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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第四章 聖剣の儀
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025 夜更け

 深夜、コンラッドはディランの部屋を訪ねていた。

 城全体が息を潜めたように静まり返り、外の雪明かりさえも白く窓硝子に張りついている。廊下に吊るされた燭台の炎は小さく震え、影だけが壁を這い回っていた。


 自室へ戻る気にはなれなかった。胸の奥に溜まった不安が、ひとりきりではどうにも持ちこたえられそうにない。ウィラードはどこへ消えたのか。何から手をつければ良いのか。考えようとすればするほど霧の中に迷い込むようで、落ち着かない。誰かの声を聞いていなければ、得体の知れない闇に押し潰されてしまいそうだった。


 そして――本当にディランをひとりにして良いのか。


 視線をやれば、ディランはいつも通りの面持ちで寝台に横たわろうとしている。その落ち着きぶりが、かえって現実感を奪った。コンラッドはただ、ぼんやりとその背を眺めていた。


「フォローゼルが魔道符を使っていたこと……言わなかったんだね」


 問いかけに、ディランは動きを止める。


「誰が、どう繋がっているかわからないのに、こちらの手の内を晒すこともないだろう」


 その声は冷えて透き通っており、この状況でなお揺らがなかった。マイソール卿が沈黙を守ってくれたことは、確かに感謝すべきだろう。


「そうだね……大丈夫かい?」


 コンラッドの表情は、いつになく深刻だった。もしこれが剣戟の戦場であれば、ここまで怯むことはなかったはずだ。

 だが今、自分たちが足を踏み入れようとしているのは、姿の見えぬ魔道の領域――触れてはならぬものに手を伸ばしているのではないか。その感覚がじわじわと胸を締め上げる。


「また、何か変な心配か?」


 ディランの軽口に、コンラッドは眉を寄せた。


「違うよ。君だって魔道は専門外だろう。何が起きるのか……全く読めない」


 言葉が零れ落ちると同時に、強張っていた表情は一瞬にして不安の色に変わった。


「魔道の事がわかる人間なんか、ほとんどいないだろう。何もかもが手探りだ。……長丁場になるかもな。それに、フォローゼルの動きも気になる。奴らは必ず何か仕掛けてくる」


「そっちの方は、陛下に進言しておくよ」

「陛下の方が経験豊富だ。わかってらっしゃるとは思う」


 それでもコンラッドは、心の底で恐怖に縛られていた。得体の知れぬ力に身を浸されるようで、冷や汗とともに外の冷気までが背に染み込んでくる。だというのに、目の前の友は平然と、何事もないかのように振る舞っていた。


 同じローダインで生まれ育ったはずなのに、魔道に対する感覚はまるで違っていた。これは血の違いなのか。エル・カルド人とローダイン人の差というものなのか。


 思えば、辺境で剣が弾かれる奇怪な現象に遭遇した時も、ディランは迷わなかった。あの場で彼は攻撃の継続を命じたと傭兵たちから聞いた。その咄嗟の判断は、後になって魔道符による結界だったと知れたが――なぜ、あの瞬間に即座に見切れたのか。問いただしても「それでいけると思った」としか言わなかった。


 もし自分だったら。足がすくんで剣を振るうどころではなかったかもしれない。


 そう思い至った時、寝台に横たわる友の背が、急に遠いものに見えた。


「どうした。寝ないのか? 明日は、早いんだろう?」


 ディランは、帰れと言わんばかりの視線を投げる。だがコンラッドは、この場を離れる気になれなかった。このまま帰れば、もう彼は手の届かないどこかへ行ってしまいそうな気がしていた。


「誰か、手伝いに置いていこうか?」


「いや、一人でいい。正直、人の面倒まで見ている余裕はない」


 コンラッドは目を伏せ、深く息を吐いた。


「わかったよ。……ウィラード殿下とシルヴァは、大丈夫かな」


 窓に視線を移すと、丸い模様の施された硝子に雪が張りついていた。白の結晶が冷気を含んで、外気の厳しさを突きつけてくる。この寒空の下に放り出されたのなら、とても無事で済むはずがない――コンラッドの胸は締めつけられた。


 だが、やはりディランは変わらなかった。眠たげに顔だけ向けると、毛布を肩まで引き上げる。


「大丈夫だろう。それについて心配はしていない。そのうち、ひょっこり帰ってくるんじゃないか?」


 まるで信頼が前提であるかのような声音。コンラッドには、その無造作さこそが理解できなかった。ローダイン人の自分には、届かない何かがあるのか。それともただ、友への揺るぎない信頼か。


「そういうのは、七聖家同志で何かわかるものなのかい?」


「別に、そんなものはない。あいつは色んな場所で生活して、順応力だけはあるからな。どこにいても何とかするだろう」


 その言葉は、焚き火の灰のようにふわりと落ちて、会話を終わらせた。


「……そうだね」


 今は、それを信じるしかなかった。

 祈る気持ちを冬の空に託すように、コンラッドは外の雪を見つめていた。


         ◇  ◇


 パチパチと木がはぜる音をぼんやりと聞きながら、シルヴァは意識の底から浮かび上がった。煙が喉に絡み、むせそうになる。


 聖剣の間にいたはずなのに、どこか違う。冷えた敷物の感触が背にあり、炎の光が瞼を透かしていた。体は鉛のように重く、目を開けるのがやっとだった。


 灯火に照らされた壁には黒い影が揺らめく。驚いて身を起こすと、白髪白髭の小柄な老人が二人、ローブを纏って彼のすぐ傍に座っていた。


「うわ、何だあんたら」


 声がやけに洞窟に響いた。

 外からの音は一切なく、焚き火と声だけが反響している。


「『何だ』とは何じゃ。せっかく倒れているところを助けてやったのに。あんたの連れも」


 振り返れば、ウィラードもすぐ側に横たわっていた。


「殿下……殿下!」


 シルヴァが揺すると、ウィラードは重たい瞼を少し開いた。


「……シルヴァ? ……ここ……どこ?」

「ここですか?」


 周囲を見回しても、暗闇ばかりで何も見えない。二人の老人の顔だけが焚き火に浮かんでいた。


「じいさんたち、ここはどこだ?」


 問えば、老人たちは怪訝な顔を交わした。


「お前さんら、ここがどこか知らんときたのかい?」

「何も知らずに、どうやってきたんだ」


 甲高い明るい声と、腹立たしげな低い声が交互に響く。


「……そんなこと、俺に聞かれてもわかんねえよ。〈聖剣の儀〉が終わってから、ウィラード殿下が剣を抜いたら、魔道陣が急に現れて……気がついたら今だ」


 一人の白い眉毛が跳ね上がる。


「ほっほっ。〈聖剣の儀〉とは、懐かしい響きじゃな。まだ続いていたのか」


 もう一人は眉間の皺をさらに深める。


「ウィラード殿下とは何じゃ。エル・カルドは、いつの間に王制に変わったんじゃ?」


 思いがけない言葉に、シルヴァは目を丸くする。


「あんたら、エル・カルド人だろう? 別に王制になんかなっちゃいねえよ。ウィラード殿下は、ローダインの皇弟子殿下だよ」


「ローダインとは、何じゃ?」

「え?」


 シルヴァは唖然とした。この大陸を統べる名を知らぬ者など、いるはずがない。


「ここに人が来るのは何十年ぶりかの。いつの間にエル・カルドは、そんなに変わったんじゃ?」

「前に来たのは、どこの誰じゃったかな。もう、それも忘れた」


「待て、じいさん」


 シルヴァは混乱を隠せなかった。老人たちは顔を見合わせ、不思議そうに肩を揺らす。


「最近の〈アレスル〉は、薄情じゃの。儂らに挨拶もない」

「……一体、ここはどこだ?」


「ここか? ここは――エル・カルドの流刑地じゃよ」


 焚き火の炎がぱちりと音を立て、洞窟に影を広げた。シルヴァの喉が、無意識に息を呑んだ。


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