019 家族の肖像
食事を終え、窓辺の席で葡萄酒を傾けながら、コンラッドはディランに声をかけた。
「ディラン。〈聖剣の儀〉の打ち合わせで君の叔父上たちと話したよ。七聖家の会合が済んだら、君と話をしたいそうだ」
「そうか」
憂鬱そうなディランとは対照的に、コンラッドはいつも通り穏やかな微笑みを浮かべていた。
「みんな君と話したいんだ。ゆっくりしてくるといい」
「出来ればさっさと済ませたいが」
ディランは心底嫌そうに顔をしかめた。
◇ ◇
夜も更けて、ようやく使いが訪れる。
「七聖家の間へお通しするよう、申しつかっています。こちらへ」
灰色の衣を纏った男が灯りを手に、城の奥にある「七聖家の間」と呼ばれる部屋へ案内した。重厚な扉は豪奢で、この場所が特別であることを物語っていた。
中へ入ったディランの目に飛び込んできたのは、壁一面を埋め尽くす肖像画。老人も少女も、時代も性別も様々な「選ばれし者」の姿が、訪れる者を圧倒していた。
「これらは歴代の〈アレスル〉の肖像画だ」
部屋の奥、円卓に壮年の男が二人座っていた。一人は青い長衣を纏った黒髪交じりの白髪の男。もう一人は黄色がかった長衣を着た白髪の男。どちらもエル・カルド人らしく肩で髪を揃えている。
「遅くなって悪かったな。オーウェンだ。覚えているか?」
握手を求めて立ち上がったのは、父の弟オーウェン。もう一人は初対面の、母の兄らしい。
「ええ、覚えています」
母以外の血縁と会うのはこれが初めてだった。だが子供の頃一度見ただけの父の弟と言われても、実感は乏しかった。
「久しぶりだな、ディラン。大きくなった。こっちはリアム、第三聖家の代表でお前の伯父だ」
リアムは厳しい眼差しを向けた。
「リアムだ。言っておくが、ここにお前の父母の肖像はない。〈アレスル〉でありながら聖剣を失った者の姿などな」
その毒を含んだ言葉に、ディランは片眉をわずかに動かす。
「セクアはなぜ帰ってこなかった? 何度も手紙を送ったのに」
悲嘆か非難か判別し難い声音だった。オーウェンが間に入り、彼を諫める。
「リアム、初めて会った甥にその言い方はない。義姉上は理由なくそんなことをする人ではない」
だがリアムは気に留めず言葉を続けた。
「セクアはローダインから領地まで貰って居座り続けたんだ。不審に思うのが当然だろう!」
激しい言葉にもディランの表情は変わらない。
「母は父を取り戻すためにローダインに留まったのです。アルドリック陛下が直接交渉されていました」
しかし交渉は実らず、父はフォローゼルで命を落とした。母がそれでも帰ろうとしなかった理由は、ディランにもわからない。
「聖剣を失ったせいで、我らがどれほど肩身の狭い思いをしてきたか! 本当に所在を知らぬのか?」
底冷えのような沈黙。
肉親の情など、そこにはなかった。
結局は聖剣か――。
胸の奥で何かが冷え、幕を降ろすように興味は途切れた。
「申し訳ありません。母が亡くなった時、私は帝都におりました。その後のことは知りません。母は自分が死んでも私に帰るなと手紙を寄越しました」
リアムは奥歯を噛み締める。
「では誰がセクアを看取った?」
「フェンリス卿と妹君です」
「……ゼーラーン将軍と共にいた男か。まさか盗んだのではあるまいな」
「リアム! いい加減にしろ!」
オーウェンが激昂するのを、ディランは制した。
「それはありません。フェンリス卿は母を支え続けてくれた方です。私に武芸を教えてくれたのも彼です。盗む理由などありません」
その時オーウェンの目が、ディランの左手の指輪に留まった。
「その指輪……義姉上のものじゃないか。兄上から贈られ、肌身離さず着けていた」
リアムが鼻を鳴らす。
「指輪は遺し、剣は遺さずか。そもそも〈アレスル〉同士の結婚など禁忌だったはずだ」
「だが結婚に際し、義姉上が代表権を譲ったからこそ、あんたは第三聖家の代表でいられたのでは?」
リアムの顔色が変わる。
「なんだと! それを言うならお前だって、フォローゼルがキリアンを連れ去ったおかげで第四聖家の代表になれたのだろう!」
「なんてことを……」
二人の罵り合いは、もはやディランの耳に届いていなかった。聞く気力すら失せていた。
彼は背を向け、七聖家の間を後にした。
◇ ◇
大階段の上から玄関ホールを見下ろすと、雪は止み、蒼い月光が窓枠の影を床に刻んでいた。
ひんやりとした空気が肺に入り込み、吐息が白く立ちのぼる。
それがひとりで漂い、やがて静かに消えていく。
かつて父母もここで暮らしていたと思うと、奇妙な感覚にとらわれる。
懐かしさではなく、むしろ遠い異郷に迷い込んだような感覚。
足を踏み入れているのに、自分の居場所ではない。
父の話を母から聞いたことはほとんどない。どんな人物で、どんな会話を交わしたのか。自分の存在を知っていたのか。
今となっては確かめようもない。
フォローゼルの侵攻が無ければ、ここで親子三人暮らしていたのだろうか――。
(考えたところで仕方ない)
居室へ戻ろうとした時、食堂から灯りが漏れていた。扉を開けると、コンラッドが机で書き物をしている。
「まだ仕事か?」
「やあ、戻ったのか。どうだった? 親戚との対面は」
「想像通り。いや、想像以上だ」
椅子に腰を下ろすと、コンラッドが問いかける。
「言葉は通じたかい?」
「通じたはずなのに、何も伝わっていない気がした」
ディランは天井を見上げ、深く息を吐く。
「疲れているね。火酒だ。飲むか?」
コンラッドは小瓶を取り出し、グラスに注いで渡した。
「どうしたんだ。こんなもの」
製造に手間と暇のかかる火酒は、辺境では滅多に手に入るものではない。
「じいさまが荷物に隠していたのをエディシュが見つけて、体に悪いと言って没収した」
「容赦ないな、あいつは」
一口含むと、まとわりついた重苦しさが和らぐ気がした。
「まだ魔道のことは何も掴めていない。第二聖家が管理しているらしいが、叔父たちからは手掛かりが得られなかった」
「シルヴァの父上なら?」
「明日訪ねてみるか」
「悪いね。君にばかり負担をかけて。言葉さえできればいいんだけど」
「話すだけだ。大したことじゃない」
「戦場から戻った時より疲れているように見えるけど」
「……そうかもしれない」
再びグラスを持ち上げ、口元がわずかに緩む。
「どうしたんだい?」
「いや、こんなところでシルヴァみたいなのが生まれたのかと思って」
コンラッドは微笑み、肩をすくめた。
「結局は人によるんだろう」
「他の聖家からすれば理解不能だろうな」
「だが彼のような人間は、この国に必要だよ」
ディランは静かにうなずいた。




