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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第三章 エル・カルドへ
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021-1 マイソール卿

 同じ頃、雪のこびりつく屋敷の門前に、一人の来訪者が姿を現した。

 青い長衣の裾が白い路面を払うたび、凍てついた空気がさざめき、足音だけが沈黙を刻む。


 マイソール卿は、その背丈と歩みを一目で見て取り、誰かを理解した。

 そして、シルヴァが「美人」と称した意味もまた、瞬時に腑に落ちた。


「ディランか?」


 呼びかけた声と同時に、ディランが顔を上げた。

 その瞬間、見えぬ刃を突きつけられたような冷たさが襲い、卿の胸をひやりと締め上げる。

 喉が固くなり、息が浅くなる。戦場を生き抜いた者だけが纏う、重苦しい気配。足下が、わずかに震えた。


 母親譲りの整った面立ちに、エル・カルドの優雅な長衣。

 だがそこに立つのは、つい先日まで血と泥に塗れていた戦士そのものだった。


 卿は額に滲む汗を指先で拭い、ようやく吐息を漏らした。


「シルヴァなら、今出かけているよ」

「いえ、今日はマイソール卿、あなたにお話しが」


 意外にも、その声は穏やかだった。


「魔道のことかね」

「はい。シルヴァとは少し話しましたが」

「ああ、聞いているよ。入りなさい」


 卿は彼を屋敷へ招き入れ、暖炉の炎が灯る居間へと通した。

 壁には第六聖家に伝わる聖剣が飾られている。レイテット鋼が放つ冷たい輝きは、炎に照らされてなお不思議な光を散らし、柄には孔雀色の大粒の石、鞘には判読不能な古文字が刻まれていた。


 灰色の服を着た使用人が現れ、香辛料を利かせた温かな葡萄酒を分厚いグラスに注いで二人に差し出す。


「これはシルヴァの土産でね。昔なら、遠い国の香辛料など夢物語だった」


 ディランはグラスを手に取りかけ、ふとその手を止める。

 ――かつて押しつけられた奇妙な飲み物の記憶が甦ったのだ。

 マイソール卿が旨そうに口をつけるのを見て、ようやく恐る恐る飲み下した。


「……もしかして、こういうのは苦手だったか?」

「いえ。寒い時は、よく飲みます」


 卿は安堵の笑みを浮かべ、長椅子にもたれた。


 第六聖家は代々、城外の町を管理してきた家柄であり、他の聖家に比べれば世俗に通じている。

 卿はグラスを揺らし、底に沈んだ香辛料を浮かばせながら、低く語り始めた。


「知っての通り、エル・カルドは封印が解けた後、流行り病に襲われた。国民の半数近くが命を落とした。特に高齢者は、ほぼ全滅だった」


 暖炉が弾ける音だけが、しばしの沈黙を満たす。


「それは、七聖家の〈アレスル(選ばれし者)〉であっても例外ではなかった。三人ものアレスルが病で亡くなったのだ」


 言葉に合わせて卿の手が震え、葡萄酒の表面に細かな波が立った。


「我々は帝国からの移住を受け入れ、国を立て直すこと、食うことを最優先にしてきた。当然、魔道は後回しになった。いや……魔道に詳しい人間そのものが死に絶えてしまったのだ」


 卿はグラスを置き、溜めていた息を一気に吐き出す。


「代々、第二聖家が魔道を管理してはいた。だが彼らも長らく手が回らなかった。今の第二聖家のアレスルは魔道の復興を研究しているとも聞くが、詳しくはわからん」


 ディランが目を細めると、卿は自嘲めいた笑みを浮かべた。


「七聖家はお互い干渉せぬのが暗黙の了解でな。近すぎるからこそ、余計な摩擦は避けねばならん。……儂は今更、魔道など蘇らんでもよいと思っておる」


 再びグラスを口に運ぶ。温かな葡萄酒が喉を湿らせたはずなのに、乾きは消えなかった。

 対面のディランは、孔雀色の瞳で射抜くように見据えている。


「もし、その魔道がフォローゼルに流れているとしたら、どうされますか?」


 張り詰めた空気が肌を切る。卿は乾いた音を立ててグラスを置き、指先にじっとりと汗を滲ませた。


「……儂もシルヴァから聞いた時には、まさかと思った」

「まだ、はっきりとしたことはわかりませんが、魔道の流出が七聖家の意図という訳ではありませんね?」


 畳み掛ける声に抗うように、卿は絞り出す。


「七聖家の会合で、そんな話は一度もない。魔道を外に漏らすなという掟は皆理解しておる。もしあるとすれば……個人の独断だ」


 ディランは睫毛を伏せ、静かに、しかし重く言葉を落とした。


「それが誰かを調べたいのですが、協力していただけますか?」


「もちろんだ。そんな事、見過ごす訳にはいかん。我らもローダインの施政に不満が無い訳ではないが、裏切るつもりはない。協力しよう」


 その真摯な言葉に、ディランは確信を得た。――この人は問題を覆い隠すのではなく、解決しようとしている。ローダインなしにエル・カルドが存続できぬ現実を理解している。信用できる。


「ちなみにマイソール卿から見て、怪しい人物はおられますか?」


 卿は視線を泳がせ、ためらった末に答えた。


「……ドナル。第二聖家のアレスルだ。今の七聖家は皆、魔道に関心を失っている。自分がアレスルではないせいかもしれん。だが、ドナルだけは執拗に魔道に執着している。まるで、亡霊となった昔のエル・カルドを甦らせようとしているかのようだ」


 ディランは静かに頷いた。


「シルヴァから、城外に魔道書を保管する建物があると聞きました。場所をご存知ですか?」


 卿は一瞬言葉を失い、喉をこわばらせた。


「……南東の荒れ地だ。かつて『迷いの森』と呼ばれた場所の東側。この屋敷からは遠い。ドナルは興味があれば案内すると言っていたが……正直、誰も関心を示さず、行った者はいないだろう」


 身を乗り出し、声を落として続ける。


「ここだけの話だが、儂は気になって人を遣わせた。だが誰も、そこへ辿り着けなかった」


 表情に偽りはない。ディランは拳を口元に当て、考え込む。


「どういうことですか?」

「恐らく……結界を張っている」

「結界?」


 ディランは驚きに眉を上げた。


「ああ。いつの間にそんな技術を……。あれは既に失われたものと思っていた」


 葡萄酒の赤を見つめながら、ディランは黙考する。結界を張るとは、魔道を操れる者がいるということだ。

 長い睫毛が、孔雀色の瞳を影に沈めた。


「ドナル卿との接触は可能でしょうか?」

「顔を合わせる程度なら。口実は考えよう」


「ありがとうございます。あとはこちらで何とかしますので。ご迷惑をおかけしますが」

「それくらい、構わんよ」


 マイソール卿は葡萄酒を口に含み、ゆっくりと長椅子へ身を沈めた。



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