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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第六章 結界の中で
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029 鳥籠の鷹 城外の館①

 ディランが衣服を正して城門で待っていると、跳ね橋の向こうから二頭立ての箱型馬車がゆっくりと近づいてきた。黒い車体の前後には四人の衛兵が馬に跨り付き添っているが、その姿勢はどこか緩慢で、真の護衛には到底見えなかった。


 馬車が停まると、ドナルが悠然と姿を現し、扉を開けてディランを招いた。彼に導かれて中に入ると、革張りの座席が重苦しく息苦しい空気を纏っている。ディランは向かいの座に腰を下ろし、ドナルが御者へ声をかける。車輪がきしみ、馬車は静かに動き出した。


 車体を覆う黒革は冷たく、窓は厚いカーテンで閉ざされている。わずかな隙間から淡い冬の光が差し込み、薄白い線を床に落とす。革の匂いが濃く、息を吸うたび胸に重く沈んでくる。


 ドナルは肘掛けに頬杖をつき、視線を上げる。瞳は細まり、刃物のように鋭い光が宿っていた。


「君は、何故わざわざ使用人のような格好をしてきたのだ。仮にも七聖家の人間だろう。おまけに剣までぶら下げて。戦にでも行くつもりかね」


 挑発に満ちた声。ディランは表情を崩さず、淡々と返す。


「ご不快でしたか。城外へ出るのなら、いつ剣が必要となるかわかりません。長衣は戦いには不向きです」


 彼は鞘に軽く手を添え、視線を鋭く返した。車内に沈黙が落ち、革の軋む音すら遠のく。


 ドナルはその手元を眺め続け、やがて興味をなくしたように肩を揺らし、視線を逸らした。


「嘆かわしい。せっかくの美しさが台無しだ。灰色の服が使用人のものと知らんのかね」


「……そうでしたか」


 素っ気ない一言。ドナルは深く息を吐き、わざとらしくため息を落とす。


「君の母君は、エル・カルドの慣習をあまり教えなかったようだね」


「ローダインで生きて行くには、不要なものだと思ったのでしょう」


 ディランの声は静かだが、唇はわずかに固く結ばれていた。ドナルは片手を振り、これ以上のやりとりに意味はないとばかりに目を閉じる。


 しばらくして、馬車の揺れが激しくなった。舗装されていない道を走っているのだろう。突き上げる衝撃に身体が浮き、ドナルは口元を緩ませた。


「ボドラーク砦の騎兵団長も、馬車には乗り慣れていないようだね。心配はいらないよ。ここはよく通る道だ」


 数度の方向転換の後、揺れが収まる。馬のいななきとともに車輪が止まった。


 扉を開けば、濃い霧が押し寄せる。湿り気が髪にまとわりつき、吐息すら霧に吸い込まれる。視界は閉ざされ、声を発しても遠くへは届かないような、奇妙に重い空気だった。


 霧の中から、二階建ての館が姿を現す。塀も柵もなく、荒地にぽつんと建ち、背後には木蔦に覆われた木々が影のように並んでいる。


 ドナルが扉の呼び鈴を鳴らすと、白いシャツに灰色の上着を纏った十八ほどの少年が現れた。肩で切り揃えられた金色の髪が、霧の白に淡く映える。


 館内に足を踏み入れると、外の寒さは和らぐ。だが広い空間は異様なほどに静かで、足音すら厚い絨毯に吸い込まれてしまう。窓は霧に曇り、廊下の光はぼんやりと滲んでいた。


 少年に導かれ、暖炉のある応接室へ。炎が壁を照らし、木の燃える匂いが漂う。その温もりに、ディランは知らず息を吐いていた。


 そこには三人の少年が待っていた。金色のフィオン、栗色のルーイ、幼い黒髪のキアラン。三人は一斉に視線を向ける。慎ましく、好奇心を隠しきれず、あるいは驚きに口を開けて。


「お前たち、お客様だ。しばらく滞在されるので失礼のないように」


「滞在?」


 硬い声がディランの喉から漏れる。


「おや、本当に魔道書を見て帰るつもりだったのか? 君の目的は、そんなことではないだろう?」


 ドナルの合図に、フィオンが丁寧に頭を下げ、二人を連れて部屋を出ていった。


 ドナルは長椅子に腰を下ろし、琥珀色の液体をグラスに注ぐ。芳醇な香が立ち昇り、空気を満たした。


 ディランは冷ややかに問う。


「ウィラード殿下とシルヴァは、どこに?」


 ドナルは平然と笑みを浮かべ、グラスを傾ける。だがその目は氷のように動かない。


「残念だが、私も知らぬ。それを調べるのは、君の役目だろう?」


 沈黙が落ち、炎の爆ぜる音だけが響く。ドナルの視線が射抜くようにディランを見据えた。


 ――やはりドナル以外にも魔道符を作る者がいる。ディランは彼の動きを待ち、火酒を口に含む。喉を焼くような熱が体の奥へと沈んでいった。


「まあ、ゆっくり調べるといい。私はじき城内へ戻る。館は好きに使うといい」


 ドナルは乾いた音でグラスを置く。


「但し、地下への入口には結界があるから、入ろうとしても無駄だよ」


 一拍置き、瞳を琥珀へ落とす。


「――それから、もう気づいているだろうが、この館の周りにも結界が張ってある。私ですら勝手に出入りすることは出来ないから、そのつもりで」


 <結界>――失われたはずの魔道が、この場所では当たり前のように存在している。


 ――ドナルは魔道に揺るぎない自信を持っている。秘密を明かし、館を自由に使わせる。それでも逃げられぬ確信があるからこそ。彼は剣すら取り上げようとしない。


 扉を叩く音。フィオンが声をかける。


「お部屋の準備が整いました」


「フィオンについて行くといい。後で館を案内させよう」


 ドナルは扉を押し開け、応接室を後にした。すれ違いざまに少年へ囁く。


「地下へ行ってくる」


 フィオンは静かにうなずき、部屋へ入るとディランに礼をした。


「どうぞ、こちらへ」


 広げた手に導かれ、ディランは部屋へと向かう。


     ◇      ◇


 ドナルは館の奥の隠し扉を開け、白い紐を引いた。鈴の音に応じ、小柄な老人が現れる。灰色のローブに包まれた姿、目だけが闇に光を宿していた。


「お帰りなさいませ、ドナル様」


 二人は階段を下りる。止まったような空気の中、蝋燭の灯りだけが揺れている。


 地下室の中央に、孔雀石が台座に置かれていた。古の文様が淡く光を放ち、老人の顔を不気味に照らす。


「いかがでしたか〈聖剣の儀〉は」


 老人はフードの奥から声を漏らす。


「転移の魔道符は、無事発動したよ」


 その答えに、老人は小さく息を呑んだ。


「ということは、ウィラード殿下は剣を抜かれたのですな。……旦那様もお人が悪い。転移の魔道符を他人で試すなど」


 ドナルは微かに笑う。


「まさか本当に彼が聖剣を抜くとは思っていなかったよ。剣を抜かなければ、あれは発動しないようになっていただろう?」


 黒衣は闇に溶け、長衣の銀糸がかすかに光る。


「ちょっとした事故だよ。試すとは、人聞きの悪い」


 しかし、その笑みに一瞬影が差す。


「だが、シルヴァまで一緒とは予想外だった。彼らは一体どこへ飛ばされたのだ?」


「ご心配なく。ちょっとやそっとでは帰れぬ所です。もしかすると永遠に……」


 ドナルは目を細め、憎しみを込めて吐き捨てる。


「半分ローダイン人の〈アレスル(選ばれし者)〉など、とんでもない話だ。彼らは帰らなくていい――だが、聖剣は必要だ」


 老人はうなずき、低く笑った。


「人にかしずかれて生きてきた人間が、あそこで生き延びることなどできません。いずれ回収に行きましょう。あそこには他にも面白いものがございます」


 老人が椅子に腰を下ろすと、ドナルは孔雀石を指先で転がし、蝋燭の炎にかざした。


「こちらからもう一つ、土産がある。ボドラーク砦の元騎兵団長を連れてきた」


「ほう。それは、それは。フォローゼルにばら撒いた魔道符は、意外と早く対応されてしまいましたな」


 孔雀石の揺らめきを追い、ドナルは目を細める。


「思ったより優秀な子のようだ。ただし――」


 蝋燭がジッと音を立てる。


「例の件が済むまでは、あの子に城内に居られては困る。『あの男』と鉢合わせでもしたら、どうなることやら」


 光が揺れ、影が壁に大きく踊った。


「まさか自分から飛び込んでくるとは思わなかったがね」


「おとなしくしているでしょうか」


 老人の問いに、ドナルは低く笑う。


「おとなしくしてもらわねば困るよ」


 炎がぱちりと弾け、沈黙が落ちる。


 その闇の中で、ドナルの瞳だけが鋭く光った。


「見た目は美しいが、中身は獰猛だ。まるで鷹だな」


 炎が再び弾け、影が大きく揺れる。


「――鷹は鳥籠の中では飛べない。彼には思い知らせねばならないね」


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