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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第十六章 暗い光
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093 王都ロクスファント

 フォローゼルは、辺境よりもさらに東に位置していた。

 

 西には連なる山脈がそびえ、東には聖なる山から続くオビーラ山脈がある。

 南は海に面しており、東国と大陸諸国を結ぶ海路の要所でもある。

 北に続く陸路は、巡礼者が通る隘路のみ。

 

 ――つまり、フォローゼルは西の辺境とも、さらに東の国々とも、山に挟まれて隔絶されていた。


 王都ロクスファントは、山々から流れる川を活かして築かれた都市で、町中には運河が張り巡らされている。その中心にそびえるのが、巨大で堅固な王宮だ。宮殿の周囲は水路に囲まれ、舟を使わなければ中には入れない造りになっていた。


 最上階は王の居室。その下には王子や貴賓のための部屋、さらに下の階には王妃と後宮の女性たちの住まいが設けられている。


 各階には「空中庭園」と呼ばれる庭があり、どの季節も花が絶えることのないよう管理されていた。


 その後宮の庭で、王妃の声が響いた。

 

「マヌエル! マヌエル! おらぬのか?」

 

 その頃マヌエルは、王子バシリウスの顔に剃刀を当てていた。王子は、身近に刃物を持たれることを許すのはマヌエルだけだった。呼び出しを聞いたマヌエルは、すぐに身支度を整えて王妃のもとへ向かった。


 後宮の門には、屈強な門番が立っていた。彼らはマヌエルの顔を見ると、扉を開いた。普通の男では入ることすら許されない場所だ。中では侍女が待っており、マヌエルを庭園へ案内した。


 春の花が咲き始めた庭の中で、フォローゼル風の衣をまとった王妃ベアトリキが立っていた。マヌエルはその前にひざまずいた。洗いたての銀髪が、風に揺れた。


「マヌエル、どういうつもりじゃ。あの不吉なエル・カルドに侵攻するとは。お前がついていながら!」


「ご叱責はごもっともですが、私の言葉で止まる方ではございません」


「では、お前が側にいる意味はなんだ。あれは唯一の王子。早く妃を迎え、子を成さねば、国が途絶えるぞ」


 マヌエルは内心、呆れていた。唯一の王子になったのは、王妃自身のせいではないか。


 バシリウスにはかつて年の近い弟がいた。王妃は弟を溺愛し、兄を毒で排除しようとした。瀕死の末にバシリウスは生還し、最初に行ったのが弟を討つことだった。


 ――王妃への見せしめだった。


 悲しみに暮れたかと思えば、王妃はすぐバシリウスに乗り換えた。しかしそれ以来、バシリウスは誰とも食事を取らず、眠る時も常にマヌエルを傍に置いた。他人を寄せつけなくなった。


 后を迎えない理由も王妃にある。


『王妃の息のかかった女など、側に置けるか』


 いつもそう言って、王妃の送り込んでくる女性を退けていた。唯一の例外が、あの東国の小娘であった。

 

 王妃はじろりとマヌエルを見下ろした。


「よもや、エル・カルドより、誰ぞ連れてきてはおらぬだろうな」


 マヌエルは一瞬、辺境で拾った若い男のことが頭をよぎったが、王妃の言う誰かが、男のことではないと思い直し否定した。


「いえ、そのようなことは……」

「また、イリス様のようなことがあってはならぬからの」


 王妃は庭園の小道を歩き、遥か下に広がるロクスファントの町を眺めた。

  

「そういえばマヌエル、知っておるか? あの東国の娘のいた使節団が、何者かに襲われたぞ」

「まことでございますか?」


「何だ、知らなんだのか。(わらわ)も、それ以上のことは知らぬが、まあ生きてはおるまい。哀れよの。素直な良い娘であったのに」


 マヌエルが王妃の元を辞すると、若く美しい侍女が付き添った。薄暗い廊下を歩きながら、侍女は話しかけてきた。


「バシリウス様もマヌエル様も、ご無事でようございました。王妃様は、それはもう心配なさって……」


 マヌエルは心中で冷笑した。その“心配”が誰のためのものか、分かりきっている。侍女はなおも話し続けたが、マヌエルの耳には届かなかった。


 侍女は突然マヌエルの腕を取った。彼は驚いてにらみつけた。


「……そのような、恐ろしいお顔をなさらないで下さいまし。マヌエル様は、奥方を望まれませぬのかと、うかがっただけでございます」


 マヌエルは耳を疑った。


「お前は、私がどういう者かわかって言っているのか?」

「もちろんでございます。宦官であっても、妻をとられる方は多くいらっしゃいます。たとえ子は望めなくとも」


 その言葉に、マヌエルは奥歯を噛んだ。


「……私が自ら望んでこうなったとでも思うのか?」

「いえ、ローダインのせいだということは、存じております。私はただ……」

「ならば、黙っていろ。私はバシリウス様に全てを捧げた身。妻を持つ気など、毛頭ない」

「申し訳ありません! お許しを」


 侍女は想定外の強い拒絶に血相を変え、地面にひれ伏した。自らの容姿を以てすれば、喜んでもらえると思ったのだろうか。


 マヌエルは、その姿に見向きもせず、後宮を出る扉をくぐり、バシリウスのもとへ向かった。横目で体格の良い門番をちらと見た。彼らもまた、宦官であった。


 (ここはまるで魔窟だ。あの小娘が逃げ出すのも無理はない。だが、その結果死んだのでは、何の意味もない)


「どうした? また、あの女に何か言われたのか」

「はい。あの……」


 バシリウスは、日陰に置かれた椅子でくつろいでいた。王妃の言うことは、だいたい察しがついていた。


「東国の小娘の馬車が、何者かに襲われたとか」

「そうか」

「……捜されますか?」

「なぜ、我らが捜す必要がある。捨て置け。それより、今から親父殿のところへ行くぞ」

「……はい」


 意外にも、バシリウスは何の関心も示さなかった。ふとマヌエルは、あの娘がフォローゼルの腕輪を持っていることを思い出した。


 あの娘が生きて腕輪を使えば、捜さずとも、いずれここにも報告がくる。とは言え、バシリウスの本心は読めなかった。


 バシリウスとマヌエルは、宮殿の最上階にある王の居室を訪れた。王は寝台から身を起こし、人払いをさせた。豊満な身体つきの侍女たちは部屋を去り、マヌエルもまた、部屋の外で待った。


「親父殿。具合はどうだ?」


 バシリウスはひざまずきもせず、普通の親子のように、王の枕元にある椅子に座った。


「ふん。お前のようなものに心配されるとは、儂も落ちたのう。それで、遠征はどうじゃった」

「別に。すぐに、次の戦に出る」

「本当にやるのか?」

「ローダインを相手にしていても、(らち)が明かん」

 

「そうか。お前の好きにしろ。ただし、死ぬなよ。世継ぎを残すまでな。この国を、儂一代で終わらせるわけにはいかん。次の戦が終わったら、お前も妃を取ることを考えろ」


「わかっている」

「エル・カルドには、めぼしい娘はおらなんだか?」

「あの国の者など連れてきたら、親父殿が嫌がるかと思ったが?」

「お前は、あの女とは違う。誰かに溺れるようなことはあるまい」


 かつての叔母イリスの姿がバシリウスの脳裡に浮かんだ。将軍として軍の先頭に立つ姿。ドレスをまとい泣き崩れる姿。


 ――この父王は、エル・カルドの男に溺れた妹の名を呼ぶことさえ嫌がった。一族の恥だとも思っていた。


「先のことなどわからんぞ」

「まあ妃など、子さえ産めれば誰でもよいわ。お前の好きに選べ」

「それでいいのか?」


「ベアトリキを見ろ。なまじ有力者の娘を選んだばかりに、後宮では好き放題だ。あそこで一体、何人の女やお前の弟妹が死んだことやら。まあ、お前もあの女には気をつけろ」


「わかっている」


 部屋を出たバシリウスに、マヌエルが近づいた。


「陛下はお怒りでは?」

「いや、別に。それよりマヌエル。海将を呼べ」

「かしこまりました」


 マヌエルは歩きながら、ためらいがちに口を開いた。

 

「実は、辺境で拾った男ですが、兵士たちが気味悪がっておりまして」

「何だ」

「何も食べぬのです。そればかりか水も飲まず、眠りもしないと申しておりまして」

「ほう?」

「あれは……生きた人間では、ないのではないかと」

「そんなことは、どうでも良い」

「しかし……」


「戦場で剣を持ち、戦えるというならば、生きていようが死んでいようがどうでも良い。兵士たちが気味悪いというならば、我が側へ置け」


「さすがにそれは……。兵士たちには、言い含めますゆえ」


 二人は庭に面した部屋に戻った。そこもまた、季節を問わず花が咲いていた。


 マヌエルが海将を呼びに部屋を出ると、バシリウスは椅子に座り、ふと先日までここにいた東国の娘の姿を思い浮かべた。だが、目に映るのは庭園の薄闇ばかり。


 ――それきりだった。


     ◇          ◇

 

 ロクスファントの町外れ。光が闇に沈む頃、その神殿にあかりが灯った。かつては今の宮殿の場所にたっていた――原初の神アズ・オーリアス・イシュトの神殿。


 フォローゼル国王が、決して神殿を軽んじているわけではないと言い、新しく建てたものであった。だが、かつての神殿の上に自らの宮殿を建てた時点で、自分たちの威光を見せつける意図があったことは、明らかである。


 その神殿の裏門に、幌付きの荷馬車がそっとつけられた。


 門前に現れたのは、白い長衣をまとった若い神官だった。


「ネイリウス様、アレイオス様がお待ちです」

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