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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二章 辺境にて
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014 砦の夜

 ゼーラーン将軍が席を立っても、宴の熱は衰えることなく渦を巻いていた。酔いに浮かされた笑い声は梁を震わせ、床にはこぼれた酒が染み広がり、饐えた匂いが漂う。熱気はなお濃く、燭台の炎さえ霞んで見えた。


 やがて腹を満たした兵士たちが、粗野な笑みを浮かべて上官の席へ押し寄せる。大きな掌が伸び、ディランの腕を掴んだ。奥まった席から強引に引きずり出す。


「騎兵団長! こっちへ。みんな待ってます」


 ディランはわずかに肩を落とし、諦めきった顔で長いため息を吐いた。


「わかったから、引っ張るな」


 入れ替わるように、弓兵隊の兵士たちがエディシュを取り囲む。


「エディシュさん。向こうで飲みませんか? 食事もまだでしょう?」

「なんか食べたい。お腹ペコペコ」


 彼女は笑い混じりに肩をすくめ、兵士の方へ身を預けた。


「シルヴァ。一緒に飲もうぜ」

「おう。旅の話を聞かせてやる」


 シルヴァは馴染みの兵士と肩を組み、賑やかな声を背に席を離れていく。


 残されたコンラッドのもとには、帳簿と羽根ペンを抱えた商人たちが現れた。せわしなく紙を繰り、インクの匂いを漂わせながら彼を取り囲む。


 宴の喧噪はやがてざわめきに変わり、皿を打つ音も遠のいていく。酔い潰れた兵士のいびきが響き、クラリッツァの澄んだ音色が夜気に溶けた。きっと、トーマが爪弾いているのだろう。


 コンラッドが署名を終え、葡萄酒を継ぎ足していると、髪を乱したディランが戻って来た。服は皺に覆われ、顔にはうんざりとした影が張りついている。


「もう、いいのかい?」

「ああ。酔っぱらいの相手はたくさんだ。あいつら、ここぞとばかりに好き勝手する」


 ディランは乱れた上衣を直し、卓へエールを置いて腰をどさりと下ろした。勧められた皿には首を振り、ただ杯を仰ぐ。


「みんな名残惜しいんだよ。帝都に戻れば、しばらく戦場に立つことも無いだろうしね」


 泡が弾けるのを見つめながら、ディランは低く問う。


「良かったのか?」

「何がだい?」


 コンラッドが眉を寄せ、怪訝な目を向ける。


「ゼーラーン将軍の孫が、戦績を上げぬまま軍務を終えて良かったのか? 本来なら騎兵団長は、お前の――」


 言葉を荒げかけたその先を、コンラッドはいつになく厳しい調子で断ち切った。


「ディラン。私は君の方が騎兵団長に向いていると思ったんだよ。実際、そうだったろう?」


 蝋燭の炎が揺れるほどの沈黙が落ちる。やがてコンラッドは柔らかな笑みを戻した。


「それに、戦場で剣を振るうだけが戦じゃない。諜報も交渉も、これからはますます重要になる。それは、君も気づいていると思ってたんだけど」

「わかっている。だが、帝都の連中は……」

「言わせておけばいいさ。ゼーラーン将軍の孫は戦もせず、文官の真似事をしてるってね」


 ディランは乾いた音を立てて杯を卓に置いた。エールの染みが輪を描き、広がる。


「わざわざ誹謗中傷を浴びることはない。何度か戦場に出れば済んだ話だ」


 冷ややかな声が空気を裂く。しかしコンラッドの顔色は変わらなかった。


「君の方が勝てるのに、私が出る意味はない。それに中傷というなら、君もずっと受けていたじゃないか。『エル・カルド人に戦は無理だ』と嗤っていた連中は、今どんな顔をしているだろうね」


 ディランは長い睫毛を伏せ、なお不満を隠しきれず杯を傾けた。


「ゼーラーンの名が泣くぞ。ローダインは武の国ではなかったか?」


 問いを残したまま、コンラッドは静かに葡萄酒を注ぐ。その音を遮るように、のんきな声が割り込んだ。


「おー、食った飲んだ。満足、満足」


 真っ赤な顔のシルヴァが瓶を手に戻り、ディランの隣へ腰を下ろす。彼の素面めいた横顔に目を留め、笑いかけた。


「あれ、ディラン。お前、全然飲んでないじゃないか」


 眉を寄せたディランは、わざと横を向く。


「顔に出ないだけだ。飲んでないわけじゃない」


 シルヴァは構わず杯へ葡萄酒を注ぎ足した。


「……注ぐな! 混ぜるな!」

「あ、エールだったのか。入れちまった」


 濁った液を押しやり、ディランはコンラッドの杯を奪って一気に飲み干す。そのまま立ち上がり、卓上の瓶を抱え込んだ。


「ディラン。どこかへ行くのかい?」

「待機している連中がいる。歩哨の様子も見てくる」

「そうか。私も牢番に持って行ってやろうかな」


 瓶を携え、二人は食堂を後にした。


 残された席に、ふらつく足取りでエディシュが戻り、椅子に沈む。赤く潤んだ目、怠惰に投げ出した両肘。杯に伸びた手を、シルヴァが制した。


「コンラッドとディランなら外だ。……お前、飲みすぎじゃないのか?」

「いいじゃない。独身最後の馬鹿騒ぎなんだから」


 耳を疑ったシルヴァは思わず問い返す。


「独身最後?」


 止める手を払い、エディシュは葡萄酒を注ぐ。


「あたしね、ローダインへ帰ったら結婚すんの」

「結婚? お前が?」

「何よ。悪い?」


 赤く染まった目で彼女は睨み、杯を煽る。


「いや、悪くはないけど。誰だ、その挑戦者は?」

「え? 知らない」

「知らないって……」


 注ぐ手を止め、彼女は杯を傾けた。


「あたしたちの結婚なんて、そんなもんじゃないの? そりゃあ、素敵なおじさまが結婚相手だったら嬉しいけど」


 頬杖をついたまま、夢見るように笑みを浮かべる。


「でも、それとこれは別。うちの両親だって、結婚するまで相手の顔も知らなかったって言ってたわよ。エル・カルドでは違うの?」

「うちは、ローダインと違って小さい国だからな。知らない人間とってことはないと思うけど。うちの両親なんかは幼馴染だしな」


 両腕に顔を預け、エディシュは横目でシルヴァを見る。


「ふ〜ん。うちは親戚の叔父さんが、この前お膳立てしてくれて……帰ったら会ってみる。二十五にもなって、戦場にいるような娘をもらってくれるっていう人がいるだけ、有り難いと思えって言われちゃった。友達は、みんな十七、八で結婚してるし、断る理由もないし、いいかって」


 顔を上げて一口飲むと、大きなため息が漏れた。


「いいのか? ほんとうに」

「あのねぇ。女の選択肢なんて、男に比べたら、びっくりするくらい少ない……」


 言いかけて口を閉ざす。シルヴァに至っては、そもそも選択肢すらないことを思い出した。ざわめきが遠のき、燭台の蝋が燃える音だけが耳に届く。


「……でも、あんただっていい加減、親がうるさく言ってくるんじゃないの?」

「ここへ来る前、まさに親父に言われた。結婚しなくてもいいから、跡継ぎだけでも何とかしろって」


 シルヴァは両手で顔を押さえた。声にしてみれば、とんでもない話だ。エディシュは笑いながら卓を叩く。


「あら、いいお父様じゃないの。あんたのこと、ちゃんとわかってくれてるじゃない。大体、何でエル・カルドに帰らないの?」

「……だって、七聖家の代表者って、みんな俺より年上だし。そもそも俺の話なんか、聞いてもらえるような雰囲気じゃないし。俺より親父が会合に出た方が、国のためになりそうだし」

「だからって、フラフラしてても、(らち)があかないでしょうに」


 シルヴァは首を振った。


「自分でも、これからのエル・カルドをどうすればいいのかわからないんだよ。情けないけどな」

「あんたも、何だかんだと考えてるのね。ただ、フラフラしてるだけだと思ってたけど」

「ひでえな。まあフラフラしてるのには、違いないけどな」


    ◇      ◇


 砦の塔の一角。

 コンラッドは一人、冷気を孕んだ石段を降りていく。松明の炎が壁を揺らし、闇は階下へ溶けていった。


 重い扉を開けると、地下牢。鉄格子の奥から低い息遣いが滲み、空気はさらに冷たくなる。詰め所には粗末な机と椅子が並び、牢番たちの視線が一斉に集まった。


「ほら、差し入れだよ」


 葡萄酒を手渡すと歓声が上がる。続けて懐から一つの魔道符を取り出し、牢番に示した。


「これを持っていた者を一人連れてきてくれ。お前たちは外へ出ていなさい」


 鉄格子の軋む音が、宴の残響を完全に断ち切った。若い兵士が連れ出され、震える膝を抱えて椅子に座らされる。寒さか恐怖か、それは分からない。


 牢番が退室すると、コンラッドはゆっくりと魔道符を机に置き、穏やかな笑みを浮かべた。


「さあ、話を聞かせてもらおうか」



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