102 新たなアレスル(選ばれし者)
マイソール卿は、〈聖剣の儀〉に関する新たな文書を、各聖家に回覧した。文書には、こう記されていた。
『〈聖剣の儀〉は、七聖家の通常会合に準じ、簡略化した形式で執り行う』
本来、〈聖剣の儀〉は聖剣の間で詠唱を伴い、神聖な手順のもとに行われる。しかし、今はフォローゼルの侵攻直後であり、さらに代表者の体調不良という名目も添えられ、形式は大幅に簡略化されることとなった。
「これでよし。後は、ウィルとトーマの出番だな」 「ドキドキしてきました」
「シルヴァさん、本当にこんなことして大丈夫なんですか?」
不安げに尋ねるトーマに、シルヴァは肩をすくめて笑った。
「バレたらそのときだ。言い訳なんていくらでも考えられるさ」
やがて定刻となり、『七聖家の間』に各聖家の代表が集まり始めた。歴代〈アレスル〉たちの肖像が並ぶ荘厳なこの部屋には、緊張感が漂っていた。儀式の簡略化は初の試みであり、誰もが様子を伺っていた。
その中へ、紫の長衣と白いローブをまとったウィラードがゆっくりと入場した。後ろには、灰色のローブに身を包み、深くフードをかぶった少年――トーマが、両手で聖剣を捧げ持って従う。
トーマは静かに膝をつき、ウィラードに聖剣の柄を差し出す。ウィラードが柄に手をかけた瞬間、身体に走るのは、確かに覚えのある力。もはや恐れる必要はない。これは、〈アレスル〉としての力。
一呼吸置いて、剣を引き抜いた。
鞘をすべる刀身が、わずかな金属音を立てる。その音とともに、淡く光が走った。レイテット鉱の輝きが静かに広がり、室内の空気が張り詰める。聖剣に宿る力が、儀式の場に静かに満ちていく。
七聖家の間は、しんと静まり返った。
並び立つ肖像画のひとつひとつが、光に照らされ、まるでこちらを見つめているかのように浮かび上がる。
ウィラードは、両手で剣を高く掲げた。
光がその刃に沿って伸び、天井を照らす。その姿に、誰かの口から小さく感嘆の声が漏れた。
それを合図に、拍手が始まる。最初は一人、次にまた一人。やがてそれは部屋全体へと広がり、荘厳な静けさのなかに確かな承認の音を刻む。
――新たなる〈アレスル〉、ここに誕生す。
フードの下で微笑むトーマの姿に気づきながら、ウィラードは剣を鞘に戻し、衣を整える。そして七聖家の面々へ、落ち着いた声で言葉を投げかけた。
「皆さま、ありがとうございます。私は、ここエル・カルドにて〈アレスル〉として生きていく所存です」
その言葉に場は少しざわめいた。ローダインの血を引く〈アレスル〉など、――それが本音だったのだろう。しかしウィラードは続けた。
「私はまだ未熟であり、学ぶことも多いと自覚しています。ですので、しばらくの間は第一聖家の代表として、引き続きミアータ夫人にお力添えいただきたく思っております」
予想外の申し出だった。ミアータ夫人を含む全員が、思わず言葉を失った。
「ミアータ、どうだい?」とマイソール卿が優しく声をかける。「辛いときかもしれないが、我々には君の力が必要だ」
ミアータ夫人は、しばし目を伏せて考え込んだ後、静かにうなずいた。
「承知しました。しばらくの間、第一聖家の務めをお預かりいたします」
場に安堵の空気が広がる中、ウィラードがもう一つ言葉を添える。
「そして、お願いがもう一つ。これから私のことを『殿下』と呼ぶのは、どうかお控えください。私たちは、同じ立場の者として共に歩むのですから」
一瞬の沈黙ののち、誰かが手を叩き、それに続いて拍手が広がった。
「では鐘を鳴らせ! 新たな〈アレスル〉の誕生だ!」
マイソール卿の宣言と共に、城の鐘がけたたましく響き渡った。その音は、エル・カルドの街へと高らかに広がっていった。
ローダインへ向けて、早馬が手配された。〈アレスル〉誕生の報が、帝都へと届けられる。
儀式を終えたウィラードとトーマは、第六聖家の部屋へと戻った。
「うまくいったな、ウィル。トーマもよくやった」
「ありがとうございます。内心、緊張でいっぱいでした」
「僕も……あの部屋の肖像画に見つめられている気がしたよ」
三人の笑顔がこぼれるが、シルヴァの表情がふと曇る。
「ウィル……これで本当に良かったのか?」
ウィラードはしっかりと頷いた。
「覚悟はできてる。ローダインへ戻れなくなるわけじゃない。父様や母様には、いつか手紙を書くし、会いに行くこともできる。でも今は、〈アレスル〉としてこの地に貢献したい。ありがとう、シルヴァ。君がいたから決断できた」
ウィラードが差し出した手を、シルヴァはしっかりと握り返した。
その後、ウィラードはトーマを伴い、第一聖家へと戻っていった。
一方、シルヴァは邸宅に戻ると、客の来訪を知らされた。訪ねてきたのは、かつて世話になった商人だった。彼は興奮した様子で語り出す。
「町が賑わっていて驚きましたよ! まるで生き返ったみたいだ」
ローダインの皇弟子が〈アレスル〉となった――その知らせは、街中に希望をもたらしていた。
シルヴァは、笑いながらうなずいた。
「ところで、何か礼をしたいんだが」
「礼なんて、とんでもありません。こちらも助けられたのです。今回来たのは、別の用事で……」
「用事?」
商人は声を潜めた。
「はい。でも、もう良さそうですね。実は坊や……いや、ウィラード殿下が夢にうなされているとうかがっていたので、治療してくれそうな人を紹介できるかと思っていたのですが……。すっかり、顔色が良くなっていらっしゃる」
「そうか。わざわざ探してくれていたんだ。ありがとうよ。で、ちなみにそれは誰なんだ?」
「風の民ですよ。馬車で大陸中を移動している奴ら。彼らは夢見をしてくれるらしいので、何か役に立つかと思ったんですが」
風の民と聞いて、シルヴァは首を傾げた。
「そうか。でも、風の民って本当にいるのか? 俺も大陸中あちこち行ったが、噂だけで会ったことないぞ」
「私も会ったことはないんですが」
商人は、さらりと言った。
「……よく、それで勧めてきたな」
「でも彼らは、自分たちはエル・カルドの末裔だと言っているらしいですよ。何か繋がりがあるのかと思っていたのですが……」
「エル・カルドの末裔? そんな話、聞いたことないな」
「そうですか。じゃあ、ホラかもしれませんね。自分たちを売り込むために、言っているだけかもしれませんね。まあ、このことは忘れて下さい」
「……ああ」
商人は笑いながら馬車に乗り、城門を後にした。




