023 儀式の後
〈聖剣の儀〉の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
石壁を震わせたその音は、祝福よりもどこか冷たく、夜気に溶けながら胸の奥に重い影を落とした。
コンラッドとディランは、凍えるような階段の上で結果を待っていた。
探し人を諦めて戻ったエディシュたちは肩で荒く息を吐き、その気配が沈黙に吸い込まれていく。
やがて、白のローブをまとった人々が一列になって昇って来た。松明が壁に長い影を投げ、布擦れの音がざらついた囁きのように響く。顔には冷ややかな満足の影が漂い、彼らは言葉を交わさず、ただ目配せだけで心を通わせていた。
その後ろから現れたゼーラーン卿は、硬い表情のまま小さく首を振った。その仕草だけで、コンラッドの胸は締めつけられ、言葉にならぬ痛みが喉を塞ぐ。
「……だめだったか」
吐いたつぶやきは鐘の余韻に呑まれ、夜気に溶けた。
ローブの人々は笑い声を響かせながら、石の床に靴音を散らして城の外へ消えていった。
「なーんか、感じ悪いわね。ここの人。それに、ウィラード殿下とシルヴァが帰って来ないじゃない」
「ちょっと、様子を見てくるか」
ディランは暗がりへと続く地下の階段を指さした。
「お願い。さすがに、あたしたちが行く訳にもいかないし。あんたなら……」
ディランは壁に映る灯りの揺らめきを背に、ひとりで階段を降りていく。
一歩ごとに湿った空気が肌へ絡み、古びた樽の匂いが鼻を満たす。壁を伝う冷気が指先を刺し、下るほどに沈黙の重みが全身を包み込んだ。
積み上げられた木樽が影を落とし、その横にある大扉の隙間から、かすかな光と人声が漏れている。
ディランは息を整え、両手で扉を押した。
重い蝶番が軋み――次の瞬間、無数の蝋燭の灯りが一斉に視界を刺した。
広間が姿を現す。円形に並ぶ燭台の列が炎を揺らめかせ、中央の台座を取り囲む。その上には沈黙を保つ聖剣の台。さらに奥では木箱の群れが影を積み上げ、そこだけ異様な雰囲気を漂わせていた。
その中央で、聖剣を手にしたウィラードとシルヴァが向かい合っていた。
「だから、何かおかしいんですよ」
「でも、シルヴァ……」
「殿下、何かありましたか?」
ディランは扉を押さえたまま声を投げた。
ウィラードが振り返り、縋るような眼差しが助けを求めるように彼を捉える。
歩を進めると、蝋燭の輪が肌に熱を寄せ、薄い影が足元を滲ませた。
「シルヴァ、どうしたんだ。もう儀は終わったんじゃないのか?」
問いかけと同時に炎が大きく揺れ、天井の影も荒々しく揺らめく。
「お、ディラン。ちょっと見てくれ。この聖剣、何かおかしい。……もう少しで抜けそうな感じなんだよな」
ウィラードの手に握られた第一聖家の剣。
金属の鞘には異国の文字が刻まれ、柄に嵌められた孔雀石は薄闇の中で小さな光を宿していた。
だが――シルヴァの言う“おかしい”の意味が掴めず、ディランの眉間には静かに皺が刻まれる。
「あ、言っとくけど剣には触るなよ。ディラン、お前だって七聖家の血を引く人間だ。他家の剣には触れちゃだめだ」
シルヴァは真剣な眼差しで鞘を覗き込み、顔を傾けて光の角度を変える。その生真面目さに、ディランは思わず息を吐いた。
〈アレスル〉であるシルヴァが納得していない。
その事実こそが、ただならぬ違和感を際立たせた。
「長いことアレスルが出てなかったから、錆びてるのかな」
「お前の聖剣も長いこと放置されていたろう。錆びたことがあるのか?」
「え? ない」
聖剣の根幹をなすレイテット鋼が錆びないことを思い出し、シルヴァは眉を寄せる。
「じゃあ、誰かが糊付けしたとか……」
彼は顔を近づけ、鞘の隙間を覗き込んだ。その姿をディランは冷ややかに見下ろす。
「……お前の“おかしい”というのは……そういう話なのか?」
「えっと……よく、わからない」
頭を掻く仕草に、ディランは呆れを押し殺す。
一瞬でもこの男に期待した自分が、愚かしく思えた。
シルヴァは帰ろうとするディランの腕を引き留める。その瞬間、部屋の奥からくしゃみが聞こえた。
「誰だ!」
ディランが木箱の裏を覗くと、そこには寒さに震えるトーマがいた。
「トーマ? こんな所で何をしているんだ」
「ごめんなさい。僕、どうしても気になって」
首根っこを掴まれ、トーマはウィラードとシルヴァの前に立たされる。
「ごめんなさいじゃない。こんな所に隠れて。閉じ込められたら、どうするつもりだったんだ」
ディランの低い声に、トーマはすくみ上がった。
「ごめんなさい」
「トーマ。心配で見に来てくれたんだね」
ウィラードの柔らかな声が重く垂れ込めた空気を和らげる。
「ごめんなさい。勝手に入って」
「もういいって。別に、何があったわけじゃなし……そうだ、トーマ。お前、そっち引っ張れよ。お前なら七聖家も関係ないし」
シルヴァが鞘を指し、力技に訴えようとする。
「え? 引っ張るんですか? ……触って、いいんですか?」
「おう」
シルヴァは気合い十分にウィラードを支え、背後から腰に手を回した。
「トーマ、相手にしなくていい」
怒気を帯びた声をディランが投げる。
辺境で「力技かよ」と呆れていた男が、いま自ら力技に縋ろうとしている――その矛盾が、彼にはどうしても許せなかった。
「何いってんだ。お前も、トーマを手伝えよ」
「何で、私が……」
「僕、引っ張りますから……」
――そして。
トーマが鞘を掴んだ刹那、剣は轟音を上げて振動した。
爆ぜる風が重い空気を裂き、広間を突き抜ける。
燭台の炎は一瞬で掻き消え、世界は闇に沈んだ。
ただ一つ――生き残った蝋燭の火が、小さな揺らめきで暗黒を照らす。
残光に浮かんだのは、まばゆい輝きを纏う聖剣の輪郭だった。
「抜けた!」
尻もちをついたトーマの手から鞘が転がり、乾いた音が石床を打つ。次の瞬間、床に魔道陣が閃き、複雑な光紋が連鎖のように立ち上がった。光は奔流となって二人を呑み込み、ウィラードとシルヴァの姿を覆い尽くす。
二人の影は抵抗するように揺らめき――そして、光ごと掻き消えた。
残されたのは、蝋燭の小さな炎と、冷たい石床に転がる鞘だけ。
静寂の中で、ディランとトーマは言葉を失い、ただ空虚を凝視した。
耳に響くのは、自らの鼓動だけだった。
「何だ、今のは」
「凄い衝撃だったぞ」
階段の上から人々の声が押し寄せる。
ディランはトーマの腕を掴み、樽の陰へ押し込んだ。
「ここに隠れていろ」
自らは再び部屋へ戻り、消えた燭台に火を点した。揺れる炎が石壁に長い影を伸ばす。
手にしたのは、床に転がる冷たい鞘。
それは――ウィラードがアレスルであることを示す、唯一の証だった。
けれどその冷たい鞘は、持ち主を失ったまま、空虚だけを残していた。




