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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第七章 帝都エゼルウート
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037-1 アルドリック ローダインにて②

 アルドリックは、ゼーラーン卿とコンラッドを皇帝の執務室へと招き入れた。


 深紅の帳が垂れ、重苦しい影を壁に落としている。その下には威厳を湛えたローダイン王国時代の肖像画が並び、幾世代の眼差しが訪れる者を見下ろしていた。


 磨き込まれた古の調度品に蝋燭の炎が揺らぎ、光が彫刻の細部を浮かび上がらせる。毛足の長い絨毯は歩みの音を吸い込み、沈黙がかえって耳を打った。


 そこへ蝋の匂いと羊皮紙の乾いた香りが静かに混じり合い、厚い空気をさらに重くした。


 二人がその絨毯にひざまずこうとした瞬間、アルドリックは軽く手を上げて制した。


「ヴォルフ、コンラッド。面倒なことは止めようよ。俺たちの仲だろう?」


 ゼーラーン卿は袖口をきゅっと正し、低くたしなめるように言った。


「面倒とは何ですか。陛下のお立場をお考えください」


「そんなの、公の場だけでいいよ。正直、ひざまずかれてる間、どんな顔してりゃいいのか、いまだにわかんないんだよね」


 軽口めいた声音に、ゼーラーン卿は視線を逸らし、袖口をもう一度整えた。抑えきれぬ苛立ちが、その几帳面な仕草ににじんだ。

 いつものことではあったが、その姿を見てコンラッドは祖父の体調を案じずにはいられなかった。


 この皇帝の冗談は、かつては身を守る術だと教えられていた。だが今となっては、それが本心なのか演技なのか、彼には判じがたかった。


 アルドリックは二人を天鵞絨張りの長椅子へと導き、小姓に温かな葡萄酒を運ばせた。そして人払いを済ませると、深く椅子に腰を下ろし、堰を切ったように言葉を吐き出した。


「ヴォルフ。俺は、もう限界」


 葡萄酒の杯を机に置き、深く息を吐いた。

 声音は冗談めいた軽さを欠き、疲労と苛立ちがにじんでいた。


「あのね、俺もう五十だよ。いつまで働けばいい? 一生このままなのか?」


 拳が膝の上でぎゅっと握られ、節が白く浮かぶ。


「みんなが自由に生きられるように頑張ってきたのに、頑張った俺には自由がないって、どういうことだ」


 声は震えていなかったが、その瞳の奥でかすかな疲弊が滲んでいた。

 その叫びに応じる者はなく、蝋燭の炎だけが細く揺れた。


「若い時は我慢できたさ。でも、四十を過ぎて五十になると、自分を抑えられなくなる。このまま六十になったら赤ん坊みたいに駄々をこねるかもしれない。――老人がわがままになるって話、今まさに実感してる」


 アルドリックは天を仰ぎ、閉じた瞼の奥で呻くように言葉をこぼした。


「老人がわがままとは、聞き捨てなりませんな。私めは六十を超えても働いてきましたぞ」


 背筋は板のように伸び、頑なな声に揺らぎはなかった。

 ゼーラーン卿は眉間に指を押し当て、短く息を吐いた。

 机上の炎が皺を際立たせ、頑なな表情を照らした。


「コンラッドとディランに任せて、楽隠居してたくせに」


 アルドリックは恨めしそうに目を細め、友を睨んだ。


「楽隠居ですと? 誰が、そのようなことを」

「あれ。そういえば、頭数が足りないんじゃないか?」


 コンラッドはようやく話の隙を見つけ、安堵して口を開いた。

 そして、エル・カルドで起きた出来事を余さず皇帝に伝えた。


 アルドリックはそれまでの軽口を閉ざし、眉間に深い影を落としたまま耳を傾けていた。


「――じゃあ、表向きはウィラードの体調不良により〈聖剣の儀〉は延期ってことにしたんだ。それはいいとして、エル・カルド側は二人の行方、本当に心当たりがないのかな?」


 その声は低く、固く組んでいた手をようやく解く仕草が添えられた。


「会議での様子を見る限りは……。ただ、ディランは怪しい人間にあたりをつけているようです」


 アルドリックは重々しくうなずいた。


「なら、任せよう。どのみち、他の人間では会話すらできない。ディラン以外に目撃者はいないのか?」

「一応、もう一名確保しております。バルドの弟子で、トーマという少年です」


 その名にアルドリックの瞳がわずかに見開かれた。


「バルドに弟子がいたのか。吟遊詩人か……証人としてはどこまで信頼されるか疑わしいな。どちらにしても、しばらくはエル・カルドとディランに任せるほかない」


「しばらくの間、と申しますと」


 ゼーラーン卿は座ったまま背筋を伸ばし、息を整えた。


「しばらくだよ。世間が騒ぎ出すまで、という意味だ。よりによって魔道とは……出来れば表沙汰にせずに片付けたい。エル・カルドを疎んじている者は少なくないからな」


 アルドリックは短く鼻を鳴らした。

 その音は笑いとも溜息ともつかず、空気を震わせた。


「ただし、サディアスとアラナには真実を伝えておくべきだろう。どうする? 俺から話そうか、それとも……いや、コンラッド、君に任せる」


「私が……サディアス様とアラナ様にですか?」


 コンラッドは息を呑んだ。

 まさか自分にそのような役が与えられるとは夢にも思わなかった。


「サディアスは地方視察で雪解月までは戻らない。だから、まずはアラナに話してほしい」

「……かしこまりました。陛下」

「よし。先触れを出すから、散歩でもしながらゆっくり向かってくれ」

「今からですか?」

「こういう事は早い方がいい。君たちが戻ったと知れれば噂も立つ。その前に、真実を伝えておかねばならない」


 コンラッドは深くうなずき、執務室を退出した。

 扉を閉めた瞬間、胸の奥に重石を抱えたような感覚が残る。


 自分の名が呼ばれたときの驚きと誇りが、まだ胸の奥で入り混じっていた。

 冷えた石壁から夜の冷気が忍び込み、背筋を震わせた。

 言われた通り歩調をゆるめ、灯火に揺れる影を追いながら、アラナ夫人の邸宅へと向かっていった。


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