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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十一章 仲間を探して
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069 嵐の後

 ディランとユーシャスは、ドナルの館を抜け出し、彼女の仲間の行方を探すため、使節団が襲撃されたという森を目指していた。

 やがて森の縁が見えはじめ、ふたりはそこで一度、馬を休ませることにした。


 ここまでの道のりも決して近くはなかった。だがユーシャスは、昨日この道を襲撃のただ中から命からがら逃れてきたのだ。


 春の嵐が去ったばかりの森は、どこか息を潜めていた。折れた枝があちこちに散らばり、草地にはまだ雨の名残が光る。濡れた土の匂いに満ちる中、ディランは大岩が並ぶ水場のそばを選び、馬を止めた。


 たてがみを掴んで軽やかに馬を降りると、近くの木に手綱を繋ぐ。鞍も鐙もない裸馬だが、この馬は手綱一本でよく従った。

 東国の娘――ユーシャスは、馬に乗ったことがないと言っていた。それでも、わずかな時間で馬の揺れに身を合わせるようになっていたのは、持ち前の器用さか、あるいは生き延びるための本能か。


 ディランは馬上の彼女を片腕で抱き上げ、もう片方の手で馬の背にかけていた毛布を剥ぎ取ると、大岩の上に敷き、そこへ座らせた。


「ありがとうございます。……ディラン様?」


 娘は遠慮がちに声をかけてきた。

 ディランは、馬が水を飲むのを確かめながら、体に結びつけていた革袋を外し、岩の上に置いた。そして彼女の隣に腰を下ろし、革袋の口を開ける。


「ディランでいい。ユーシャス、だったな?」


「はい。……でも、あの館を出てきて良かったのでしょうか? 皆さま、あなたを頼りにされていたようですが……」


 言葉の端々はたどたどしいが、心はまっすぐ伝わる。

 ディランは思わず眉を上げた。


「おそらく、あそこは大丈夫だ。――それに、私がいると、彼らは自分で考えなくなる。それが一番危険だ」


 ユーシャスはリスのように小さく首をかしげた。その仕草に、わずかな安堵と警戒が混ざって見えた。


 ディランは袋の中身を取り出す。焼いた鳥肉と酢漬け野菜をパンに挟んだもの、干した果物――どうやら館の者が昼食用に用意してくれたらしい。香ばしい匂いが、湿った空気の中にやわらかく漂った。


「怪我をされた方もいらっしゃったようですが……何かあったのですか?」


「フォローゼルが、エル・カルドへ侵攻した。知らなかったのか?」


 ユーシャスは、目を大きく見開いて首を振った。その反応に、偽りはなかった。


 枝葉の隙間からこぼれる光が、彼女の髪を照らした。東国の娘らしからぬ、淡い暁色。雨上がりの森の光を受けて、まるで春霞の中に炎が宿るようだった。


 ディランはパンを一つ彼女に手渡し、自分もかじった。噛みしめると、鳥肉と野菜に染み込んだ蜂蜜の甘みが舌に広がり、疲れた体に静かに沁みていく。


「フォローゼルを出る時、兵の動きはどうだった? 集まっていた様子は?」


「いえ……国の中も宮廷の中も、特に変わりはありませんでした」


 彼女の手がわずかに震え、パンの端を押し潰した。

 震える声に、恐れよりも伝えたいという意志を感じた。


「あの……あの方たちの所へ、戻ってください。仲間は、自分で捜します」


「何を言っている。仲間の所まで送ると約束した。それに、今ここがどこかもわからぬだろう?」


 ユーシャスは顔を伏せ、沈黙した。

 木の枝で、小鳥がひと声鳴いた。


「なら、仲間が見つかるまで、同行する」


 この娘を放すわけにはいかなかった。彼女はつい先日まで――フォローゼルの第一王子、バシリウスの傍らにいた女だ。

 聞くべきことは、山ほどある。


「確認しておきたい。馬車を襲ったのは、盗賊か?」


 ユーシャスは静かに首を振った。


「……貴女を狙ったのか?」


 彼女の唇がわずかに震え、両手が膝の上で固く結ばれた。


「話したくなければ、無理にとは言わないが」


「そういうわけではありません。ただ、共通語で上手くお話できるか……」


「ゆっくりでいい。状況を知らねば、次の手も打てん」

 

 ためらいながら、彼女は言葉を選び始めた。

 

「私は、国で神殿の巫女をしておりました。権力争いに巻き込まれ……ほとぼりが冷めるまで国外に出るよう命じられたのです。還俗して、使節団に同行し……ここまで来ました」


 ディランはパンを食べ終えると、両手を払う。 

 それを見て、ユーシャスは慌てて食べ始めた。 

 その小さな仕草に、長い緊張がほどけていく気配があった。


「では、襲ってきたのは貴女の国の者か?」


「それしか……思い当たりません。姿は見ませんでしたが、共通語を話していました。大陸で誰かを雇ったのかもしれません」


 ディランは無言で頷いた。

 この娘は怯えながらも、冷静に状況を読んでいる。


「フォローゼルでは、何もなかったのか?」


「宮廷には、私をよく思わない方もいました。……けれど側室のお話をお断りしましたので、フォローゼルを出てしまえば、もう関係ないかと」


「側室の話が――貴女に?」


 ディランは思わず、娘の顔を見返した。巫女の清らかさを湛えた面差しには、欲と策略が入り混じる宮廷など、あまりに不釣り合いだった。

 あの穏やかな瞳に、後宮の嫉妬と駆け引きの影が映ることを思うだけで、どこか胸の奥がざらついた。

 だが、あの男――バシリウスが、彼女を側に置いていたという噂は事実だ。


「……あれは王妃様がおひとりで進めようとなさった話で……バシリウス様は、その……まるでご興味をお持ちではありませんでした」


 ユーシャスは静かに笑みを浮かべ、こぼれた野菜を丁寧に拾っては口に運んだ。その手元を、ディランはしばらく黙って見つめていた。


 あの男は、使節団の襲撃を知っているのだろうか。

 この娘が今、ここにいると知ったら――どう動く。


 胸の奥で、波紋のような感情が広がっていった。


「……お水を、少しいただけますか?」


「ああ、すまない。気づかなかった」


 ディランは革の水袋を差し出した。ユーシャスは両手でそれを受け取り、喉を鳴らして水を飲んだ。その音を聞くだけで、ディランの喉も渇きを覚える。娘から水袋を受け取り、そのまま口を寄せた。冷たい水が喉を滑る音だけが、静けさを破った。


「そろそろ行こう」


「はい。……どちらへ?」


「森で馬車が通れる道は限られている。まずは東へ向かう」


 ユーシャスは立ち上がり、敷いていた毛布を畳んでディランに渡した。

 ディランはそれを馬の背にかけ、木から手綱を外す。たてがみを掴んで軽やかに馬に跨がると、娘の体を抱き上げ、自分の前に座らせた。


 森を吹き抜ける風が、枝葉を鳴らした。春の嵐の名残――不穏なざわめき。

 木々の囁きが、人の気配を呑み込んでいく。


 馬上の娘が、くしゅんと小さくくしゃみをした。

 東国の上衣にフォローゼルの長衣、素足にサンダル。その身なりは、冷たい風にはあまりに薄い。


 ディランは肩のマントを外し、そっと彼女の背にかけた。その上から静かに腕を回す。

 馬が鼻を鳴らす。

 その音に驚いた小鳥が、羽音を立てて飛び去った。


「ありがとうございます」


 ユーシャスは、馬から落ちまいとディランの腕をそっと掴んだ。

 そのぬくもりを抱きながら、ふたりは使節団の痕跡を求めて、森の奥へと進んでいく。


 あとに残ったのは、木々のざわめきだけだった。


 


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