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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十七章 受け継がれる絆
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096 春の宮廷

 春の陽気に包まれた帝都エゼルウート。通りには花売りの声が響き、街ゆく人々の足取りは軽やかに見える。宮廷にも春の緩やかな気配が満ち、冬を地方で過ごした貴族たちが次々と戻り、往時の賑わいを取り戻しつつあった。


 その中には、皇帝アルドリックの長男レオンハルトと次男アスガーの姿もあった。二人はそれぞれの妻の故郷――セントフェルドとルッカから、妻子を伴って帰還していた。


 普段は静かなゼーラーン家の屋敷にも、通りの賑やかな行列の音が響いてくる。そんな中、コンラッドはディランから届いた二通目の手紙を読んでいた。自室にいると、妹のエディシュが顔をのぞかせた。


「お兄ちゃん、ディランは何て言ってきてるの?」

「ああ、ディルムラートへ行ってくるって」

「ディルムラート? エル・カルドにいたんじゃないの? それに今、旅は危ないんでしょう?」

「理由は書いていないけど……」


 二通目の手紙は、一通目からあまり日を置かずに届いていた。辺境からディルムラートへ向かうなら、南回廊を通るだろう。帰還には時間がかかるに違いない。

 

 エディシュは窓の外に目をやった。春の木々は瑞々しく、空は晴れ渡っている。

 

「……そういえば、トーマは大丈夫かな」

「彼らには、彼らなりの身の処し方があるからね。案外、私たちよりも平気かもしれないよ。バルドなんか、あちこちで戦があった時でも、大陸中を行き来していたんだろう?」


「そうね」


 エディシュはほっとしたように微笑んだ。

 

「私は、今から宮殿へ行ってくるよ」


 コンラッドは手紙を懐にしまった。私信にしては多い枚数だったので、エディシュは無理に見せろとは言わなかった。今は仕事の内容なのだと察していた。


「あたしも一緒に宮殿へ行ってもいい?」

「構わないけど、何か用事かい?」

「レダ様から呼び出し」


 バトーダ家との縁談が破談になって以来、エディシュはほとんど外に出ていなかった。二度目の破談ともなると、噂も絶えず、レダ妃が気にかけて手紙を寄越したのだった。


 母からは「自力で相手を探せ」と言われたが、エディシュほどの家柄の娘が、自分で結婚相手を探すなど聞いたことがない。いずれ誰かが決めてくれる――そう思って生きてきた。


 だから恋をしたこともなかった。たぶん兄のコンラッドも同じだ。いずれ誰かと決められた結婚をする。恋など、するだけ無駄だと信じていた。


 もちろん、好みのおじさまを遠くから眺めるのは好きだったが、それはあくまで趣味の範囲だった。


 人と会うのは気が進まなかったが、家に籠もってばかりもいられない。エディシュは兄に便乗して、宮殿へ向かうことにした。


 ニケは最近、宮殿に付き添わなくなっていた。アラナ夫人の護衛として滞在するうち、周囲に知己が増えた。そして言い寄る男も。褐色の肌に銀の髪、青い瞳――ニケの異国的な美しさは、ローダインの男たちの目には魅力的に映ったのだ。


 帝国の男たちは、昔から外国の女性を好む傾向があった。かつて遠征先の女性と結婚することが流行していた時代の名残は、今も残っていた。


 コンラッドとエディシュを乗せた馬車は、宮殿の裏口に到着した。最近は、コンラッドも裏口を使うのが常だった。ジーンのいる執務棟に近く、人目も少ないからだ。エディシュにとっても、これは都合が良かった。


 宮殿に入ると、エディシュは兄と別れたが、宮殿内は想像以上に騒がしかった。第一皇子レオンハルトと第二皇子アスガーの帰還で、随行していた騎士たちが宮殿内を行き交っていたのだ。


 エディシュと歳の近い王子たちには、付き従う騎士にも知人が多く、元婚約者までいた。今は絶対に顔を合わせたくない相手だった。


 エディシュは、裏口から入れてくれた兄に心から感謝した。表から入っていたら、どれほど気まずかったか。


 騒がしさを避けるように、エディシュはレダ妃の私室へ向かった。入口の衛兵は彼女の顔を見るなり、すぐに通してくれた。部屋ではレダ妃が、式典を終えて葡萄酒を手に寛いでいた。


「申し訳ありません。このような慌ただしい日に参上してしまい……」


 エディシュはひざまずこうとしたが、レダ妃の手招きですぐに近くの椅子に座らされた。

 

「良い。呼んだのは私だ。だいたい、帰国の式典などバカバカしい。毎年同じことの繰り返しでうんざりだ」


 レダ妃は、夫アルドリックと同様に、形だけの式典を嫌っていた。「息子たちは元気でいてくれればそれでいい」と常に口にしている。


 エディシュの杯にも葡萄酒が注がれた。女官が下がると、レダ妃が切り出した。


「エディシュ。バトーダ家との縁談は、残念だったな。私たちも責任を感じている」

「いえ、レダ様方のせいではありません。あの話は、初めからだめだったのです」


 エディシュは、バトーダ家の養子ラルゴとの因縁をレダ妃に話した。レダ妃は目を丸くしてエディシュの話を聞いていた。


「なぜ、私の周りには普通の男がいないのでしょう。そんな、高望みをしているわけでもないのに」


 エディシュのため息に、レダ妃は眉を上げた。


「エディシュ。言っておくが、普通の男などというものはおらぬ」

「レダ様……」

「皆それぞれ、難儀な面を抱えておる。それを受け入れられるかどうかが肝要だ。そもそも“普通の娘”は、相手を選べぬのだ。私とてそうだ。父に“陛下に嫁げ”と言われたから嫁いだまで」


「え? でも、陛下とレダ様は……」


 アルドリックとレダ妃は、こういった身分の方には珍しく、結構な恋愛だったと聞いていた。

 

「初めは不安しかなかった。王族とは思えぬ軽薄な態度、調子の良い物言い、そして面倒事から逃げる癖。尊敬できる部分など、何一つないと思っていた」


 あまりのレダ妃の言い様に、エディシュはアルドリックが少し気の毒になった。ああ見えてアルドリックは、側室一人、持とうとはしなかったのだから。


「だが陛下の、“人を平らに見る”姿勢には感銘を受けた。だから、他のことには目をつぶった。――夫婦の形など、二人で長い時間をかけて作り上げるもの。初めから完璧を求めてはならぬよ」

 

 レダ妃は再び葡萄酒を口にし、氷のような蒼い瞳でエディシュを見据えた。

  

「エディシュ。お前に提案がある。ベラノーシュにいる私の甥が、二年前に妻を亡くしている。六歳になる子供がいるが、後妻に入らんか?」


「レダ様の甥御様というと……」

「ベラノーシュの第一王子エイリークだ」


 エディシュは、思わず悲鳴を上げそうになった。

 

「めっそうもない! 私のようなものが、レダ様の甥御様となど」

「不服か? ベラノーシュでは、女一人で馬に乗っていても、うるさく言われんぞ」

「も、もったいな過ぎて……」

「子持ちの後妻は嫌か? お前ならば、いずれ王妃にも――」

「レダ様、それは……あまりに荷が重すぎます! 私は王族でもなく、妃の心得も……」


「エディシュ、よいか。ローダインはじめ、今の王族で大昔から王族であった家などない。元はみな、従者であったり、官吏であったり、剣士であったり様々だ。身分など、時代とともに変わるもの。私の甥も、それくらい承知している。それに、先妻も王族ではなかった。大臣の娘だった」


「しかし……」

「エディシュ。建国祭には、ベラノーシュの代表として甥も来る。顔だけでも合わせてみよ」


(ベラノーシュの第一王子?

 ゆくゆくは王妃?

 六歳の子供?

 ……無理!)


 エディシュは、心の中で叫びながら、逃げるように部屋を辞した。

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