005 大人の事情
そもそもエル・カルドの成り立ちは、七聖家と呼ばれる七人の〈アレスル〉によるものだと伝えられている。
エル・カルドにおいて七聖家は、国のあらゆる政策を決定する最高機関でもあった。
各聖家には一振りずつ聖剣が存在し、その剣を抜くことのできた者が、終生〈アレスル〉としてその家の代表を務めることになっている。
聖剣を抜き〈アレスル〉となれるかどうかを試されるのが〈聖剣の儀〉である。
〈聖剣の儀〉は、七聖家全ての代表立会いのもとで行われる。日頃、七聖家の会合は全て父親のマイソール卿に、代理という名目で丸投げしているシルヴァであったが〈聖剣の儀〉に立ち会うことだけは、代わってもらうことのできない自分の役目だと理解していた。
「で、親父。こんな事を聞くのもどうかと思うんだが、もしウィラード殿下が剣を抜けなかったらどうなるんだ?」
「ローダインへ帰っていただく」
「それ本当か? ……ちょっと、酷くないか?」
シルヴァは思わず目を剥いた。
「仕方あるまい。〈聖剣の儀〉で〈アレスル〉になることが、ウィラード殿下を第一聖家の代表として迎える条件なのだから」
「ウィラード殿下はローダイン皇帝アルドリックの弟君の子だぞ。しかも、母親は第一聖家出身のアラナ夫人じゃないか。そんなぞんざいに扱っていいのか?」
シルヴァはもう一度、水差しから水を注いだ。
「それに親父、ローダインにいる子供ってのは十二歳になったら、みんな帝都に集まってくるんだぜ。地方の親元を離れて、親戚や知り合いの家に世話になったりしながらだ。それって、単に勉強のためだけじゃない。他の子供たちと競い合ったり、人脈を築いたり、大人になってローダインでやっていくための基礎を、そこで作っているんだ。ウィラード殿下は、その大事な時期をここで過ごしてんだぜ。その事の意味を、ここの連中は理解してるのか?」
マイソール卿は、眉をひそめた。
「だが〈アレスル〉になれなければローダインへ帰すというのは、もともとアラナ夫人が言い出したことだぞ」
「アラナ夫人が?」
シルヴァは驚きのあまり、グラスの水をテーブルにこぼした。
「そうだ。それに本来、七聖家はお互い対等な立場だ。そこにローダインの影がちらつくことを、快く思わない人間がいることも確かだ」
マイソール卿は長椅子にもたれ、目を閉じて腕を組んだ。
「正直なところ、儂とてウィラード殿下が〈アレスル〉になったとしたら、どう扱えばいいのか考えあぐねている。何せ他国の王家に関わる人間が〈聖剣の儀〉に臨むなど前例がない。かといって今のエル・カルドには、ローダインの干渉を排除する程の力もない。ローダインからすれば、エル・カルドとの繋がりを密にしたいということなのだろうが、こちらとしては迷惑な話だ。儂らの本音としては、ウィラード殿下には〈アレスル《選ばれし者》〉になどならずに、ローダインへ帰っていただきたいのだよ」
シルヴァは思わず両手を握りしめ、唇をかんだ。苛立ちとも、怒りともつかない感情がふつふつと湧いてくるが、おそらく目の前の父親には理解してもらえないだろう諦めも、同時に浮かんできた。
「それから今回の〈聖剣の儀〉では、ローダインのゼーラーン将軍に立会いをお願いしている。こちらが勝手に決めたと言われては心外だからな。〈アレスル〉は、人間の思惑で決まるものではない。正当な儀式の結果だということを、ローダイン側に見届けてもらわなければならない」
「ゼーラーン将軍? ボドラーク砦の騎士団じゃないか。砦から離れて大丈夫なのか?」
エル・カルドの東の方角に以前、ローダイン皇帝アルドリックが築いた砦があった。フォローゼルからエル・カルドを守るため、ローダインから派遣されてきた騎士団が守りを固めていたものだった。
ボドラーク砦は、さらにフォローゼル寄りの場所にあり、もとはフォローゼルがエル・カルド攻略のために築いた砦であった。
それを一年と少し前に、ゼーラーン将軍率いる騎士団がフォローゼルから奪い取ったのであった。フォローゼルは何度も取り戻そうと仕掛けてきているが、今のところ撃退している。
「ゼーラーン将軍なら、もうお辞めになる。あのボドラーク砦の騎士団も解散だ」
「え? なんで……」
シルヴァは水の入ったグラスを握り締めた。
ゼーラーン将軍は、エル・カルド人にとって特別な存在である。おそらくローダイン人の中で最も尊敬されている人物だろう。
エル・カルドの封印が解けて以来、大陸の他の国々と同じように成り立つために、陰日向となりエル・カルドを支えてくれた人物であった。
マイソール卿は、そっと目を閉じた。
「それは、ローダイン側の判断だ。儂らにはわからん。ただ、もうかなりのお年だからな。仕方のないことなのかもしれん」
「ボドラーク砦はどうなるんだ?」
「代わりの部隊が来るらしい。儂らが、どうこう出来ることではないよ」
自前の軍を持たないエル・カルドとしては、たとえ自分たちの安全に直結する問題であっても、口を出すことは出来なかった。
珍しく考え込むシルヴァを見て、マイソール卿は話題を変えた。
「そういえば、あのボドラーク砦にはセクアの息子がいるだろう」
シルヴァはふっと顔を上げた。
「ああ、ディランだろ。あそこで騎兵団長やってる」
「知ってるのか?」
「そりゃ、砦へは何度も行ってるから。食うに困ったら、とりあえずあそこで世話になってるな。馬の世話をしたり、飯場で飯作ったり、仕事はいくらでもある」
マイソール卿は思わず声を荒げた。
「お……お前、そんなことをやっているのか!」
おまけに、ここからボドラーク砦までは馬で三日ほどであった。そんな近くにいるのなら、なぜ三年も帰ってこないと言いたかったが、マイソール卿は言葉を飲み込んだ。