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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第八章 出口を求めて
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048 魔道書 二人の行方⑦

 流刑地の書蔵庫にある魔道書は、実に膨大だった。

 ウィラードは、その中から魔道について初歩的な内容が書かれた書物を選び、根気強く読み解いていった。


 シルヴァが廃屋にあった机と椅子を修理して運び込んでくれたおかげで、作業はぐんとはかどるようになった。

 火灯しの明かりのもと、古い紙の匂いが空気に滲む。めくる指先には粉が残り、指がざらりとした。


 魔道には、大きく分けて二種類ある。

 一つは詠唱によって発動させる魔道。もう一つは、魔道符を使う魔道。


 詠唱による魔道は長い修行を要するため、時代が進むにつれ廃れていった。

 ただ言葉を唱えるだけでは発動せず、『(プルード)』と呼ばれるものを扱う必要があるらしい。


 ((プルード)って何だろう)


 どの魔道書を読んでも、(プルード)の説明は明確ではなかった。当時は当たり前の概念だったのかも知れない、とウィラードは思った。

 ただ、自分にはその“当たり前”さえ届かない。書に潜む世界と、自分の間に、深い霧があるようだった。


 (まるで、知識の結界だ)


 もう一つの魔道符による魔道は、誰にでも使えるようだった。

 ただしそれを発動させるにも、やはり『(プルード)』が必要だとある。

 微量の『(プルード)』は誰しもが持っているらしく、簡易な魔道符なら容易に使える。

 だが高度な魔道符を扱うには、それ相応の『(プルード)』を持たねばならず、自身の限界を超えた使用は命を危険に晒すのだった。


 魔道書には、魔道符の実験の最中に多くの犠牲者が出たと記されていた。

 それ以降、七聖家以外の者による魔道符の使用は禁じられ、転移の魔道符のように大量の『(プルード)』を要するものは、〈アレスル(選ばれし者)〉のみに許されるようになっていった。


 ウィラードは大きく息を吐いた。

 わかったような、わからないような――そんな内容だった。


 (疲れた)


 彼は机に上体を投げ出し、額を冷たい木に押しつけた。

 書蔵庫の奥はしんと静まり返り、遠くで煤が落ちる小さな音がする。

 まぶたの裏で、文字の残像がちらついた。


 今まで触れたことのない知識。目に見えぬ魔道。教えてくれる人もいない。

 果たして、自分にこれを習得できるのか。焦りばかりが胸を占める。

 だが、転移の魔道を理解せずには、ここから出る方法はない。


 机に頭を乗せたまま、ぼんやりと目を開く。意識が紙の海に沈んでいく――。


 不意に、ぞくりとする感覚とともに、黒い影のようなものが目の前を横切った。


 動物でも、風でもない“何か”。


 ……静寂が落ちた。


 それは以前、水鳥を獲った帰りに感じたものと、よく似ていた。


 (気のせい……だよね)


 目だけを動かして辺りを探る。だが、もう何の気配も感じられない。

 ウィラードは慌てて姿勢を正し、再び魔道書に目を落とした。


 魔道書を読みはじめて数日。

 ようやく転移の魔道が記された箇所を見つけたが、その内容は極めて複雑だった。

 見ているだけで頭が痛くなるほどだった。


 転移の魔道は、魔道符による行使を薦めていた。

 理由は、その複雑さにある。昔の七聖家の人々は、実績ある魔道符を複製して用いていたらしい。

 しかし本をいくら読み返しても、肝心の「魔道符の作り方」はどこにも記されていなかった。


 それでもウィラードは毎日、解読を続けた。

 だが、やがて自分の限界を思い知る。


 そしてある夕食時、ついにその言葉が零れた。


「シルヴァ、ごめん。僕には無理」


 ウィラードは鹿肉のスープを前に肩を落とした。

 体は冷え切っていたが、スプーンを取る手が動かない。


「ウィルでも無理なら仕方ない。そんなに難しいのか」


 シルヴァは鉄鍋で焼いたばかりのパンを木の皿に乗せ、ウィラードの前に置いた。

 湯気が頬を撫で、香りが胃を刺激する。


「うん。多分、魔道の中でも転移は一番難しい。過去に事故が多かったみたいで、条件が細かく書かれていて……しかも、他人にはわからないよう加工されてる」


「どんな事故か想像したくないな」


 二人は同時にうなずいた。


「時間をかければ解読できるのかもしれないけど、どれだけかかるかわからない。昔の人は完成された魔道符を複製して使ってたみたいなんだ」


「複製……か」


「――とにかく、魔道書を読んだからって、どうにかなるものでもなさそうだよ」


 ウィラードはようやくスープを口に運んだ。温かさが体に戻る。

 シルヴァは匙を握りながら、眉間にしわを寄せた。


「そうか。――まあ、そりゃ難しいよな。転移した先が壁の中とか、人がいたりしたら怪我するもんな。そういう事故を防ぐ仕掛けが施されてるんだろう。昔のが残ってりゃいいが……もうないか」


「アレスルしか使えなかったっていうから、あるとしても、ここじゃなくエル・カルドだと思う」


 シルヴァはスープを飲み干し、匙を椀に戻した。

 暖炉の火がぱちりと爆ぜ、橙の光が二人の間に広がる。

 炎を見つめながら、シルヴァは何かを考えているようだった。

 外の何もない静けさが、じわじわと部屋の中へ滲んでくる。


 薪が小さく崩れ、炎がゆらめいた。


「ウィル。〈聖剣の儀〉の時のこと、あれは何だったと思う?」


 ウィラードは答えを探すように、その揺らめきを見つめた。


「……事故とは思えない。誰かが仕掛けたんだと思う。僕がアレスルになるのを嫌がった人――多分、七聖家の誰かだ」


 握り締めた拳がかすかに震えた。


「今回の件は魔道の知識なしには無理だ。昔のアレスルはある程度、魔道を理解してた。なら俺以外のアレスルに絞られるんじゃないか?」


「シルヴァ以外のアレスルって、第二聖家のドナル氏か、第五聖家のグレインネさんの母君しかいないよね」


 ウィラードは、パンで椀の底を拭い、口に運んだ。


「一番怪しいのはドナルだが、魔道の実績があるのは第五聖家のファーラ婆さんだ。だが歳のせいで、もう人前には出ていない。――やっぱりドナルか」


「ファーラさんって、僕は会ったことがないよ」


「もう歳だからな。俺もずっと会ってない」


 シルヴァは暖炉を見つめた。炎は穏やかに燃え、壁にゆらめく影を作っている。


「俺のお袋は第五聖家の出で、ファーラ婆さんの娘なんだ。婆さんは高齢だから、今の第五聖家はグレインネが代表を努めてる。あれは俺の伯母さんだ」


 立ち上がったシルヴァが薪を一つ取り、炎の中へ放り込む。

 ぱちり、と音を立てて火花が散り、崩れた灰が舞った。


「俺は子供の頃、婆さんに世話になった記憶がある。……そうだ、昔、流行り病の時に魔道で何とかしようとしてた。結局、駄目だったけどな」


「流行り病は、魔道では治らなかったの?」


「ああ、一時的に熱を下げるくらいはできたが、治すことはできなかった。その仕組みを知らねばどうにもならなかったんだろう。俺は治ったが、身重だったお袋は助からなかった。……魔道は、決して万能じゃない」


「うん」


 ウィラードは顔を伏せた。

 その姿を見つめ、シルヴァはしばし黙り込む。


 火の音だけが、静かに続いていた。


 やがて彼は、くるりと振り向き、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「そこでだ。魔道で帰るのは諦めて、結界の外へ出る方法を探さないか?」


「え? どうやって? そんな方法があるの?」


「ちょっと、気になる場所があって……。明日、一緒に来てくれないか?」


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