097 中庭の邂逅
エディシュは兄との待ち合わせ場所、宮殿中庭のベンチに腰掛けていた。花壇の蕾は春の兆しを抱いてふくらみ、今にも開きそうに揺れている。
レダ妃からの縁談話を思い返すたび、胸が重くなった。心遣いはありがたい。でも、王妃などという立場には、どうしても自分がそぐわない気がしてならない。
そっと目を閉じ、小さく息を吐く。春とはいえ、風はまだ冷たい。けれど、雲の切れ間から差す陽が体を温めてくれていた。
ふいに、その陽射しが翳る。気配に気づき、顔を上げると——
今、もっとも会いたくない人物が立っていた。
「……ゲルノット。なんで、あんたがここに?」
「何でって……俺はレオンハルト殿下付きの武官だぜ。一緒に戻ってきたに決まってるじゃないか」
「ふーん。そう」
エディシュはそっぽを向いた。かつての婚約者。今ではその名を聞くだけでも気が滅入る。
ゲルノットは金色に染めた前髪を指でかき上げ、気取ったように笑う。
「あんた、まだその偽物の金髪、頑張ってるんだ」
「染めてるだけじゃないか。みんなやってることだろ? ――それよりお前、バトーダとの縁談を断ったって、噂になってるぞ」
「……知ってる」
どうして、わざわざ本人の前でそれを言うのか。この男は、昔からそうだった。鈍感で、人の心がわからない。たとえ幼なじみであっても、そういうところが合わなかったのだと、今ならはっきりわかる。
「用事が無いなら、あっちへ行ってくれる? お兄ちゃんと待ち合わせしてるんだから」
「コンラッドと? あいつ、今ジーン付きだろ? 補佐官なんて地味な仕事、なんで選んだんだか」
「そんなこと、あんたには関係ないでしょう」
「いや、あるさ。お前の結婚にだって影響するだろ? ゼーラーンの名を持ってるのに、宝の持ち腐れじゃないか」
「いい加減にして。あんたには関係ないって言ってるでしょ!」
エディシュの声に、苛立ちが混じった。
「せっかく、ボドラーク砦ではうまくやってたのに、もったいない」
「うまくやってたって、どういうこと?」
花壇の咲き始めた蕾が風に揺れた。
「あのエル・カルド人に戦わせて、戦果を得る。いくら、騎兵団長が戦ったっていっても、その戦果はゼーラーン将軍のものだ。ひいてはゼーラーン家のものになる。うまくやったじゃないか」
(……やっぱり、この人は何もわかってない)
心の中で、何かがぷつりと切れた。
「お兄ちゃんが、そんなこと考えるわけないでしょ!」
「ムキになるなよ。噂話だってば」
「冗談じゃない! 命を懸けた戦を、よくもそんな風に言えるわね。……ああ、戦場に出たことのない人には分からないのか」
ゲルノットの顔が見る間に赤くなっていった。
「お前、そんなだから嫁に行けないんだ!」
「結構よ! くだらない男と結婚するくらいなら、神殿にでも行ってやる!」
その時だった。
雷鳴のような声が、中庭に響き渡った。
「何の騒ぎだ!」
振り返ると、鎧をまとった大男が立っていた。陽光に照らされた兜の下からは、長い金髪が風に流れ、顔には目立つ青痣。
「スカルギ……」
ゲルノットが低くつぶやく。
「ゲルノット。御婦人に対して、ずいぶんと失礼な態度ではないか?」
宮殿の警護長・スカルギが剣のような声で言い放つ。
「そうだよ、ゲルノット。エディシュは、私の幼馴染みでもあるのだから」
どこか懐かしい声。振り向くと、そこには凛とした気配の青年が立っていた。
「……レオンハルト殿下」
エディシュとゲルノットは同時に膝をついた。
レオンハルトはプラチナブロンドの髪を束ね、冷たいほどに澄んだ青い瞳で二人を見下ろしていた。
「幼馴染みにしても、少し言葉が過ぎる。ゲルノット、下がりなさい」
ゲルノットは口を開きかけたが、結局言葉を飲み込んでその場を去った。
スカルギが近づき、レオンハルトに耳打ちする。
「アスガー殿下、少し遅れるとのことです」
「ありがとう、すまないね。警護長を伝言係にしてしまって」
「とんでもないことです、殿下」
ひざまずくエディシュに、レオンハルトが手を差し出した。
「子供の頃は、ここでよく四人で遊んだね。私と、アスガー、コンラッドにエディシュ」
「はい」
「アスガーは、いつも君に泣かされていた」
「泣かせるつもりはなかったのですが……」
「君が悪いわけじゃないよ。アスガーが泣き虫なだけだった。君も、ここでコンラッドと待ち合わせ?」
「はい。今はジーン様のところへ」
レオンハルトは笑みを浮かべ、花壇の縁に腰を下ろした。春風に蕾が揺れ、まるでその足元にかしずくようだった。
「まさか、コンラッドがジーン付きになるとはね。できれば、私のところへ来て欲しかったのだけれど。……ゲルノットがいると難しかったかな?」
「いえ。彼は関係ございません。兄が、ジーン様のところで学びたいことがあると申しまして」
「なら、仕方ないか。ゲルノットのことなら気にしなくてもいいよ。彼はああ見えて、まだ結婚していない。君に未練があるようだ」
「まさか! 結婚しないのは、私が理由ではないでしょう。少なくとも、私は彼との結婚は考えられません。だって私、昔、顔合わせの席で、あいつをひっぱたいたんですよ!」
レオンハルトは思わず吹き出した。
「聞いたよ。あいつ、反省してるって」
「いまさら遅いです。口にした言葉は、取り消せません。……たぶん、あれが彼の本音ですから」
エディシュの視線が鋭くなる。レオンハルトは小さくうなずいた。
しばしの沈黙のあと、レオンハルトが話題を変える。
「そういえば、コンラッドは剣闘会に出るらしいね。父上に私のところからも、誰かを出すように言われたよ。スカルギは今年も出るのかな?」
「陛下がお許しになる限りは」
スカルギは、ひざまずいたままにやりと笑った。
「うちは誰を出そうかな。ゲルノットではスカルギの相手にならないだろうし……」
「あいつが出るくらいなら、私が出たほうがまだマシです。殿下」
「そうかもね。エディシュ、君に頼もうかな」
レオンハルトは、朗らかに笑った。
「何か、楽しそうだね」
エディシュは、その声に一瞬アルドリックを思い浮かべたが、姿を見て安心した。
「……アスガー殿下」
膝をつく彼女に、アスガーは軽く手を掲げて立つよう促す。
ローダイン人らしい金髪と青い瞳。どこかいたずらっぽい笑みが、アルドリックに似ていた。
「レオン、遅れてごめん。エディシュ、元気そうでよかったよ。いろんな噂が聞こえてきて、ちょっと心配だったんだ」
「……ご心配をおかけしました」
「スカルギも、もういいよ。レオンと二人で話をしたい」
「かしこまりました」
スカルギは、いっそう頭を下げた。レオンハルトは振り返りざま声をかけた。
「それじゃあ、エディシュ。今度、コンラッドと一緒に遊びにおいで」
「お誘いいただき、光栄です」
エディシュはドレスをつまみ上げ、頭を下げた。
二人が去ると、スカルギは立ち上がりながら、エディシュに言った。
「先日は、宮殿内での不始末。手数をかけ申した」
「いえ。こちらこそ、出しゃばった真似をいたしました。それに、その件は内密にとのことですから……」
アラナ夫人襲撃の件は、表沙汰になっていない。エディシュも、深く関わるつもりはなかった。
「そうでしたな。しかしコンラッドも、けしからん奴だな。このような美しい妹御を、こんな所で一人待たせるとは」
スカルギのよく響く声が、おどけたような声音になった。
「いえ、私がここが良いと申しましたので」
「慣れた場所とはいえ、若い娘御がお一人でいるのは不用心ですぞ」
「申し訳ございません。気をつけます」
エディシュはスカルギの背を見送りながら、小さく息を吐いた。




