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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第六章 結界の中で
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031-1 流刑地 二人の行方①

 朝、目を覚ましたシルヴァは、寝台で眠っているウィラードの姿を見やった。起こさぬよう気を配りながら、今にも潰れそうな小屋からそっと外へ出る。


 薄い霧が白く漂い、冷えきった空気が肌にまとわりつく。吸い込んだ息はすぐ白く凍り、喉の奥に刺さった。足元には雪がかすかに積もり、踏みしめるたびに乾いた音が静寂に滲んでいく。


 昨夜の出来事は夢のように思えたが、やはり自分たちは「流刑地」とやらにいるらしい。外の景色はエル・カルドと大きく変わらぬが、わずかに標高が高いように感じられる。


 大陸の様々な土地を巡ってきたシルヴァにとって、その土地ごとの空気の違いは肌で明確に感じ取れるものだった。ここも、エル・カルドと地続きの空気を持ちながら、どこか閉ざされた淀みを孕んでいる。


 それほど近いなら、何かしら噂を耳にしていてもよさそうなものだが……。ここもまた、かつてのエル・カルドと同じく、長きにわたり結界に覆われてきたのだろうか。


 びゅう、と風が吹き抜け、頬を斬る。


(やっぱり、この格好は寒いな)


 ローブのフードを深く被り直し、両手に息を吹きかける。自然と、昨夜の老人たちとの会話が脳裏に甦った。


     ◇         ◇


 洞窟の焚き火の前で、シルヴァは老人たちに問いかけていた。


「エル・カルドの流刑地って、何だよ」


「お前さんたちは〈アレスル(選ばれし者)〉なのだろう? なのになぜ、この流刑地のことを知らん?」


「俺は何も聞いてない。昔の流行り病で、多くの人が急に死んだから……記録も伝承も、途切れたんだ」


 老人たちは焚き火越しにしばらくシルヴァを見つめていた。深い皺に炎の赤が揺れ、沈黙の長さだけが答えの代わりになる。やがて一人が腰を上げ、薪を蹴って火を消す。煙の匂いが漂い、低く掠れた声が落ちた。


「……ついて来い」


 シルヴァは、動けぬウィラードを背負い、灯りを持つ老人の背を追った。洞窟を抜け、夜の山道を下ると、霧の底に埋もれるような集落が現れる。屋根は半ば崩れ落ち、壁には苔が張り付き、窓枠は闇に口を開けていた。灯りはひとつもなく、ただ冷えた風が軋む板壁を叩き、湿った木の匂いが漂っている。そこに人の営みの温もりが途絶えて久しいことを、沈黙そのものが語っていた。


「まさか、エル・カルドの封印が解けていたとはな」

「それも二十五年も前のことだ。それより……ウィラード殿下は大丈夫か? さっきからずっと、朦朧としている」


 シルヴァは背に負ったウィラードを振り返る。


「初めて魔道で転移してきたアレスルは、大抵そうなった。休めば治る。むしろ、お前さんみたいに動ける方が珍しいくらいじゃ。――ほら、ここの小屋を使え。ちょっと前まで人が住んでいたから、まだ使える」


 見上げた小屋は今にも崩れそうで、屋根も壁も修繕の跡だらけだった。


 シルヴァは崩れかけの小屋を見上げ、しばし言葉を失う。屋根から滴る露が、ぽたり、と静寂を裂いて落ちた。やがて低く息を吐き、躊躇うように声を洩らす。


「……ここの住人は?」


 老人は視線を逸らさず、しわがれた声で短く答えた。


「死んだ。高齢の婆さんじゃった」


 老人はガタついた扉を開け、暖炉に火を入れる。部屋がほの明るくなる中、シルヴァはウィラードを粗末な寝台に横たえ、掛け布をかけた。


「今日は休め。明日、また話をしよう」


 言葉に従い、シルヴァは暖炉前の敷布に横になった。聞きたいことは山ほどあったが、長い一日を終え、思考を手放した。


「明日になれば、もう少しわかるだろう」


 そう呟いて、眠りに落ちる。


     ◇         ◇


 翌朝、外に出たシルヴァは小屋を振り返った。苔に覆われた屋根はしっとりと朝露を吸い、草の根が瓦の隙間を割って伸びている。壁も扉も幾度も繕われた跡があるが、その板は湿り、わずかに軋んでいた。

 周囲には骨のように崩れかけた小屋が点々と並び、村の残滓だけが冷たい空気に晒されている。遠くで家畜の鳴き声がかすかに響いたが、それすらも霧に呑まれ、すぐに沈黙へと溶けていった。


 背後で戸がぎしりと鳴り、シルヴァは振り返る。冷気を遮る板戸の隙間から、ウィラードが顔をのぞかせていた。頬は赤く強張り、吐く息は白く震えている。


 朝の霧が二人の間を流れ込み、短い沈黙をつくった。やがてシルヴァは小さく息を吐き、声を掛ける。


「……殿下、お目覚めですか」


 シルヴァは小屋に戻り、暖炉に火を入れて部屋を暖めた。そしてウィラードに昨夜の老人たちの話を伝える。だが、彼もまた「流刑地」については何も知らなかった。


 そこへ老人たちが鍋を抱えて入ってきた。よろめく足取りに鍋がかすかに揺れ、白い湯気がふわりと立ちのぼる。野菜の甘い匂いが冷え切った小屋に広がり、重苦しい空気を一瞬だけ和らげた。


「起きたか。こんな物しかないが、食べなさい」


「悪いな、じいさん。重かったろう。言ってくれりゃ取りに行ったのに」


 シルヴァは鍋を受け取り、棚にあった木の器にスープを注ぐ。ウィラードに差し出すと、彼は無言でそれを受け取り、器の熱にわずかに安堵したように息を吐いた。シルヴァはその様子を横目に見ながら、自分の器を満たして腰を下ろす。言葉を交わすより先に、冷えた腹を温めることを優先した。


「ありがとよ。腹減ってたんだ。……ちょっと薄いな」


「岩塩ならあるぞ。調味料といえば岩塩か蜂蜜ぐらいじゃがな」


 二人が夢中でスープをすすり込む音が、静かな小屋にやけに大きく響いた。老人たちはしばし目を見張り、やがて視線を交わす。ただその勢いに圧倒され、苦笑とも呆れともつかぬ表情を浮かべていた。



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