表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第三章 エル・カルドへ
24/195

021-2 マイソール卿

 マイソール卿が顔を上げたとき、暖炉の炎がぱちりと弾け、赤い光がゆらめきながら室内を照らした。その揺らぎに導かれるように、ディランの指先が視界に差し込む。

 そこに浮かんだのは孔雀石の指輪。深緑の石が炎を受け、まるで森の奥に眠る泉の水面のように深く煌めいていた。


 ――セクアが結婚の折、キリアンから贈られたものだ。

 祝宴のざわめき、寄り添う二人の笑み、誇らしげに満ちていた幸福の気配。忘れたはずの情景が鮮烈に甦り、卿の胸を熱で押し広げた。思わず言葉がこぼれる。


「君、結婚は?」


「いえ、まだですが」


 唐突な問いに、ディランは眉をわずかに寄せた。炎の赤が横顔を斜めに切り裂き、冷たい陰影を際立たせる。


「まだ……ということは、する気はあるんだね」


「できる気はしませんが」


「シルヴァと同じことを言う」


 卿の口から出た名に、ディランの視線が逸れた。口元がかすかに歪む。自分と同列に並べられたことが、癪に触ったのだろう。


「君はまだいい。若いのだからな。だがシルヴァは……何を考えているのやら」


 卿は額に置いた指をこめかみに滑らせる。薪が爆ぜて乾いた音を放つが、次の瞬間には青年の冷たい眼差しに飲み込まれ、音はすぐに沈んだ。


「あいつなら大丈夫でしょう。そのうち落ち着きますよ。シルヴァはバカじゃない」


 氷を思わせる澄んだ声。だがその端には、わずかな温度が差していた。卿は小さくうなずきながらも、胸の奥に小石のような不安が残る。


「他の聖家からは、バカだと言われているがの」


「彼は本能で動いています。言葉で説明できないから誤解されるだけです。でも……あいつは自分に足りないものを探しているように見える」


「足りないもの?」


 卿の目が見開かれた。凝視する先で、ディランは表情を崩さぬまま、淡々と続ける。


「何かを決断するために必要なもの……いや、国そのものに必要なもの、かもしれません」


 卿の胸にざわめきが走る。鼓動が速まり、掌に冷たい汗が滲む。

 ――この青年は、息子のどこを見ているのだ。自分さえ気づけぬ部分を。


 ディランは冷えた葡萄酒のグラスを持ち上げ、無表情のまま唇を濡らした。その自然な仕草に、卿は言葉を失う。


「失礼ですが、この国の方々は外を知らなさすぎる。状況も、流れも、世界の仕組みも。……けれどシルヴァは違う。自分の目で確かめようとしている」


 ――胸が震える。

 息子をここまで真剣に語る者が、他にいただろうか。乾いた喉を無理に動かし、卿は声を絞った。


「……シルヴァは、君のような友を得て幸せだ」


「別に、友人だと思ったことはありません」


 鋭い刃のような返答。直後、グラスが卓に打ち付けられ、乾いた響きが居間に広がる。余韻が溶けるまでの数呼吸、卿は言葉を探しあぐねた。


「そ、そうなのか? いや、いつも迷惑をかけているようだね」


 沈黙。ディランは応じず、椅子に深く身を沈める。卿の額にじわりと汗が光る。


 その時、廊下から足音と笑い声が押し寄せ、重苦しさを押し流すように扉が勢いよく開いた。冷たい外気と共に活気が流れ込む。


「なんだ、ディラン来てたのか。お、うまそうなもん飲んでるな。俺もくれ」


 シルヴァが外套を脱ぐと、革と馬の匂いが一気に部屋に広がった。


「あ、あたしも欲しい!」


「エディシュ。お前は、やめといたほうが……」


 シルヴァは砦での彼女の酔態を思い出し、渋い顔で制した。


「なによ。温かい葡萄酒くらいで酔ったりしないわよ」


 エディシュは唇を尖らせ、子供のように抗議する。結局、その頑固さに押され、二人にも葡萄酒が注がれた。


 シルヴァは杯を傾けながら卿と低く言葉を交わす。

 エディシュは葡萄酒で頬を温めつつ、ふいにディランへ顔を向けた。


「ねえ、ディラン。シルヴァたちは何の話をしてるの?」


「……ああ、すまない。ちゃんと聞いてなかった。孤児院の子供がどうとか……何かあったのか?」


 一瞬、彼女は視線を伏せ、言葉を飲み込む。だがすぐに首を振った。


「ううん。なんでもない。……ねえ、トーマはまだ起きてこないの? あたし、起こしてきていい?」


「おう。階段を上がって左の突き当たりだ」


 エディシュは弾むように駆け上がり、扉をそっと押し開ける。

 中には毛布にくるまり、気持ちよさそうに眠るトーマの姿があった。


「トーマ! いい加減に起きなさい! 冬眠中の熊じゃあるまいし!」


 怒声と同時に毛布が跳ね上がり、トーマは慌てて飛び起きた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ