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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第七章 帝都エゼルウート
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037-2 アルドリック ローダインにて②

 アルドリックは使者に書状を持たせ、アラナ夫人のもとへ向かわせた。

 長椅子に腰を下ろし、湯気の消えた酒杯に口をつける。渋い顔をわずかに歪める。


「そういえば、コンラッドはいくつになったんだっけ。……あ、うちのレオンハルトと一緒だったね。二十七か」

「左様で」

「彼は中央へ戻ってもやっていけそうだな。オーレリアに似て物腰も柔らかいし、むしろこっちでの仕事の方が向いているかもしれない」


 磨き上げられたテーブルに杯を置く。

 アルドリックは両手の指を組み、ゼーラーン卿を見据えた。その瞳からは、先ほどまでの軽さが消え、冷ややかな光すら滲んでいる。


「――でも、ヴォルフ。俺は、ディランに手柄を立てさせろとは言ったけど、コンラッドに何もさせるなとは言っていないよ。コンラッドは何を考えているんだ? 戦場にほとんど出なかったね」


 ゼーラーン卿はゆるやかに杯の縁をなぞり、しわ深い眉を伏せた。低く掠れた声が、暖炉の音に溶ける。


「わかりませんな。以前は、騎兵団長も、ディランが無理なら自分がやると言っておりましたが、いつの間にか言わなくなりました。……ただ、頻繁に中央と書簡のやりとりはしていたようですが」


 火がぱちりと爆ぜた。

 音の余韻が長く室内に残り、やがて静けさが重く積もっていく。二人のあいだに、言葉を阻む壁のような沈黙が落ちた。


 アルドリックは長椅子に深く沈み込み、しばらく思案に耽る。やがて低く、しかし明瞭に口を開いた。


「まあしかし、ディランは残念だな」

「残念……ですか?」


 ゼーラーン卿は白い眉を寄せ、胸の奥から長い吐息を押し出した。戦場と政を渡ってきた年月の疲れが、その吐息に重く混じる。


「彼は、生まれてくるのが遅すぎた。乱世にいたのなら、戦場で力を存分に発揮できたろうに。今のローダインでは、せいぜい暴動かフォローゼルとの小競り合いがあるくらいだ」


 そして、顔を上げてにやりと笑う。


「俺の若い頃にいてくれたら、もっと楽ができたのに」

「楽をさせてやれませんで申し訳ありませんな」


 ゼーラーン卿は唇の端をわずかに引きつらせ、苦笑めいた声を漏らした。


「ディランは辺境にいる方が良いかもしれません。傭兵たちを良くまとめていましたし、なまじ正規兵に囲まれるより……」


 アルドリックはテーブルを叩いた。


「だめだめ。若いうちはいろんな経験しないと。……得意なことばっかりやらせてたら、ろくな将にならん」


 ゼーラーン卿の眉がわずかに動く。だが言葉はのみ込み、ただ姿勢を正した。

 短い間。

 暖炉の炎がはぜるたびに、沈黙がさらに濃さを増す。


 アルドリックは一拍おいて口角を上げる。


「ここでも頑張ってもらうさ」


 暖炉の炎に照らされ、アルドリックの顔はめまぐるしく揺れた。笑みに刻まれた皺は一瞬だけ少年の顔を覗かせ、影が深く落ちると老獪な獣の冷たさを帯びる。


「……でも、今のままじゃ、ちょっと不安だね。彼はローダインでの基盤が無さ過ぎる。いくら有能でも、何かあるとあっという間に追い落とされるよ。誰か、有力なローダインのご令嬢とでも結婚してくれると安心なんだけど。心当たりはないか?」


 ゼーラーン卿は目を伏せ、暖炉の炎を見つめる。その眼差しに遠い影が差した。

 返答の前に、静けさが長く横たわる。炎が軋む音が、妙に大きく響いた。


「……昔も……そんな事を言われましたな」


「ブルーノの時は世話になったね。結果的に、オーレリアには可哀想な事をした」

「あの当時の妻というのは、そういうものでした」


 ゼーラーン卿は白い髭に手をやり、かすかに頭を振った。


「私めも、多くの部下を失いました」


 その声が途切れた瞬間、『眠りの鐘』が一度鳴り、二人は押し黙った。

 鐘の余韻が静けさに溶け、夜の鳥の羽ばたきが遠ざかっていく。


 やがてアルドリックは唐突に笑い出し、長椅子に身を投げ出した。


「いや、しかし本当にボドラーク砦を落とすとはね。砦陥落の知らせを聞いた時の、中央連中たちの慌てる姿といったら見物だったよ」


 ゼーラーン卿は口を開いたまま固まる。杯を静かに置き、深い皺の奥から視線を向ける。砦を落とせと命じたのも、フォローゼルの王子の首を取れと命じたのも、他ならぬアルドリックだった。


「フォローゼルと本格的な戦でもするおつもりですか? あそこは東国との緩衝地として、そのままにしておくという話では……」

「今のフォローゼルにうちと本格的な戦をするだけの余裕はないよ。王は長く伏せっているし、跡継ぎの王子は女嫌いで妃も側室もない。国としては非常に不安定だ」

「なおさら、あまり刺激する必要もないでしょう。それに先日、東国の女性を側に置いているとの報告を受けましたが」


 ゼーラーン卿は声を抑え、火の奥を見据えた。年老いた眼差しには、政治の裏に潜む罠を嗅ぎ取る鋭さが宿る。


「それも実態はよくわからない。側室のつもりなのか、別の意図があるのか」


 アルドリックは寝転んだまま、天井をじっと見上げた。炎の影がゆらぎ、瞳に複雑な色を映す。


「――密偵の報告は続けてもらうよ。フォローゼルがこのまま引き下がるとも思えないしね。交代直後の部隊は狙われやすい。雪解月の頃には、あのあたりの兵を強化しないと――」


 彼は寝転んだまま、宙を指でなぞった。まるでそこに地図が広がっているかのように。


「それからヴォルフ。将軍職を辞めても、選帝侯としてはまだ頑張ってもらうよ」

「まだ、隠居はできませんか」


 ゼーラーン卿は深い皺の刻まれた顔に、かすかな諦めの微笑を浮かべた。


「ははっ、自分だけ隠居しようなんて――そんなの許すわけないだろ?」


 アルドリックは勢いよく起き上がり、両腕を大げさに広げてみせた。その口元には、悪戯を企む少年そのままの笑みが浮かんでいた。


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