013 宴の席
砦の大食堂は、湯気と笑い声とでごった返していた。
厚い石壁に囲まれた広間の空気は熱気に包まれ、香辛料の刺激的な匂いが立ち込めている。木の梁に吊るされた燭台は、炎を揺らめかせ、油の煤を垂らしながら兵士たちの影を壁に映していた。木杯を打ち合わせる音や、皿を叩く音が反響し、どこもかしこも騒がしい。
その一角を、騎兵団の傭兵たちが占めている。卓の中央に置かれた皿では、香辛料をまぶして焼かれた鳥肉が脂を滴らせながら転がっていた。
もともとフォローゼル人が蓄えた食糧庫には、東国や南の大陸から運ばれた香辛料が大量に眠っていた。それを手にした料理人は狂喜し、惜しげもなく調理に使い出したのである。香辛料をふんだんに使った料理は異国の風味を漂わせ、酒を求める声をいっそう高めた。
傭兵たちは豪快に鳥肉へ齧りつき、油と香辛料に濡れた指をチュニックの裾で拭う。彼らにとっては、それが流儀だった。
全身黒ずくめの戦士が木杯を片手に口を開いた。
泡が弾ける音が喧噪に紛れ、喉奥へ吸い込まれていく。
「ジルとニケは、ゼーラーン将軍の護衛でエル・カルドへ行くのか」
「ああ、俺は辺境出身だから、道案内みたいなもんだな」
赤毛のジルは大きな体を窮屈そうに丸め、骨ごと噛み砕く勢いで肉にかぶりついた。口端からは脂が光を帯びて滴っている。
「私は、今回エディシュ殿付きだ」
ニケはエールを置き、手の甲で口元を拭った。褐色の肌に銀の髪が映え、青い瞳は蝋燭の炎を映して冷ややかに光る。しなやかに長い手足と鍛えられた体躯は、隣に並ぶ男たちにまったく引けを取らない。
「いいなあ、エディシュさん。俺も、弓兵隊に入りたかったな」
赤毛の大男はため息をつきつつも目を輝かせている。つややかな頬には若さが宿り、憧れが隠せなかった。その姿を、ニケは鼻で笑った。
「諦めろ、ジル。身分が違い過ぎる。それにエディシュ殿はローダインへ戻ったら結婚されるそうだ。だいたいお前は弓、下手くそじゃないか。カルヴァンはどうするんだ?」
ニケは脚を組み直し、黒ずくめのカルヴァンへと目を向ける。
「俺は、商業自治州へでも行ってみるさ。傭兵の口はいくらでもある」
カルヴァンは杯を傾け、一息に呷った。木杯が卓にぶつかる鈍い音が、周囲の騒がしさに沈んだ刃のような響きを加える。
「次の部隊にも傭兵の口はあるだろう? 黒騎士カルヴァンなら、残って欲しいんじゃないか?」
「ジル。俺は、もうあの騎兵団長以外の人の下で、戦場に出るつもりはないな」
ジルとニケは顔を見合わせ、小さくうなずいた。
戦場に出ぬ指揮官は珍しくはない。だがディランは兵と共に常に最前線へ立ち、血を浴びてきた。若く無名の指揮官が百戦錬磨の傭兵を従えるには、それしかなかったと、三人とも理解していた。
「ただ、一度くらい真剣に手合わせをしてもらいたかった」
カルヴァンは空になった杯を逆さにし、低くぼやいた。
「教練場では、お前に勝てないと言われていたぞ」
「教練場では……か」
ニケの言葉に、カルヴァンは大きな傷の走る顔を歪ませ、ぎこちなく笑った。
「あの人の言いそうなことだ」
「戦場では、どんな事をしてでも勝ってくれるけどな」
ジルが大きな体を揺らすと、簡素な椅子が悲鳴を上げる。
「ああ、そうだった。――よく、この砦を落としたもんだ」
カルヴァンは目を細め、周囲を見渡した。フォローゼル風の装飾は、砦らしからぬ優美な曲線を壁や柱に残している。
「死ぬかと思ったぜ。ローダインの皇帝も無茶を言う」
ジルは葡萄酒を注ぎ足し、大げさに肩をすくめる。
「死んだ奴もいた」
カルヴァンの声は沈み、静けさを呼んだ。三人は自然に口を閉じ、胸の奥で祈りを捧げた。
蝋燭の炎が揺れ、ほんの一瞬、喧噪は遠のいた。
祈りが終わると、ジルは口の端を上げ、カルヴァンへとにじり寄った。
「あの時、カルヴァンは泳げないからって先鋒を外されたんだったよな」
「あんな嵐の日に、水路から潜り込むなんて……。それにジル、お前だって体がデカすぎて、取水口に詰まりそうになったそうじゃないか」
ジルは大げさに手で顔を覆った。
「ああ! 思い出したくないことを!」
「だいたい、俺が先鋒にいれば、フォローゼルの王子は逃さなかった」
カルヴァンは鋭い視線を投げた。
「それ、ディランさんに言っていいか?」
「やめろ!」
ニケはくすくす笑い、歌うように口を開いた。
「フォローゼルの狂犬王子が、隠し通路から逃げ出して――」
ジルも続いた。
「取り残されたとわかった時の、フォローゼル兵の顔」
「見物だったな」
笑い声が卓を震わせた。傭兵たちはそれぞれに思いを抱えながらも、大声で笑い合った。
周囲の正規兵たちも釣られるように声を上げ、食堂全体が笑いに包まれる。
「おい、ゼーラーン将軍が来られたぞ」
武官に先導され、将軍たちが広間に入る。給仕を手伝っていたトーマが、盆に飲み物を載せてやってきた。
「皆さん、エールと葡萄酒、どっちがいいですか?」
傭兵も兵士もそれぞれに杯を手にした。その視線は自然と一人に集まる。無駄話は消え、椅子を蹴って立ち上がり、姿勢を正す。そこにあるのは立場や身分を超えた敬意だけだった。
ゼーラーン将軍は声を張り上げた。
「皆、今までよくやってくれた。儂は、明日をもって、三十年余り続けてきた将軍職を辞す。それに伴い、このボドラーク砦の騎士団も解散とする」
会場に、深いため息が漏れた。
「これからは、皆、故郷へ帰る者、新しい職に就く者と様々であろう。次に会う時には、お互い敵となっているかもしれない。生きているうちには、ままならぬこともあるだろう。平時になれば、戦で血を流したことを誹られることもあるかもしれん。だがその時は、今日ここで皆が集ったことを思い出せ。志半ばで斃れた者のことを思い出せ。生き残った者は、皆、石にかじりついてでも生きよ。それが、これからのお前たちの使命だ。もう一度言う。生きよ!」
三十余年、無数の死を見届けてきた老将の言葉が、石壁に響いた。
「それでは、我が騎士団の名の下に戦った、全ての者のために。君たちの未来のために。乾杯!」
熱狂が広間を埋め尽くした。杯が一斉に掲げられ、咆哮のような声が天井を揺らす。やがて再び和やかな笑いが戻り、将軍は武官に付き添われて自室へと退いた。
――集団を束ね、熱を引き出し、実行へと移す。あの莫大な熱量こそ、戦を勝ち抜くために必要な技量だった。
「さすがだな、ゼーラーン将軍。親父の長いだけの演説とはえらい違いだ」
シルヴァは老将を見つめ、素直に尊敬の眼差しを送りつつ、コンラッドを羨ましそうに見た。
「最近は大きな声を出すと、倒れそうになるって言ってたよ」
コンラッドはそっとシルヴァに囁いた。




