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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第四章 聖剣の儀
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022 聖剣の儀

 夕闇が、じわじわと世界を呑み込んでいった。

 城の石壁は墨を流したように黒ずみ、広間へ続く石畳の継ぎ目にまで影が染みこんでゆく。


 その闇のただ中に、ぽつ、ぽつと灯が点る。

 七つの炎は列をなし、近づくほどに繋がり、一本の光の帯となった。揺らめく火は闇を裂くひとすじの光となって、やがて大扉を抜けを押し開き、堂々とした足並みで石造りの玄関ホールを照らし出す。


 白いローブの裾がゆらりと闇に揺れ、下からは各家の色を帯びた長衣がちらと覗いた。打ちそろえられた靴音が石を鳴らし、列は粛々と松明の光を押し広げながら奥へと進む。


 二階の廊下からそれを見下ろすのは、ゼーラーン卿をはじめとするローダインの一行。異国の祭礼を目にして、誰もが息をひそめ、目を凝らしていた。


 その静けさを破るように、階段をどすどすと駆け上がってくる影がある。ローブ姿のシルヴァだ。着慣れぬ長衣の裾を勢いよく振り払い、大きく広げて見せた。


「どうだ? 俺の正装は」


「あはは。シルヴァ、似合わない」


 エディシュの即答に、シルヴァは大げさに肩をすくめる。


「酷えなあ。まあ、俺も好きじゃないんだよ。足がすーすーして腹壊しそうだ」


「おじいちゃんの腹巻き、貸してあげようか?」


「エディシュ。儂、使っておる」


 ゼーラーン卿が厳しい上着の腹を叩いて見せる。皆の口元に笑みが広がり、儀式にそぐわぬ笑い声が石の天井に弾んだ。


 ――だが、その余韻はすぐ凍りつく。


 階下から伸びてくる視線。沈黙のまま、一行を仰ぎ見ている。松明に照らされながらも顔は影に沈み、ただ瞳だけが氷の光を宿していた。


 その視線の多くは、ディランへ注がれていた。第四聖家の色を纏った彼の姿が二階の列の中でひときわ浮き上がる。ディランは煩わしげに顎を逸らし、浴びせられる視線をやり過ごした。


「みんな集まったね。ほら、シルヴァ。呼ばれてるんじゃないか?」


 コンラッドに促され、シルヴァは頭をかきながら列へと消える。白い列はやがて地下へと降りていった。


 続いて現れたのは紫の長衣を纏うウィラード。緊張の影もなく落ち着いた歩みで階段を降り、軽く手を振る。その堂々たる姿を、一行は無言で見送った。


 最後に姿を現したミッダがゼーラーン卿を誘う。やがて戻った彼は静かに告げた。


「もうすぐ〈聖剣の儀〉を知らせる鐘が鳴ります。終了の鐘までは時間がかかります。どうぞ、お部屋でお待ちください」


 ほどなく荘厳な鐘の音が城を震わせ、皆は食堂へと移った。闇に沈む部屋には次々と蝋燭が点り、炎が壁に影を踊らせる。


 エディシュがふと口の端を上げる。


「どうしたんだい?」


 怪訝に問うコンラッドに、彼女は目を輝かせて答えた。


「今、素敵なおじさまがいて……ねえ、ディラン。黒い服のおじさまって誰?」


 一瞬、コンラッドの顔がこわばるのをディランは見逃さなかった。


「黒は、第二聖家……ドナルだったか?」

「そうだね。昨日の打ち合わせにも来てたよ」


 平静を装いながらも、コンラッドの視線は揺れる。


「ふーん。……素敵」


 頬を緩ませるエディシュに、ジルが目を丸くした。


「でも、エディシュさん。帰ったら結婚されるんじゃ……?」


「ジル。それとこれは別。私はすてきなおじさまを遠くから眺めていたいだけなの」


 言い切るエディシュに場がざわつく。ニケが渋い顔で口を開いた。


「しかし、あの方は……四十歳くらいでは?」


 エディシュは頬を赤らめ、指先をもじもじさせる。


「……だって好きなんだもん。ああいう人が。ローダイン女性が好きな要素を全部持ってるし」


「な、なんですか、それは?」


 ジルが食いつくと、エディシュは一本ずつ指を立てて力説した。


「まずは金髪、丸太のような太い腕、それから割れたアゴ」


「……それが、ローダイン女性のお好みですか?」


 ジルは真剣に指を見つめる。


「そうよ。だからジル、あんたはローダインへ行ったらモテるわよ。赤い髪以外はね」


 ジルは嬉しそうに拳を握り、気合を入れた。だがすぐにエディシュは辺りを見回し、首を傾げる。


「そういえばトーマがいないわね」


「どこへ行ったんでしょう? 〈聖剣の儀〉にも姿がありませんでした」


 ニケが窓から外を覗くが、見えるのは闇ばかり。コンラッドは顎に指を当てて思案する。


「外に出れば誰かが見ているはずだが……何か面白いものでも見つけたのかもね」


 何と言っても、あのバルドの弟子である。コンラッドもエディシュも祖父から幾度も武勇伝を聞かされていた。アルドリックがエル・カルドを見つけたのも、元を辿ればバルドの好奇心のなせる業だった。


「そうね。あの子、楽しみにしていたものね。――あたし、ちょっと通訳に聞いてくる」

「私も一緒に」

「俺も」


 ジルとニケも立ち上がり、エディシュの後に続いた。


「終わりの鐘が鳴ったら、戻ってくるんだよ」


 背中にコンラッドの声が響く。残ったのはコンラッドとディランだけ。互いに複雑な顔を見合わせた。


「エディシュがドナルのことを言い出した時は驚いたよ」


 普段冷静なコンラッドが目を閉じ、額を押さえる。


「あいつのおじさま好きは相変わらずだな。結婚は大丈夫か? お前の方が先に決まるんじゃないか?」


 ディランは興味なさげに視線を逸らした。コンラッドはぼそりと呟く。


(君がもらってくれると助かるんだけど……)


 だが、その望みが儚いこともわかっていた。


「それはもう親戚に任せるよ。それより――」


 コンラッドは丸めた書類を取り出し、ディランに渡した。


「ドナルについてクラウスに聞いてきた。五年隣に住んでいた割に、大した話はなかったけどね」


 眉を下げるコンラッドに、ディランは紙を広げた。蝋火に照らされ文字が揺れ、指先に影が踊る。


 ――〈第二聖家アレスル〉、ドナル。四十歳、独身。婚姻歴なし。祖父を流行病で失い、母は第二聖家の血を引く。父は不明。弟には幼い娘がひとり。近年は馬車での移動が多く、外出先の記録は残らず……。


 淡々と綴られた文字を追い、最後まで読み切ると、ディランは無言で紙を丸めた。乾いた音が石壁に響く。


「これを見ると、やっぱり城外での行動が怪しいな」


 背後から覗き込むコンラッドが肩をすくめる。ディランは炎を見据えたまま呟いた。


「もしフォローゼルと接触しているなら、人目の多い城内じゃない。……ただ、マイソール卿の話では城外の建物には結界があるらしい。どう入り込むか、だな」


「そういえばドナル、さっき君を熱心に見ていたね。……大丈夫かい?」

「何が?」

「四十歳、独身、婚姻歴なし」


 言葉は淡々としていたが、コンラッドの指先は紙を無意識に強く押していた。


 ディランは炎を見据えたまま、握った書類をぐしゃりと潰す。


「……コンラッド。一体、何の心配をしてる」


 低い声が、空気を切り裂いた。


「言っておくが、中年の男に愛でられる趣味は無い」

 

 紙を押し戻す音が石壁に乾いた響きを残す。二人の間に沈黙が落ち、蝋の滴る音だけが冷たく響いていた。

 

「わかってるよ。ただ……どうやって近づくのかと思って」


 声にほんの少し掠れが混じる。普段の落ち着きがわずかに揺らぐ。


「マイソール卿に手配は頼んである。後は……考える」


 ディランは炎を見据えたまま答え、コンラッドは小さく息を吐いた。

二人の間に残るのは、冷えた空気と沈黙だけだった。

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