042 流刑地の生活 二人の行方④
流刑地での暮らしは、完全な自給自足だった。
朝から晩まで、手を動かさなければ命が続かない。何よりも、食料の確保は日々の課題だった。
老人たちが蓄えていたのは、冬を越すには心もとないほどのわずかな穀物だけ。
だから、シルヴァとウィラードは狩りや漁に奔走した。鳥、ウサギ、魚──時には鹿のような大きな獲物までも食料となった。
だが、それを食卓に上げるまでの過程となると、ウィラードにはどうしても手が動かなかった。
動物の皮を剥ぎ、肉をさばく行為は、幼いころから慣れていない者には抵抗がある。
シルヴァに「無理をするな」と言われると、ウィラードは小さくうなずき、その場を離れて集落の外れを歩いた。
灰色の雲が低く垂れ込み、風が凍ったように重い。吐く息が白く散り、空気に溶けていく。
その下で、二人の老人が麦畑を見に来ていた。
ウィラードも並んで畑を見やる。
老人たちの手が耕せるほどの狭い畑。雪の下から、かすかな緑が顔を出していた。
鳥の群れが羽音を立てて舞い降りると、老人たちは杖を振って追い立てる。
その仕草のぎこちなさが、かえって切なかった。
雪間の草のようなものが、やがて麦となり、小麦粉となり、パンとなる。
その循環が大陸のあらゆる土地で繰り返され、無数の人々の糧となっているのだと思うと、ウィラードは胸の奥が熱くなった。
小さな草が、こんなにも偉大に思えるとは。
夜、鳥肉の入ったスープと焼きたてのパンを囲んでの夕食。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、橙色の光が皿の縁を揺らしている。
シルヴァが匙を置き、穏やかに切り出した。
「なあ、じいさんたち。ここでずっと暮らすつもりなのか?」
二人の老人は、白い眉を寄せ合い、互いの顔を見た。
匙を持つ手が止まり、寒さで赤らんだ頬がさらに紅くなる。
「どういう意味じゃ? 儂らは、ここ以外に行く所はないぞ」
シルヴァは深く息を吸い、少しだけ言葉を選んだ。
「ここんところ、じいさんたちの生活を見てたけど……もう成り立ってないよな。
人がいた頃は良かったんだろうけど。二人きりじゃ限界だろう」
その言葉に、老人たちは沈黙した。
皿の湯気が細く揺れ、静けさが部屋に降りてくる。
彼らも、うすうすは気づいていた。
畑、家畜、住まいの手入れ──自給自足の営みは、老いた身体にはあまりにも重かった。
だが、それでも彼らに他の選択肢はなかった。
この地に骨を埋める覚悟で、ただ朽ちていくのを受け入れている。
二人はごくりと息を呑み、湯気の向こうをぼんやりと見つめていた。
「なあ、俺たちと一緒にエル・カルドへ行かないか?
これでも俺は、七聖家の人間だ。じいさん二人養うくらいは出来る」
シルヴァの申し出に驚いたのは、むしろウィラードだった。
膝の上で握り締めた手に、汗が滲む。
「儂らはここしか知らん。ここ以外に行く所はない」
節くれだった手が、小さく震えていた。
シルヴァは静かにスープを口に運ぶ。
「そんなことはない。どこへ行ったって、案外生きていけるもんだぜ」
老人たちはまた顔を見合わせた。
外の世界を想像することすら、彼らにはなかったのだ。
「……ちょっと……考えさせてくれ」
夜気がしんしんと降りるなか、小屋へ戻ったウィラードは寝台にもぐり込んだ。
寒いはずなのに、握り締めた手は汗ばんでいる。
暖炉に火が入ると、橙の光が壁を揺らし、炎が落ち着くたびに小屋の中が少しずつ温もりを取り戻していった。
「シルヴァ。僕は……全然なってなかった」
「何がだ?」
シルヴァは暖炉の前に座り、大工道具の手入れを始める。鉄の擦れる音が、夜の静けさに溶けていった。
「僕は、自分たちがここから出ることしか考えてなかった。
おじいさんたちのことなんか、全然考えようともしていなかった。……僕は、駄目だ」
不意に、シルヴァの手が止まる。
燃えかけた薪から白い湯気が立ちのぼり、煙とともに消えていく。
室内の空気が少しずつ柔らかくなった。
「別に、駄目じゃないだろう。若い時は、自分のことで精一杯だって。
俺だってそうだった。お前の倍は生きてる分、多少の目端が効くだけだ」
「そうかな。僕は、もう人間として駄目な気がしてる。
いくら勉強したって、周りの人に目がいかないようじゃ……」
ウィラードは頭から掛け布を被って丸くなる。
寒くもないのに、体が微かに震えた。
「そんな事、言うなよ。俺だって完全に善意でやってる訳じゃない。――これは、駆け引きの一種だ」
「駆け引き?」
掛け布の隙間から顔を出し、ウィラードは目を見開く。
「ああ。人間ってのは、何かをしてもらってばかりだと、居心地が悪くなるもんだ」
シルヴァは珍しく、口の端を上げた。
その笑みの意味を、ウィラードは掴みかねる。
どこか遠い記憶の中にあるような、人間らしい温かさが滲んでいた。
「シルヴァは、そういう事をどこで勉強するの?」
「勉強なんかしてない。人と付き合っていくうちに、勝手に覚えるんだよ」
彼は再び道具を磨きはじめる。木の取っ手を撫でる手つきに、長い年月の癖が染みついていた。
「シルヴァは、どうして帝都に勉強に来なかったの?」
「あれか? ローダインの子供は、十二になったら帝都へ出て勉強するってやつか?」
ウィラードは小さくうなずく。
「うん。ローダインだけじゃなくて、帝国中のいろんな国からも来てたよ。
商業自治州や辺境の領主の家からも。ディランはゼーラーン将軍の家にいた」
「その頃、俺はそんな風習があるなんて知らなかったし、知ってても、たぶん行かなかっただろうな。勉強は、どうにも性に合わない」
「するのは、勉強だけじゃないよ」
帝都では、学びと同じくらい交流が重んじられていた。
少年たちは多くの国から集まり、そして散っていく。
その絆がやがて帝国全体の結び目になる。
かつて王族が行き来して築いた縁が、今は諸侯や名家の子らによって受け継がれていた。
「ああ、でも俺は、いろんな場所を見て回る方を選んだかな」
「どうして?」
シルヴァは手を止め、天井を見上げる。
火の粉が弾け、ぱらりと散った。
「自分の目で確かめたかったんだ。
子供の頃は、エル・カルドが世界のすべてだと思ってた。
けどある日、国が開けてわかったんだ。
その先に、もっとたくさんの国と人がいるって。
それだけで胸が高鳴った。何でもいいから、この目で見てみたかった」
燃える薪が崩れ、赤い火の粉が舞った。
「大人になれば外へ行けると思っていた。
でも待っていたのは〈聖剣の儀〉だった。
聖剣を抜けば〈アレスル〉となり、一生国に縛られる。
頭では分かっていたけど、どうしても諦めきれなかった。
〈聖剣の儀〉が終わって気づいたら、もう国を飛び出してたよ」
シルヴァは新しい薪をひとつ、暖炉に放り込む。
ぱち、と小さな音が弾けた。
「言葉もろくに分からなかったが、仕事をしているうちに覚えた。
出会った人たち、みんなが俺の先生だった。
外で生きることそのものが、俺にとっての勉強だったんだ」




