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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十二章 辺境の村
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074 ディルムラートへ

 ユーリが、ディランの手紙を持ち馬車で出て行くのを、マルコは張り切り見送った。


 外はすっかり靄も晴れ、村の人々が仕事に勤しんでいた。ユーリは隣町へ行くため、夕方まで帰らない。今日は休業とはいえ、自分がこの店を任されているのだ。それに、このふたりの客人の世話も。


「マルコ。彼女に寝る所を用意してくれ」

「はい。ディラン様」


 マルコは、かまどから燃え木を半分掻き取り、火桶に入れると、元気よく二階に駆け上がった。

 

「いえ、私はここで」

「昨夜は、あんな場所で眠れなかっただろう。少し寝た方がいい。私も寝る」


 ディランはユーシャスを連れて、木の階段を上った。マルコは、ガタガタと音をたててながら客室を整えていた。


「ユーシャス様、どうぞ。ゆっくり休んでください。部屋に火桶を置いていますから気をつけて下さい」

「ありがとう、マルコ」


 ユーシャスが部屋に入ったのでディランは階段を降りようとした。だが、マルコの足音がしない。振り返ると、マルコは部屋の扉の隙間から中の様子をうかがっていた。ディランはマルコの襟首を掴み、階段の下まで引き摺り下ろすと、苦々しい顔で見下ろした。


「何をしていた」

「え? 何って、困ってらっしゃらないか見ていただけですよ」


 マルコは、きょとんとした子供らしい顔でディランを見返した。

 

「のぞくんじゃない」

「ディラン様。僕みたいな()()()()()子供相手に、心配し過ぎです。――でも、お人形みたいにかわいい方ですね。鼻も口もちっちゃくて……」


「それが、いたいけな子供の言うことか? 色気付くには、ちょっと早いんじゃないか?」

「これくらい、僕の町では普通でしたよ。だいたい、いい歳して恋人の一人もいない人に、そんなこと言われたくな……い、痛い……」


 ディランは、両方の拳でマルコのこめかみを、ぐりぐりと締め上げた。普段なら聞き流す言葉だったが、今日はやけに気に障った。


「ご、ごめんなさい」

「『申し訳ありません』だ」

「も、申し訳……ありません」


 マルコの観念した様子を見て、ディランは拳を緩めた。


 マルコは逃げるように、洗い場で食器を洗い始めた。こめかみのぐりぐりは少し痛いが、マルコにとってはお約束の範疇であった。


 手加減されているのはわかっていたし、子供相手に本気で折檻する人ではないこともわかっていた。本気で鞭を振るう大人を知るマルコにとっては、ただのお遊びだった。


 マルコはユーリに連れられて、よく砦を訪れていた。故郷に子供を置いてきている者も多く、マルコが行くと砦の兵士たちは喜んだ。


 マルコの仕事は、ユーリが商談している間に書類にサインをもらってくることであった。何の書類かはわからなかったが、ディランのところへもよくサインをもらいに行った。


 帰り際には、誰かが何かしらの食べ物をくれるので、マルコにとっては楽しみな仕事であった。時折おふざけが過ぎ、こめかみにぐりぐりを食らうことはあったが。

 

 食器を洗い終え、かまどで手を暖めようと部屋へ戻ると、階段脇でディランが椅子を並べて横になろうとしていた。


「ちょっと、ディラン様! こんな所で寝ないでくださいよ。二階には僕の寝台も、ユーリさんの寝台もあるんですから、そこで寝てください」

「ここでいい。マルコ、今日は誰が来ても扉を開けるな。いいな」


 ディランは横になるとマントを羽織り、あっという間に寝息をたて始めた。


「あのー……ディラン様? せめて、その血だらけのマントを……」


 マルコは、目を閉じるディランの顔をのぞき込んだが、起きる気配はない。仕方なく馬の背に掛けていた毛布を持ってくると、マントをそっと剥がし、毛布を掛けた。見ると長い黒髪が、椅子の間から床に届いていた。


「あのー……ディラン様? 髪が床を掃いてますよ」


 やはり起きそうにない。顔をのぞき込み「無駄に長い睫毛だな」とマルコは思った。


「この部屋掃除しますよ。そこ、一番邪魔なんですけど」


 まるで反応のないディランを前に、マルコはため息をつき、洗い場の桶にマントを放り込んだ。本当なら今日は、パン屋の隣にある浴場で風呂に入れるはずであった。


 村では三日に一度、パンが焼かれる日に石窯の熱を利用した蒸し風呂を使うことができる。娯楽の少ない辺境の村では、ささやかな楽しみであったが、今日はそれも叶わなそうであった。仕方なくマルコは、家の中の掃除を始めた。


 何事もなく時間は過ぎ、穏やかな午後の光が傾いて行った。

  

 ユーリが馬車に荷物を積んで戻って来たのは、夕食の時間を迎える頃であった。ユーリは大きなチェストを二つ、順番に室内に運び込んだ。


「手紙は手配してきましたのでご安心ください。それからディルムラートまでの道中も整えてきました。ちょうど商業自治州まで行く隊商がありましたのでそれに同行してください」

「隊商?」


 ディランは怪訝そうな顔をした。


「はい。フォローゼルの侵攻の影響で、この辺は一気に治安が乱れているようです。こういう時は、どの隊商もできるだけ固まって旅をします。しばらくは、女性を連れて単独で旅をするのは控えられた方がよろしいかと。それからマルコ。お前も、おふたりと一緒に行きなさい」


 ユーリの言葉にマルコの顔がぱっと輝いた。

 

「待て、なぜマルコがついてくる」

「お供の方もいらっしゃらないようですし、女性とおふたりきりの旅は、さすがにマズいでしょう?」

「私が、ふたりも面倒をみるのか?」


 マルコはむっとして、立ち上がった。

 

「何言ってるんですか。僕が、おふたりの面倒をみるんですよ。任せてください。僕は前に、ディルムラートからここまで旅をしているんですから」


「おふたりのお世話だけではありませんよ。他の商会の人たちとも上手くやるんですよ。マルコ。この旅での働き次第で、正式に見習いとして認められますよ」


「本当ですか、ユーリさん」

「ただし、掛け算はちゃんとできるようになること」

「はい。ユーリさん」


 マルコは元気よく答えた。

 

「ユーリ。お前はどうするんだ」


 ディランの言葉に、ユーリは思わず顔がほころんだ。


「私はですね……長年、異動願いを出していたのですが、この度無事、妻と娘のいるディルムラートへ戻ることを許されました。砦での取り引きが無くなったので、本店へ戻れという事で……。私は後任者に引き継ぎをしてから向かいますので、先に行っててください」


 ユーリは、こみ上げる喜びを無理矢理抑え、ユーシャスに話しかけた。


「そういえば、お嬢さんはラサリットから来られたそうですが、ご家族がよく船に乗ることを承知されましたね」


 ラサリットの船はよく沈むと、商人の間では有名だった。危険から逃れるためとはいえ、そんな船に娘を乗せなければならなかった家族の気持ちを思うと、ユーリは気の毒でならなかった。

 

「家族は知りませんので」


 さらりとした口調で放たれたユーシャスの言葉に、ユーリは目を見開いた。


「知らない? 知らないとはどういうことですか? まさか、黙って来られたのですか?」


「はい。私は巫女になる時に家族との縁は切っています。私が死んでも家族には伝わりませんし、家族が亡くなっても私には知らされません。還俗したことも、おそらく家族は知らないままです」


「……それは……酷い。娘を持つ父親としては、信じられません」


 ユーリの顔はみるみる曇った。娘と離れて暮らすだけでも辛いのに、その娘の生死すら知らされないなど、ユーリには到底受け入れ難いことであった。


「でも、そういうものですから。それに、家族とはもともと疎遠で……。両親は地方の領地の管理で家を空けていて、幼い頃から年に数回しか会えませんでした。祖父母に育てられましたが、孫を可愛がるような人たちではありませんでしたし、姉も……。私は家族にとって、死んだも同然の人間ですから」


 ユーリは思わず、服の袖で目頭を押さえた。


「でも、あなたは生きていらっしゃる。私は娘と離れて暮らしていますが、一日でも娘のことを忘れたことはありません。これからは、私どもを頼ってください。あなたはもう、一人ではありません」


「ありがとうございます。でも、そんな泣いていただくほどのことではありません。私はむしろ、機会があれば大陸へ行ってみたいと思っていましたから」

「本当ですか? でも、なぜ?」


 ユーシャスは懐から折りたたんだ紙を取り出し、テーブルの上に広げた。そこには異国の文字がぎっしりと書き込まれ、その多くには線が引かれ、消されていた。


「これは?」

「大陸から私の国に、船で流されてきた方の名前と出身地です」

「流されて? 嵐ですか?」

「はい」

「ラサリットに、大陸の人がいたのですね」


「はい。多くではありませんが、毎年何人かは流れついてこられます。神殿ではそうした方々をお世話していました。けれど、亡くなられる方も多く、帰りたくても帰れない方も……。大陸に残してきた家族へ、せめて消息をお知らせできればと、ずっと思っていました」


 遠い異国に流され、そのまま亡くなった者。あるいは、『ラサリットの悪船』に乗る決断ができず留まる者。多くが、大陸に家族を残していた。


「私は、神殿で一生を終えるものと思っておりましたので、私にとっては願ってもない機会でした。ただ、聞いた出身地がどこなのかわからなくて……。消してあるのは、フォローゼルで消息をお伝えできた方です。まだ何人かは残っています。この方たちは帝国領の方々ではないかと言われました」


 ユーリは異国の文字をじっと見つめていたが、にっこりと微笑んだ。


「お嬢さん、これを共通語(コムナ・リンガ)に書き直していただければ、お力になれるかもしれませんよ」

「本当ですか?」


「商人は大陸中どこへでも行きますから、知った場所もあるでしょう。旅の途中、立ち寄れそうな場所でしたら、ディラン様もついて行ってくれますよね? ディラン様」


 ディランは、静かにうなずいた。

 

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