006 失われた聖剣
マイソール卿は、ふとセクアという女性のことを思い出した。気の毒な人――としか、言いようがなかった。
第四聖家の当主と結婚し、穏やかに暮らしていたが、フォローゼルの侵攻により夫を連れて行かれ、その生活は一変した。
助けを求め、ローダインへ赴くや否や、その美貌と悲劇性から話題になった。結果的にそのことは、ローダインの人々の同情と関心を集め、エル・カルドに対する様々な支援へと繋がった。
それが、自然に湧き起こったことなのか、ローダイン皇帝アルドリックの策略によるものなのか、マイソール卿には判断がつかなかった。
彼女にとって唯一の救いは、ローダインへ行った時に、懐妊がわかったことだろう。夫と離ればなれになった彼女にとって、子供の存在は大きな慰めになっただろう。
その子が大人となり、今はゼーラーン将軍の下でフォローゼルと戦っている。マイソール卿は、両手を握り締めた。
シルヴァは、さっきまでの深刻さはどこ吹く風で、コップの水を飲み干した。
「俺が、砦で働くのが悪いかよ。で、ディランが何だって?」
「どんな人間だ?」
「どんなって……子供の時から武芸を叩き込まれているから、戦士としては一流だろうな。俺なんか、何やってもまず勝てねえ」
シルヴァは興奮するように、言葉を継いだ。
「化け物ぞろいの傭兵束ねて、あの若さで騎兵団長なんてのは、ローダインでも異例だし、あのボドラーク砦を落としたのもあいつだ。砦の攻略でフォローゼルの王子を取り逃がしたのは、悔しがってたけど」
「……なんか…………いかつそうな男だな。それ、本当にセクアの息子か?」
マイソール卿は、ほっそりとしたセクアの姿を思い起こした。どうやっても、屈強な戦士とは結びつかなかった。
そして、エル・カルド人は基本的に争いを好まない。剣を持って戦うことは、野蛮だと嫌う人間も少なくない。
ローダインで生まれ育ったとはいえ、七聖家に属するエル・カルド人が、フォローゼルとの最前線にいるというのは、マイソール卿にとって不思議な気分であった。
しかも、我が息子ながら逞しい体躯を持つシルヴァが敵わないと聞いて、マイソール卿は想像を巡らせた。
不思議そうな表情を浮かべるマイソール卿を見て、シルヴァは笑った。
「いや、背は俺と変わらないし、体なんか俺より細いぞ。……それから……美人だ」
その瞬間、再びマイソール卿のげんこつが飛んできた。
「それが武人に対して使う言葉か。だから、お前はバカだと言われるんだ。言葉を選べ!」
シルヴァは頭をさすった。
「いちいち殴るなよ。俺の頭じゃ他に言葉が思いつかないんだよ。俺はセクアって人の顔を覚えてないんだけど、知ってる人に言わせれば、そっくりだそうだ。あいつに似てるってお袋さん、すげぇ美人だったんだな」
「儂は、セクアの子供の頃から知っているから、美人と言われてもな……。ローダインで大騒ぎになったことは聞いたが……」
アルドリックがセクアをローダインへ連れて行ってから、既婚者であるにも関わらず、求婚者が後を絶たなかったと聞いた。
懐妊しているとわかってからも騒動は収まらず、皇帝により、領地を与えられ、その地で隠れるように暮らしたと聞いた。
結局、彼女はエル・カルドへ戻らずに亡くなった。そして、それと同時に第三聖家の聖剣も、行方がわからなくなっていた。
彼女がローダインへ行くにあたって、聖剣を持たせるかどうかは、七聖家の会議でずいぶんと揉めた。
アルドリックが、エル・カルドの存在を認めさせるために必要だというので持たせたが、その結果が今の状態だった。
セクアの夫もまた、第四聖家の聖剣を持ったままフォローゼルに連行され、亡くなっていた。
散逸した全ての聖剣をエル・カルドに取り戻すということは、七聖家全体の長年の関心事であった。
「聖剣の行方ねぇ。聞いたことないな。いくら親が七聖家だっていっても、あいつ自身はローダイン生まれのローダイン育ちだからな。聖剣にそれほど関心があるかどうか……。そもそも、これだけ近くにいて寄り付かないってのは、そういうことだろう? 今回、ゼーラーン将軍と一緒に来るのか?」
「来てくれるように手紙は出しているんだが、返事はまだない」
シルヴァは長椅子からひょいと立ち上がると、軽く伸びをした。
「しょうがないな。俺が、ちょっとボドラーク砦まで様子を見に行ってくるか」
「え?」
マイソール卿は、開いた口がふさがらなかった。
「お前は……今、帰ってきたばかりだろう?」
シルヴァは満面の笑みで、父親を見返した。
「じっとしてるのが、性に合わねえんだよ。俺の望みは旅先で行き倒れることだからな。親父には悪いが、この家は俺の代で絶えると思ってくれ」
「バカ者! 七聖家の人間に、そんなことが許されると思うのか!」
「そんなこと言われても……。だいたい、俺と結婚してやろうなんて、もの好きはいないね。できる気もしない」
「お前も、もういい年だ。結婚しろとは言わんが、後継ぎだけは何とかしろ」
「ええ、無茶なことを……。誰が育てるんだよ」
シルヴァは父親の言葉に動揺を隠せなかった。堅物な父親が、こんな事を言い出すとは思ってもいなかった。
「儂が育てる。男手ひとつでお前を育てたのを忘れたか! ……まあいい。砦へ行く前に、第一聖家へは挨拶に行っておけよ。今回の〈聖剣の儀〉の主催者だ」
「あー俺……あの人、苦手なんだよな。ミアータ夫人」
シルヴァの顔が曇った。たいていの人とうまくやれるシルヴァではあったが、苦手な人間はやはりいる。
「余計なことは言うな。顔を見せるだけでいい」
「わかったよ。後で行ってくる」
シルヴァは部屋を出て、昼食を摂りに食堂へと足を運んだ。その姿を見送ると、マイソール卿は長椅子にもたれ、壁に掛けられた第六聖家の聖剣を見上げた。
レイテット鋼と呼ばれる鋼で作られた聖剣は、はるか昔からエル・カルドに伝わるものであり、錆びる事なく輝きを保ち続けていた。
ただし〈聖剣の儀〉で使われる他は、聖剣は単なる壁の飾りとなっていた。この剣はシルヴァが、十五歳になった時に行われた〈聖剣の儀〉で加護を受けた剣である。
自分の息子が、〈アレスル〉となった時の誇らしさは、今でも忘れることはない。
(我が子ながら、おかしな奴だ)
マイソール卿はつぶやいた。
エル・カルド人は、あまり国を離れることはない。外部への警戒心は強く、自分を含め年配の人間はもとより、若い者でも未だに共通語を話さない者も多い。だがシルヴァは違った。〈聖剣の儀〉を終えるやいなや、義務は果たしたとばかりに、エル・カルドを飛び出して行った。
片言だった共通語も、今では自分の言葉となっている。様々な場所へ行き、友人を作り、自分の力で生きている。
もし、シルヴァが七聖家の人間でなければ、聖剣の〈アレスル〉でなければ、そういう生き方もあって良いかと思う。
しかし、幸か不幸かシルヴァは〈アレスル〉となってしまった。それは終生、放棄できない責務を負うことでもあった。シルヴァにとっては、自分をエル・カルドに縛り付ける、呪いのようなものであろう。
「旦那様。第五聖家から使いがきておりますが」
灰色の服を身に着けた年配の使用人が、声をかけた。
「あとでうかがうと伝えてくれ」
マイソール卿は、再び壁に掛けられた聖剣を見つめた。
シルヴァに伝えた〈聖剣の儀〉にまつわる一連の話は、あくまで表向きの話だった。実際には、当初想定していた通りにはいかない現実が待っていた。
「さて、どうしたものか……」
マイソール卿はため息をついた。