100 思いがけない客人
エル・カルドの町にも、ようやく落ち着きが戻りつつあった。侵攻の爪痕はまだ残るものの、人々の暮らしには日常が戻り、城内にも穏やかな空気が漂い始めていた。
しかし――すべてが元通りというわけではない。
ミアータ夫人は依然として部屋に籠もったまま、ドナルも体調不良との報せが続いていた。七聖家の会議も開かれぬまま時間だけが過ぎ、ついにマイソール卿は業を煮やして、文書による決裁に踏み切った。
決裁の議題は、ウィラードの〈聖剣の儀〉についてであった。
翌朝、文書が戻ってくると、それを携えたマイソール卿が自らウィラードの部屋を訪れた。
「ウィラード殿下。お待たせいたしました。〈聖剣の儀〉、明日の昼、七聖家の会議の場で再び執り行うこととなりました」
ウィラードは静かにうなずいた。その顔には、かすかな不安の色が滲んでいる。儀式の後、聖剣を部屋に持ち帰って何度も挑んだが、剣は微動だにしなかった。母の言葉が脳裏をよぎる――「あなたは〈アレスル〉にはならない」。
本当に、その通りなのだろうか。
「ただし、今回は簡略化された形式となります。詠唱などはなく、剣を抜いていただくだけで結構です。それから申し訳ございませんが、ドナルは体調が優れず、第二聖家は代理でジェレイントが出席します」
儀式は儀式。だが、そこに込められる意味は、大きく変わっていた。
マイソール卿が部屋を辞すと、入れ替わるようにシルヴァが顔を出した。
「ドナルの奴、見た目の割にひ弱なんだな。まだ寝込んでるのか」
そう言って、いつもの軽口を叩く。
「でも、良かったじゃないか。もし剣が抜けなけりゃ、ウィルはローダインに帰れる。望んでたことだろ?」
ウィラードは、微笑むでもなく、ただ視線を伏せた。
「それで……本当にいいのかな。僕がいなくなったら、第一聖家はどうなるの?」
「ウィル。それは、他の大人たちに任せておけ」
とは言うものの、正直シルヴァにもどうなるのかわからなかった。恐らく、第一聖家の血を引く人間を選ぶのだろうが、詳細はわからなかった。
黙り込む二人の元へ、年配の使用人がやって来て、客の来訪を告げた。
「シルヴァ様を訪ねて、城門に商人の方がいらっしゃってます」
「商人?」
「森で馬車を助けていただいたとおっしゃられて」
「ああ、あの!」
シルヴァとウィラードは、急いで城門まで足を運んだ。流刑地から脱出した後、ゾルノーの宿場まで送ってくれた商人に違いなかった。もし、エル・カルドに立ち寄ることがあれば、訪ねるように頼んでいたのだ。
シルヴァは、跳ね橋の上で商人に手を振った。
「おーい! ここだ!」
商人は、目を丸くして近づいた。
「……あんた、本当に七聖家の人だったんだな。いや、あんたなんて言ったら失礼でしたね」
「別に構わねえよ。俺は第六聖家のシルヴァだ」
その背後から、そっと顔を出したのはウィラードだった。
「おじさん」
「おや、坊っちゃん。ずいぶんと顔色が良くなりましたね」
「こっちは、ローダイン皇弟子ウィラード殿下だ」
「ひっ……と、とんだご無礼を!」
商人の男は、慌てて両膝をついて平伏した。ウィラードは優しくその手を取り、起こそうとした。
「あなたのお陰で、僕は助かりました。それから……」
「顔を上げてください。あなたのおかげで、僕は無事でした。それから――」
彼の視線が、商人の背後へと移る。そこには、クラリッツァを背負った少年の姿があった。
――まさか。
「……トーマ……?」
言葉が自然とこぼれ落ちる。
「お久しぶりです。ウィラード殿下、シルヴァさん」
トーマは満面の笑みを浮かべていた
「……トーマ。会いたかった」
ウィラードもまた、少年らしい無垢な笑顔を見せた。
「その子は、エル・カルドへ行く馬車を探していてね。シルヴァさんの事を知っているっていうんで、一緒に来たんだ」
「そうか。世話になったな。トーマ、元気そうで良かった。二人とも中へ入れよ」
「いえ、私は町で商談がありますので、また後日うかがいますよ」
「わかった。また来てくれ」
「おじさん。ありがとうございました」
トーマは、丁寧に商人に礼をした。
「いや、私も楽しかったよ。また、クラリッツァを聞かせておくれ。じゃあ」
商人は、馬車で町の中へと去って行った。
「トーマ。とりあえず中へ入れよ」
「ありがとうございます」
◇ ◇
三人は第六聖家の邸へと入り、トーマを風呂へと案内した。旅の汚れを落とし、湯気とともに疲れを流したあと、みんなで暖炉のある居間で長椅子に腰を下ろした。
「トーマ。お前、何か雰囲気が変わったな」
「声変わりが終わったからでしょうか?」
「そういやそうだな。でも、それだけじゃなくて何ていうのか……」
「垢抜けた……かな。洗練された感じがする」
ウィラードは嬉しそうに声を上げた。
「あ、それだ」
「ありがとうございます。実は、この冬の間、エゼルウートの宮殿にお世話になりました」
「ああ、そうなんだ。そういえばバルドは、いつも冬になると、ゼーラーン家で過ごしてたらしいな」
「はい。ゼーラーン家にもお世話になりました。師匠の使っていた部屋で過ごさせていただいて、アルドリック陛下にもお目にかかる事が出来ました。その後、アラナ夫人にも……」
「母様に? 母様はお元気だった?」
トーマは、アルドリックの隠し子と間違われた話を、ウィラードとシルヴァに面白おかしく聞かせた。ただし、アラナ夫人が襲われた件には触れなかった。
「結構な騒ぎがあったんだな。でも、トーマが無事で良かった」
ふと、トーマは真顔になり、ウィラードの前にひざをついた。そして懐から、一通の封筒を取り出す。
「これを……アラナ夫人から預かってきました。殿下に、お渡しするようにと」
「……母様が……?」
ウィラードは、封筒を両手で受け取った。見覚えのある筆跡。懐かしさと、少しの恐れが胸を満たす。
――それは、ウィラードに宛てた、アラナの手紙であった。




