表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第九章 迫りくる影
66/195

058 騒動の結末 ローダインにて⑫

 数日後。

 コンラッドは、いつものように緑に包まれたジーンの執務室を訪れていた。


 窓辺を覆う蔦と草花が淡い陽光を受け、葉の縁を透かして輝く。

 部屋の奥では、紙と本と金属の道具が複雑に積み重なり、机の上は相変わらず要塞のようだった。その隙間に腰を据え、ジーンは眉間に皺を寄せながら、いくつもの書類を交互に見比べている。


 長椅子にはアルドリックが寝そべり、片手に葡萄酒を掲げていた。火の落ちた暖炉の灰の中で、赤紫の液体が光を受けてわずかに揺らめく。午後の陽が差し込み、ガラス越しの光がその表面を金色に縁取っていた。


 先日捕らえられた者たちは、いま牢で尋問を受けているらしい。

 だが、その内容がコンラッドに伝えられることはない。


 沈黙の中で、紙をめくる音だけが細く響く。


「結局、トーマのことも、よくわかりませんでしたね」


 控えめに口を開いたコンラッドに、ジーンが顔を上げる。

 一瞬だけ、翠の瞳が彼に焦点を合わせた。


「バルドが墓まで持っていった秘密だ。他人の私たちが暴いていいものかどうか。本人が知りたいというなら手は貸すけどね。……そういえば、トーマは旅に出たんだって?」


「はい。一度は屋敷へ戻ってきたのですが、今朝、旅に……」


 コンラッドは窓の外を見た。

 まるで使命を思い出したような、あの少年の瞳が瞼に浮かぶ。

 冬の名残を含む空は薄く霞み、遠くの屋根に陽が滲んでいる。


「妹も私もずいぶん引き止めたんですけれど……もう春になりますし、声変わりも終わって、これ以上は留まる理由がないと。祖父と母は、冬になったら戻って来るように言いました。バルドも毎年そうしていたからと」


「そうかい。アラナ夫人は何かおっしゃっていた?」


「長く引き留めて悪かったと仰っていたそうです。妹の話では、ずっと本当の親子のように過ごされていたとか――」


 ジーンはそっと目を閉じ、書類を机に置いた。

 顎に手を添えたまま、思索の底を覗くように沈黙する。


 外で小鳥が鳴き、枝葉が風に揺れた。羽音が、遠ざかっていく。


「……あのさ、コンラッド。あくまで仮説なんだけどね。ウィラード殿下とトーマが――双子だった、という可能性はないかな?」


 空気が震えた。

 コンラッドの喉がひくりと鳴り、指先の血が一気に引く。


「ウィラード殿下と……トーマが? 似ていないと思いますが」


 エル・カルドの血を濃く引くウィラード。

 対して、ローダインの面影を宿すトーマ。

 似ているどころか、まるで別の系譜に見えた。


 ジーンの突飛な発想には慣れていたが、今回は慎重さを要する、とコンラッドは思う。


「双子だからといって、全員が似ているわけじゃないだろう? もしそうなら、アラナ夫人の行動も、バルドの振る舞いも、多少は筋が通る。証拠なんて何もないけどね」


 長椅子のアルドリックが眉をひそめ、のそりと体を起こした。


「仮に双子だとして、なぜアラナがバルドに赤子を預けるんだ?」


 ジーンは椅子にもたれ、頬杖をつく。

 背に光を受け、表情は影に沈んだ。


「ローダインでも大昔は双子は忌み子とされ、殺されることが珍しくなかったそうですよ。十五年前といえば、エル・カルドが開国して十年ほど。古い因習が残っていても不思議じゃありません」


 その目は、遠い時代を透かすように細められた。


「……双子だと言い出せない、理由があったのかもしれませんね」


 風が止む。部屋が凪ぐ。

 時間までもが呼吸をやめたようだった。


 沈黙が重くのしかかり、コンラッドは思わず息を漏らす。


「もしそれが事実なら、大変なことです。どうすれば――」

「一旦、忘れよう」


「え?」


 驚きに目を見開くコンラッドへ、ジーンは静かに言葉を継いだ。


「コンラッド。私たちの仕事は覚えることだけじゃない。時には、忘れることも必要だ。アラナ夫人が沈黙を選んでいるのなら、私たちが真実に触れる術はない。忘れよう。――それでいいですね、陛下」


 促されて、アルドリックがグラスを傾ける。


「そうだな。幻の甥っ子、か。せっかく自由にいられるんだ。わざわざこんな窮屈な所に戻る必要もない。……で、ジーン。俺はいつになったら自由になれるんだ?」


「一生、無理じゃないですか?」


 顔を上げずに、さらりと言い放つ。


「……え? 一生?」


 アルドリックが目を剥く。


「まあ、ボケたら誰かが皇帝の座から引きずり降ろしてくれますよ」

「…………酷い」


 空のグラスを胸に抱いたまま、アルドリックは屍のように長椅子へ沈んだ。

 ジーンはくすりと笑い――次の瞬間、表情を引き締めた。


「……コンラッド。君は親友に“死んでこい”と言えるかい?」


「え? 急にどうしたんですか?」


 唐突な問いに、コンラッドは手を握り締める。

 ジーンはその反応を確かめるように、短く息を整えた。


「陛下は、時にそれを言わねばならない立場だ。昔、君の父君に言ったようにね。そして私たちの役目は、その判断を支えること。武勲とは無縁。むしろ邪魔だ」


 緑の瞳が、氷のように冴え渡る。


「君の立場も、才能も、血筋も――戦場なら輝くだろう。だが、ここでは埋もれる。それでもやる覚悟はあるかい?」


 空気が張り詰めた。


「ジーン。わたしはその覚悟でボドラーク砦でもやってきたつもりです」


「影響は君だけじゃない。家族にも及ぶよ。オーレリア夫人がそうであったように」


「……家族は受け入れてくれるでしょう。ここは――父がいた場所ですから」


 コンラッドは部屋を見渡した。

 古い木の匂い。乾いた紙の音。

 記憶にない父が、確かに存在した場所。

 

 外では、鳥の声が柔らかく春を告げていた。


「……今回の一連のことは、表には出ない。いいね」

「承知しています」


 ジーンは深く息を吸い、声を張る。


「さあ! いつまで屍になってるんですか! 謁見の人が待ってます! さっさと仕事に戻ってください!」

「……嫌だ。仕事したくない」


 アルドリックは長椅子にしがみつき、哀れな声を上げた。


 コンラッドが退出したあと、静寂が戻る。

 部屋の空気は緑の香に満たされ、時間だけがゆっくりと流れはじめた。


 アルドリックは寝転がったまま、天井を見つめる。


「……で、本当のところはどうなんだ?」

「何がです?」

「お前さんが、この状況を放っておくはずがないだろう?」


 ジーンは手を止め、赤髪をほどいた。

 光を受けたそれは、火のように揺れた。


 山積みの荷の中から小さな陶器瓶を取り出し、戸棚からグラスを二つ。

 琥珀色の液を注ぎ、片方をアルドリックに差し出す。


「……トーマには、すでに人をつけています。当時の産婆も捜しているところです」


 火酒の香が立つ。アルドリックはゆっくりと喉を鳴らした。


「コンラッドは、知っているのか?」

「……いいえ」


 ジーンは首を振り、グラスを一気にあおった。

 強い酒が喉を焼き、瞳の奥に熱が宿る。


「彼は信用できないのか?」

「まさか。そうじゃありませんよ。……私が迷っているんです。彼をここで使うことにね。――彼は本来、陽の下を歩くべき人間ですから」


 窓の外で、風が再び枝を揺らした。

 春の気配が、緑の部屋に静かに戻ってきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ