」
父親の言葉に、シルヴァははっとした。
第一聖家に、ミアータ夫人の子供はアルトしかいなかった。そのアルトが亡くなった以上、この先、第一聖家を継ぐのは誰になるのだろう。
現時点で血縁のあるものは、ミアータ夫人の妹の子であるウィラードだけだ。だが、ここの大人たちは、それを望んでいない。そうなると、彼らは何らかの手段で、第一聖家の血筋の者を捜してくるのだろうか。
シルヴァは身支度と朝食を済ませると、居間で何をするでなく座っていた。昨日、一日寝ていたのに、何故か疲れが取れなかった。
(年かな……)
最近、身体の疲れが取れにくくなったような気がする。こういう時は子供の頃、親父に教わった……。
「よし、あれを作るか」
シルヴァは調理場へ行き、材料の在庫を調べた。矢車菊、香水薄荷、蜂蜜に漬けたベリー類、干しイチジク、チャイブ、大蒜、ヤギの乳、その他適当に季節によって手に入るもの。牛の生肝はなかったので、それは諦めた。
作るのは、第六聖家秘伝の飲み物。
元は、薬草師である第五聖家に、代々伝わるものだったらしい。それを第五聖家出身の母が作り、母亡き後は父親が自分好みに配合して飲んでいた。もしかすると、原型を留めていないのかもしれないが、シルヴァにとっては数少ない家族三人の記憶であった。
以前、砦でディランに飲ませようとして、調理場への出禁を喰らった。あれは、そんなに怒られるようなことだったのだろうかと、シルヴァは不満だった。
(あいつは食い物に神経質過ぎる)
シルヴァは、ぶつぶつ言いながら、すり鉢を引っ張り出した。そこへ刻んだ材料を放り込んでいると、年配の使用人が来客を知らせに来た。
玄関へ行くと、ローダインの援軍の部隊長だという男が、通訳を伴い待っていた。彼らは、城内に入るに当たり、鎧も武器も外し、平服にマントという姿でやってきた。彼らなりの、七聖家への敬意の表し方なのだった。部隊長は、シルヴァが共通語を話せるとわかると、胸をなで下ろした。
彼らは、フォローゼルによって晒されていた、男の首を回収したと報告にきた。あれがあったせいで、町の人間は誰も外へ出ようとしなかったそうだ。
その後、町の被害状況を調べているようだが、警戒されているらしく、調査はあまり進んでいないと話していた。ローダインから移住してきた人々に話は聞いたものの、被害の全容が掴めず困っている様子だった。
元からのエル・カルドの住民と、ローダインからの移住者とは、必ずしもうまくいっているわけではないのだった。
町の被害状況の調査については、後で自分が協力すると言うと、部隊長は感謝しながら帰って行った。勝手に返事をして、また父親にどやされるとも思ったが、まあいつものことかと玄関を後にした。
調理場に戻って材料を潰し、混ぜていると、また来客の知らせが来た。第一聖家からだというので、居間に通させた。出来上がった秘伝の飲み物を手に居間へ行くと、そこに座っていたのはウィラードだった。シルヴァは目をしばたいた。
「どうした? 親父がアルトのことで、そっちへ行ったかと思ったんだが」
「うん。マイソール卿なら来られているよ。今のうちに、シルヴァに会っておこうと思って……」
「何かあったか? ――あれ、ずいぶん顔色がいいな」
エル・カルドへ戻ってから、ウィラードはよく眠れていた。夢にうなされることも無くなり、まるで憑き物が落ちたかのような、明るい表情になっていた。
「うん。ここへ帰ってきてから、あの変な夢は見なくなって……。ごめん、シルヴァ。流刑地では、おかしなことを言ってしまって。僕はどうかしていた。皇弟子の身でありながら、あんな無責任な事を口にして……。僕は決して、エル・カルドに居ることが嫌なわけじゃないから」
流刑地で吐き出した言葉は、おそらくウィラードの本心なのだろう。そして皇弟子として、求められる役割を果たしたいという気持ちも、また本当なのだろう。
「いや。俺は、ウィルの本心が聞けて良かったよ。俺もそろそろ腰を据えて、親父の手伝いでもしなきゃなと思った」
「じゃあ、もう旅には出ないの?」
「自信はないけど……。ウィルの聖剣の儀をどうするのかも決めないとな。今はまだ、それどころではなさそうだけど。あ、そうだ。ウィルも、これを飲むか?」
シルヴァは、ドロドロとした紫色や緑色の物体が混じり合ったコップを、ウィラードに見せた。
「シルヴァ、何? これ」
ウィラードは思わず手で鼻を押さえた。
「うちの秘伝の飲み物。疲れが取れるぞ」
コップからは、お世辞にも良い匂いはしなかった。シルヴァの作るパンも料理も、どれもおいしいものであったが、こればかりは口にする気になれなかった。
「……僕は、そんなに疲れてないから」
「そうか。やっぱり若いな」
シルヴァはコップの飲み物らしきものを、一気に飲み干した。大蒜の匂いが、ぷんと辺りに漂った。
ウィラードがエゼルウートの宮殿にいた頃は、食事にチャイブや大蒜が出されることはなかった。人と会う機会の多い王族の人々は、匂いのきつい食事を避けるようにしていた。ウィラードもまた、そういったものを口にすることはなかった。
チャイブも種類によって、有毒である植物と似ているため、宮殿に食材として持ち込まれることもなかった。シルヴァの様子を見ていると、ここでは毒殺や事故の危険など、まるで念頭にないように思えた。
昔のように魔道が生活の中にあったなら、確かに毒の心配などいらなかったのかもしれない。




