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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十二章 辺境の村
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075 旅の支度

 ユーシャスは東国の文字で綴られた書き付けを、すぐに共通語(コムナ・リンガ)に訳し、祈るような面持ちでユーリに手渡した。


 ユーリはそれを丁寧に畳んで懐にしまうと、今度は大きなチェストを二つ、テーブルの横へ並べた。中には服や浴衣(よくい)、ブラシ、石鹸、その他日常的に使われる品々が収められていた。

 

「こちらがディラン様のチェスト、そしてこちらがお嬢さんのものです。それぞれ服と日用品をそろえてあります。店の女中に用意させたので中身に間違いないとは思いますが、足りないものがあれば途中の市場(タルゴ)で調達して下さい」


 自分がすっぽり入りそうなほど大きなチェストを前に、マルコは不安げに尋ねた。


「ユーリさん……このチェストは、僕が運ぶんですか?」

「マルコ、心配いりませんよ。移動は馬車ですし、荷物は御者が運びます。お前が持つのは、これですよ」


 ユーリは一本ずつ布にくるまれた銀のスプーンとフォークを三本ずつ革の袋に入れ、マルコに手渡した。


「道中で使う銀製の食器です。高価なものですから、扱いには十分気をつけるのですよ」

「銀製……!」


 マルコは目を丸くした。これまでそんな高価な食器など使ったことはなかった。そして、銀食器を使うということは、毒殺を警戒するということだ。これから食事のたびにそんな思いをするのかと、マルコの腹は少しだけきゅっと縮こまった。


 ユーリはユーシャスのチェストを開け、漂白されたヤギ革の靴と柔らかそうな長衣を取り出すと、周囲に衝立てを立てかけた。

 

「さあ、お嬢さん。今着ている服の上からで構いませんから、この服と靴を合わせてみて下さい。マルコ、手伝って差し上げなさい」

「はい、ユーリさん」


 マルコは嬉しそうに、勢い良くチェストへ駆け寄った。ユーリとディランは衝立てから離れ、テーブルに着いた。ユーシャスは靴を履き、東国風の上衣を脱いで衝立てに掛けた。そして着ている服の上から用意された長衣を羽織ってみた。ゆったりとした長衣は少し大きく見える。


「これでいい?」


 ユーシャスは長衣の裾を拡げて、マルコに見せた。

 

「ユーシャス様、まだですよ。上からチュニックを着て帯を締めるんです。それは夜着です。チュニックはこっちで……それはお風呂に入る時に着るものです」

「え? お風呂に服を着て入るの?」


 衝立ての向こうでユーシャスとマルコは、話をしながらチェストをごそごそかき回している。その様子をうかがいながら、ディランは小声で言った。

 

「ユーリ、女の傭兵はいなかったのか?」


 ユーリは肩をすくめた。


「このご時世、女性の傭兵どころか傭兵そのものが不足しておりまして……。マルコには姉も妹もいますし、女性の世話には慣れています。私どもがお手伝いするのも差し障りがありますので」


 ディランは不満げではあったが、事情は理解していた。フォローゼルの侵攻以降、旅をする商人たちが警護を増強しているのだった。ユーリが傭兵の調達を無理だというのであれば、そうなのだろう。


「できましたよ」


 マルコが手を引いて、ユーシャスを衝立ての前まで連れてきた。ユーリが用意したのは、裕福な商人の娘が旅に着けるような装いであった。


 くるぶしまである長衣の上に、大きな袖のチュニックを羽織り、腰には細い帯が結ばれている。道中、洗濯できるよう綿ではあったが、柔らかく軽い肌触りは上質なものであると感じられた。ユーシャスは、長衣の裾を両手でふわりと持ち上げた。


「あの……こんなに立派な服を用意していただいて……」


 ユーリは立ち上がり、満足げに微笑んだ。

 

「よくお似合いですよ。隊商では、フェルディナンド商会の客人として同行していただきます。あまりに貧相な装いでは、却って怪しまれます。それに、今着ておられる服も、なかなか良い物ですよ」

 

 そう言いながら、ユーリは別の包みを開け、フードのついたマントを取り出してユーシャスに羽織らせた。


「旅の途中、東国人を見たことがない者もいるかもしれません。不愉快な思いをされることもあるでしょう。顔を隠したい時は、これを」


 ユーシャスは背中のフードに手を伸ばし、そっと頭に被ってみた。


「何から何まで、ありがとうございます」

 

「それから、お嬢さん。これは娘を持つ父としての忠告です。旅というものは、とても危険なものです。いくらディラン様がいるとしても、常に傍にいられるとは限りません。男が立ち入れない場所もあるでしょう。ですから、自分で自分を守ることも必要です」


 ユーシャスは何度もうなずいた。


「どんな時でも、まずご自分の命を優先して下さい。残念ですが、他人(ひと)の命は後回しです。時には、目の前の人間を見捨てる必要があるかもしれませんが――そういう世界だと割り切って下さい」


 ユーリの言葉は、厳しくも温かいものであった。


    ◇          ◇

 

  夜遅く、国境近くの小さな村の神殿では明かりがともり続けていた。蝋燭の揺れる祭壇の間では、男の叱責する声が響き渡った。


「申し訳ございません……」


 男装の女は、薄暗い祭壇の前にひざまずいたまま、顔を上げられずにいた。

 

「娘一人捕らえられず、配下を失い、おめおめと戻って来るとはな。おまけに娘を見失ったと?」

「思いがけず、邪魔が入りまして……」

「言い訳などよい。もう下がれ。この件は他の者にやらせる。路頭に迷うお前たちを、拾ってやったというのに」

「どうか……どうかもう一度、機会をお与えください。ネイリウス様……」


 “ネイリウス”と呼ばれた壮年の男は何も答えず、神官の白い長衣を翻してその場を後にした。残された女は、ひざまずいたまま、血が滲むほど唇を噛んだ。


「お嬢、気にすんな。あのおっさん、早いとこロクスファントへ戦果を持ち帰りたいだけだ」


 若い男が神殿の入口から声を掛けた。女は立ち上がり、幼馴染の男の元へと歩み寄った。女のくすんだ金髪が背中にこぼれ、暗く青い瞳は落ち着きなく男から目をそらした。


「ザザ……私が甘かった。娘一人と侮った」

「いや、策は悪くなかった。今回は相手が悪かっただけだ。あんなの相手じゃ、俺でもやられてた」


 ザザは森で見た男の鮮やかな剣筋を思い出した。人を斬ることに慣れた、何のためらいもない剣だった。


 女もまた思い出していた。冷徹な孔雀色の瞳、長い黒髪――血にまみれてなお美しいその姿に、思わず目が離せなくなっていた。そして、そう思う自分にも腹が立った。

  

「ザザ。あの男は誰だ?」

「エル・カルド人のようだが、それにしちゃローダインの戦士みたいな風体だったし、剣も達者だった。あの見た目だ、調べりゃすぐわかる。どうする、追うか?」


「当然だ。このまま引き下がれるか!」


 ザザは少しためらいながら、口を開いた。


「お嬢……あの男は何か嫌な予感がする。手を引くなら今だ。お嬢一人くらい、俺が――」

「ザザ。本気で言っているのか?」


 女は冷ややかな目で男を見据えた。男の決死の言葉など、女の耳には届いていないようであった。


「こんな稼業、お偉いさんのいいように使われるだけじゃないか。そもそもお嬢の家が没落したのだって、イリス様が……」

「黙れ、ザザ! お前に何がわかる。 ……くそ、あの男……殺してやる」


 女は自分の親指を強く噛んだ。男は、諦めたように首を振った。


「わかったよ、モーガン。好きにしな」

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