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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十一章 仲間を探して
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071 隠し小屋

 ディランはユーシャスを背負い、森の中を歩き続けた。

 枝の間から漏れる光は傾き、木々の影が足元で長く伸びていく。

 息が白くなり始めた頃、古びた石畳が現れた。


 それは、打ち捨てられた町の遺跡の一角であった。崩れた石の家々が、半ば苔に覆われ、森に呑まれかけている。


 ディランはユーシャスを背中から降ろし、馬を木に繋いだ。

 倒れた石柱の陰に積まれた木の枝を払いのけると、古びた扉が現れた。

 押し開けると、暗がりの中に小さな空間――砦の騎士団が使っていた隠し小屋があった。


 この種の小屋は辺境に点在しており、冬ごとに掃除と物資の補充が行われていた。

 部屋の隅の戸棚には、防寒用の羊毛、薬、包帯、布などが整然と収められ、木箱には葡萄酒が眠っている。外の物置には薪や飼い葉も積まれていた。


 小屋の中は時の流れから切り離されたように、以前のまま整えられていた。

 だが、今季はまだ誰の手も入っていない。埃の匂いと古い木の香りが静かに満ちている。


 辺境では冬になるとフォローゼルとの国境は閉じられ、戦も止む。

 コンラッドやエディシュは帝都へ戻ったが、ディランは砦に残り、退屈を持て余した兵士たちを連れて見回りをしていた。

 野盗狩りのついでに、こうした小屋を転々としたものだ。


 ディランは中に入り、棒で天井の煙出し窓を開けた。

 床と壁は土で固められ、四隅の木柱が屋根を支える。

 部屋の三方には高床があり、大柄な兵でも十人以上は横になれた。

 中央の炉には煤がこびりついている。かつてはここで火を囲み、仲間と酒を酌み交わした夜もあった。


 ディランは外から薪を抱えて戻り、炉のそばに置いた。

 火打ち石で火口に火を点け、付け木に移す。

 息を吹きかけると、赤い火が音を立てて芽を吹き、薪へと燃え広がった。

 やがて炎が安定し、室内に淡い光と温もりが広がる。


 火が落ち着くのを見届けると、入り口で立ち尽くすユーシャスを呼び寄せ、火の番を頼んで外へ出た。


 近くの涌き水を汲み、馬の体を拭き、飼い葉を与える。

 水面に映る自分の顔が、薄闇の中でぼやけて揺れていた。

 桶に新しい水を汲み、ディランは小屋へ戻る。


 炉の前では、ユーシャスが膝を抱えて炎を見つめていた。

 炎の光が頬を照らし、まつ毛の影が揺れている。

 泣くでも怒るでもなく、ただ静かに、現実を受け止めようとしているようだった。


 ディランは戸棚から薬と包帯を取り出し、彼女の隣に腰を下ろした。


「包帯を替える。足を出してくれ」


 ユーシャスは体の向きを変え、泥のついた包帯を外した。

 紫色に冷えた足には、細かい裂傷がいくつも走っていた。


「すみません。仲間を捜すだけのはずが、このようなことまで……」

「このようなこと?」

「……こんな、危険なことに巻き込んでしまって……傷の手当てまで」


 ディランは顔を上げ、娘の顔を見た。

 しかしすぐに視線を傷口へ戻した。戦いも怪我も、彼にとっては日常である。特別なことでも、感謝されるようなことでもなかった。


 ドナルの館で礼服を着せられ、じっとしているより、こうして泥にまみれている方が性に合っていた。

 それに、この娘には悪いが、彼女の仲間がいなくなったのはディランにとって都合のいいことでもあった。


 足を水で清め、薬を塗って包帯を巻き直す。


「男たちのことなら気にする必要はない。あれは、火の粉を払っただけだ。それより寒くないか? 野宿よりはマシだと思うが」

「少し……」


 ディランは羊毛の毛皮を床に敷き、彼女を座らせて肩にも掛けた。


「ありがとうございます。あの、ここは……入っても良かったのですか?」


 ユーシャスは毛皮にくるまれたまま、整えられた室内を見回した。

 その手入れの行き届いた様子に、誰かが今も使っているのではと感じた。


「ここは、私が作らせた小屋だ」


 ディランは木箱から葡萄酒の瓶を取り出し、口をつけた。

 革袋を開け、昼の残りの鳥肉を挟んだパンを火で炙る。

 香ばしい匂いが立ち上る。彼はそれをユーシャスに差し出した。


「無理にでも、少し食べておいた方がいい」


 あの光景を見た後で喉を通るかと思ったが、彼女はゆっくりと口にした。

 気丈な娘だった。仲間の死を前にしても、涙ひとつこぼさない。


 ディランは葡萄酒をあおり、娘の隣に腰を下ろす。


「貴女はどこの国の出だ? 東国といっても、いくつもあるだろう」

「こちらの大陸では、ラサリットと呼ばれています」

「ラサリット……? 聞いたことがないな」


 ユーシャスは静かに微笑み、うなずいた。何度も繰り返してきた説明なのだろう。


「海の真ん中にある国なので……東の大陸からもかなり離れています。知っている方はあまりいないかと」

「ずいぶん遠くから来たのだな」


 ユーシャスは哀しげに口を閉ざした。

 炎の光が瞳の奥で揺れ、彼女の沈黙が、遠い海の孤独のように響いた。

 ディランは残りの葡萄酒を一息に飲み干した。


「明日は夜明け前に出発する。できるだけ体を休めておけ」

「あの……どちらへ?」

「知り合いのいる村だ」


 腰の剣一本では心もとない。装備を整える必要があった。


「私も、一緒に行っていいのですか?」


 ディランは眉を寄せ、娘を見た。


「もしかして、こんな所に一人で置いていかれるとでも思ったか?」


「いえ、そういうわけでは。ただ、仲間を見つけるまでというお話だったので……。ケッカイという物も、どうなったのかよくわからなくて。私は、何もお手伝いできませんでした」


「私はあの場所から出られればそれでよかった。それに、館の結界に使われていた魔道符は壊れていた。あれは、貴女が何かしたのではないのか?」

「マドーフ……? よく、わかりません」


 ユーシャスはドナルの館での出来事を思い出そうとした。

 壁に掛けられていた神歌の書、身体に吸い込まれた光る文字、そして――自分の声でない誰かが、身体を通して歌ったような感覚。

 だが、今はもうその感覚も霧のように薄れていた。


「疲れただろう。もう、横になった方がいい」


 ディランは空の葡萄酒の瓶に小石を入れ、扉の前に置いた。

 そしてマントを引き寄せて横になり、燃える炉に背を向けた。


 ユーシャスはその黒髪の背中をぼんやりと見つめた。

 背負われた時の温もりが、静かに身体の奥に蘇ってくる。


 ふと、幼い頃の記憶が蘇った。

 道に迷って動けなくなった自分を見つけ、神殿まで背負ってくれたツアクの背中。広く、温かく、息づいていたあの感触。


 悲しみも悔しさも胸の奥に沈め、目を閉じて小さく身体を丸めた。

 いつもそうしてきた。巫女は泣かないと教えられてきたからだ。


『巫女は器、神の器。その身に宿し、言の葉を伝えよ』


 そう言われて育った。

 感情を飲み込むたび、娘らしい表情が少しずつ失われていった。


 あれほどの光景を目にしても、涙は出ない。

 そんな自分の身体が、まるで他人のもののように思えた。

 あんなふうに自分を守ろうとしてくれた人が死んだというのに――。


「いい剣士だったようだな」

「え?」

「あの老兵だ。なかなか、あそこまで戦える者はいない」


 ツアクの名を思い出した瞬間、ユーシャスは目を見張った。

 まるで心の内を見透かされたようだった。


「……ツアクは、もともと宮廷に仕える剣士でした。奥様とお子さんをお産で亡くされて……。たくさんの人を斬ってきた報いだと言って、剣を置いて神殿で下働きをしていました。せっかく静かな生活を送っていたのに、私についてきたばかりに……」


 あの剣士は、若い娘が行く当てもなく国を追われるのを見ていられなかったのだろう。

 言葉も通じぬ異国へ、彼は迷わず同行を願い出たのだった。


「剣を持つ以上、死ぬことは覚悟の上だ。貴女が生き残ったんだ。あの男も満足だろう」

「でも……」


 ディランは横になったまま顔だけ娘に向けた。


「気に病むな。そんな事を、あの男は望んでいない。守るべき人間が無事なら、それでいい。そういうものだ」


 ユーシャスは、静かにディランを見つめた。

 その声には、有無を言わせぬ確かな力があった。

 この人もまた、ツアクと同じ道を歩いてきたのだろうか――。


 彼女はそれ以上何も言わず、毛皮に身を沈めた。

 ディランも背を向け、目を閉じる。


 バン、と薪が爆ぜ、火の粉がはらはらと舞い上がる。

 燃える音が、夜の呼吸と溶け合った。


 横たわるディランの手元には剣がある。

 次の襲撃があるとしたら、ここに違いない。

 扉の前に置いた瓶の中の小石が、わずかに揺れる音を立てた。


 ――しかし、その夜、瓶が倒れることはなかった。


 森の静寂の中、ぱちぱちと火の燃える音だけが、小屋の壁に反射していた。

 外では、冷たい風が枝を撫で、夜の匂いを運んでいた。


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