073 村の朝食
食卓の準備が整うと、ユーリは、椅子に座りながら眠るユーシャスに声をかけた。ユーシャスは、しばらくぼんやりとしていたが、食卓に並ぶ料理を見て、慌てて立ち上がった。
「申し訳ありません。お手伝いもせず……」
「お客様に、そのようなことはさせられません。さあ、食べましょう」
「すごい! 今日は、朝からごちそうですね、ユーリさん」
マルコは興奮気味に席に着いたが、ユーリは余計な一言に苦笑いをした。
「マルコ。お客様が先ですよ」
ユーリに注意され、マルコは立ち上がってユーシャスの椅子を引いた。ユーシャスが席に着くと、マルコは待ち切れない様子で、手紙を書くディランをせっついた。
「ディラン様。冷めちゃいますよ。早く来てください!」
「もう終わる」
ディランは封蝋した手紙を二通、文机の上に置くと、テーブルについた。ユーリは、ユーシャスとマルコには蜂蜜湯を、ディランと自分には熱いお湯で割った葡萄酒を用意した。
湯気の立ち上るスープは身体を温め、食欲を促した。どっしりとした丸い黒パンは香ばしく、手で割るとこちらも湯気を上げた。四人は黙々と食べていたが、木の実の蜂蜜漬けに手が伸びる頃、ユーリが口を開いた。
「お嬢さん。お仲間のことは残念でした。これから、あなた様自身はどうなさるおつもりですか?」
ユーシャスは、手を膝の上で揃え、背筋を伸ばした。。
「はい。考えたのですが、一度、どこかの神殿へ行ってみようかと思っています。そこで何かお仕事が見つかればと思って……」
「神殿? どなたかお知り合いでも?」
「いえ、特に。一応、国では巫女だったのですが……やはり誰かの紹介がないと難しいでしょうか?」
ユーリは大きくうなずいた。
「そうですね。何よりも、誰かに追われているような方を、神殿が簡単に受け入れるとは思えません。他の人間に危害が及ぶとも限りませんから」
ユーシャスは、みるみるしょんぼりとした表情になっていったが、ユーリは追い打ちをかけるように言葉を継いだ。
「それに、神殿まではどうやって行かれるおつもりですか?」
「それは……どなたか道案内の方を雇って……」
ユーシャスが言い終える前に、ユーリは大げさに首を振った。
「それは無理ですね」
「無理……ですか?」
ユーシャスは驚いた表情でユーリを見つめた。
「ええ。残念ですが、あなた様に雇われる者はおりません。もし、いたとしたら疑いなさい。その者は必ず、あなたを裏切ります」
ユーリは厳しい表情で言い切った。
「どうしてですか? お金を払っても駄目なのですか?」
「ええ、多分駄目でしょう。あなたに雇われるより、あなたから金を奪う方がよほど簡単ですから」
さすがにユーシャスも、動揺を隠せなかった。彼女が思い描いていた方法は、大陸では通用しないようだった。
「でも……国には帰れませんし、どうにかして暮らしていかないと……。どこかで働けると良いのですが」
ここぞとばかりに、ユーリは表情を和らげた。それは百戦錬磨の商人の顔であった。
「もしよろしければ、私どもの商会で働くというのはいかがでしょうか?」
「ショーカイ……ですか?」
「ええ、商いをする団体です。もとは葡萄酒を扱っていたのですが、今では両替、食料、日用品、木材、武器まで手広くやっています。大陸中に支店や出張所もありますし、提携先もたくさんあります。人手はいくらあっても足りません。もちろん働く前に、ディルムラートにいる商会主にはお会いいただきますが」
「私にできることはあるでしょうか?」
「お見受けしたところ、共通語にご不自由はなさそうですし」
「今は皆さんが分かりやすく話してくださっているので……。でも、仕事になると、どうなのでしょう。わからない単語もたくさんありますし」
「仕事で使う単語は意外と限られていますよ。商品は、おいおい覚えていけばいいのです。最初からわかる人なんていませんよ。それより、計算はできますか?」
ユーリは、すでに彼女が商会で働く様子を思い描いていた。
「どの程度の計算でしょうか。あまり複雑なものは自信がありませんが」
「なに、帳簿や発注書がわかれば十分です」
ユーリは立ち上がり、文机から帳面と書付けを掴むと、テーブルの皿を避け、ユーシャスの前に広げた。
「計算はわかりますが、物の名前と単位が……」
「それも慣れですよ。心配いりません。仕事はありますよ」
「あ、ここ計算間違ってます」
ユーシャスは帳簿の一行を指差した。そこだけ、拙い文字で記されていた。
「え? どこですか? …………マルコ! 計算間違ってますよ」
「えー! 頑張って十八回足したのに……」
マルコは肩を落とした。
「十八袋なら掛け算を使いなさい。教えたでしょう。失礼しました。お見苦しい所を……。まあ、こんな調子ですから、読み書きに計算が出来れば働き口はありますよ」
「ありがとうございます。でもやはり、これ以上ご迷惑をはかけられません。どこへ行ってもあの人たちが追ってくるのでしたら、ここも危険になるのは変わりません。私は食事が済ましたら失礼します。……今はこれしかお礼ができませんが、おふたりで分けてください」
そう言ってユーシャスは、袖の中から金の腕輪と取り出し、そっとテーブルの上に置いた。ユーリは腕輪を手に取り、顔色を変えた。
「これは……」
腕輪にはフォローゼルの紋章が刻まれ、その横には共通語でこう記されていた。
『この者に危害を加えた者は、フォローゼルの名において厳罰に処す。
この者の望む処遇を与えよ。
この者の身分はフォローゼルが保証する』
「これは普通、王族に準ずる方が旅をする時に持つものですよ。これがあれば、働かなくともお金の心配は要りませんよ」
「でも、これはフォローゼル国内でしか通用しないのでは? たしか、フォローゼルと帝国では通貨も違ったかと……」
「たしかに通貨は違いますが、商業自治州や商人というのは、帝国の中で少し特殊な立ち位置でして。商人は帝国に恭順はしつつも、自治は勝ち取っています。東国から物を仕入れるには、フォローゼルとの関係は不可欠なので、こういうものも扱います。ただし、誰がいつどこで何に使ったかをフォローゼルに申請し、送金を待つ必要がありますので、少額では割に合いませんが……これを、どなたから?」
「フォローゼル第一王子、バシリウス様からです。フォローゼルを出る時、お返ししようとしたのですが……」
腕輪を使えば金の問題は解決する。だが、それは同時に彼女の足取りをフォローゼルに知られることを意味していた。追手が誰かわからない以上、不用意に痕跡を残すのは危険であった。
フォローゼルは、聖都ロクスファントを首都とする国である。そこは、大陸の神々の故郷とされており、多くの神殿が建ち並ぶ巡礼の地でもある。巡礼者を目当てに開かれる大市場も有名で、常に人々でにぎわっていた。
神殿を中心とした緩やかな自治しかなかったその場所に、三十年ほど前、辺境の領主であった男が山を越え攻め入り、国を建てた。だが、神聖な場所を荒らしたせいか、猜疑心の強い性格からか、王は気の病を得て、今も長く患っている。
王が弱れば、下も乱れる。王位を狙う者たちによる暗殺や権謀術数は絶えなかった。彼女にこの腕輪を与えた第一王子バシリウスでさえ、幾度となく命を狙われていた。
ユーリとユーシャスが話す傍らで、ディランは腕輪を手に取った。フォローゼルの紋章の隣に嵌められた孔雀石。それには見覚えがあった。
昔、母の手にあった聖剣、シルヴァの家に飾られていた聖剣、聖剣の間でウィラードが手にしていた聖剣。どの聖剣の柄にも、これと同じ孔雀石がはめ込まれていた。
ならばこれは――。
思いがけない場所で父の痕跡を見つけ、ディランの手が震えた。なぜ、こんなものに孔雀石がはめ込まれているのか。もしかして、この腕輪は、かつて父が身に着けていたものなのだろうか。
顔すら知らない父に、これまで特に思い入れがあったわけではない。死んだと聞いても、何の感情も湧かなかった。なのに、なぜか身体が震えた。
ユーリがディランの様子を見て、声をかけた。
「ディラン様。大丈夫ですか? ご気分でも……」
「大丈夫だ、ユーリ」
「お嬢さんが、ここを出て行くとおっしゃって……」
ユーリは困ったような顔で、ディランを見た。ディランは、娘の思い詰めた顔を見つめながら、静かに言った。
「無駄死にだな」
「え?」
ユーシャスは目を見開いた。
「あの、死んだ武人だ。貴女を逃すために生命を落としたのだろう? その本人が、わざわざ自ら捕まりに行くのか?」
「……でも、これ以上、他の方を危険な目に遭わせるわけには……」
「人を殺してまで貴女を攫おうとするような連中が、まともなはずがない。そんな奴らに捕まって、無事でいられると思うか?」
「……」
「抗うつもりなら協力する。籠の鳥がいいなら好きにしろ」
ユーシャスは膝の上で両手を強く組み、ディランを見据えた。
「貴方は、どのようなお立場の方でしょうか? 私には、そこまでしていただくいわれがありません」
「お嬢さん、大丈夫ですよ。この方は――」
ユーリの言葉を、ディランが遮った。
「エル・カルドの七聖家の者だ」
「……シチセイケ?」
「それに、いわれならある。私も、奴らに顔を見られている。この先、無関係でいられる保証はない。ユーシャス。貴女は、私がディルムラートまで送るし、あの連中は私がなんとかする。迷惑だとか考える必要はない。これは、私の問題でもある。働くかどうかはともかく、フェルディナンド商会なら、貴女の手助けをしてくれるだろう」
ディランは、娘の前に腕輪を置いた。ユーシャスは、迷いながらも目の前の腕輪を取り、こくりとうなずいた。




