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エル・カルド(失われた聖剣)  作者: 夜田 眠依
第二章 辺境にて
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009 ボドラーク砦

 一団が砦に戻ったのは、陽の落ちる寸前であった。西の空は赤銅色に染まり、石壁の上で揺れる旗が燃えるように照らされている。冷えた風が頬をかすめ、遠くで渡り鳥の声が細く響いた。


 ボドラーク砦は元々、フォローゼルが築いたものだ。異国風の尖塔や丸窓の並びは、重厚な石造りの中にどこか柔らかな曲線を描き出していた。幾度見ても飽きず、シルヴァの目を楽しませる。


 堀に架かった跳ね橋が重々しく降ろされ、人馬がどっと雪崩れ込む。鉄の蹄が石畳を打ち鳴らし、馬の嘶きと兵士たちの掛け声が重なり合う。中庭では、木蔦に覆われた壁が夕闇に沈みつつあり、そこへ溢れ出した人々の熱気と声が一気に満ちていった。革の匂い、汗の匂い、焚き火の煙が入り混じり、雑然とした活気が渦を巻く。


 すれ違いざま、次々と声がシルヴァに飛んでくる。


「ようシルヴァ。久しぶりだな。今度はどこへ行ってたんだ」

「船に乗ってた」

「船か。いいな。後で飲もうぜ」


 たわいもないやり取りに笑みを返すシルヴァを見て、エディシュは呆れ顔をした。


「あんたって、どこにでも知り合いがいるのね」


 確かに、行き交う人々は地方も身なりも様々で、砦の中は小さな市のようであった。異国の建物と人波とが混じり合い、日暮れの空気の中に奇妙な光景が広がっていく。


 灯りのつかぬ回廊から、背の高い若い騎士が現れる。エディシュによく似た面差し、鋭さの奥に柔らかさを宿す碧眼が、真っ直ぐこちらへ歩んで来た。


「あ、お兄ちゃん」

「エディシュ、怪我はないか」

「お、コンラッド。久しぶりだな」


 シルヴァは手を上げ、軽く振った。


「なんだ、シルヴァ。一緒だったのかい。悪いね。ここも明日の撤収の準備で、あちこちごった返している」


 手にした羊皮紙を広げ、次々と兵士に指示を飛ばすコンラッド。その声は冬の陽だまりのように穏やかで、騒がしい砦の中で不思議と通りがよい。


 シルヴァは、ひと回り背の高いその姿を見上げた。ローダイン人は総じて体躯が大きく、エル・カルド人とは対照的だ。


「明日、撤収か。本当に解散しちまうんだな。悪いな。忙しい時に来ちまった」

「構わないよ」


 穏やかに返す声に、シルヴァはふと笑った。彼が怒る姿を見たことはない。エディシュと双子のように似ていながら、性格はまるで違う。


 ふと天を仰いだコンラッドの掌に、ひとひらの白い粒が落ちた。


「ほら、雪がちらついてきた。雪が降りだしたらフォローゼルは来ないからね」


 静かな言葉に、周囲の喧騒が一瞬遠のいた気がした。夕闇の空気の中、冷たく冴えた匂いが漂い、白い粉雪が暗い石畳に溶けて消えていく。


 行き交う人波をかき分け、一人の少年が飛び出してきた。


「あ! エディシュさん。おかえりなさい」


 歳は十四、五か。金色の巻き毛が中庭の焚き火の明かりにきらめき、碧い瞳がはじけるように輝いている。短いチュニックと下衣の軽装は、冬の空気にはいささか心許ない。頬に走る赤みが幼さを残し、その姿にシルヴァはふとウィラードを思い出した。


「トーマ。ただいま」


 エディシュの声に安心したように頷いた少年は、その背後に立つシルヴァへと目を移す。


「あの、この方は?」


「この人はね、シルヴァ。エル・カルド人よ。これでも七聖家の人間よ」


 エディシュは意地悪そうに笑い、指先でシルヴァを示した。


「これでもってなんだよ。……この子は初めて見る顔だな」


「この子はトーマ。バルドの弟子よ。バルドが亡くなってから、もう半年くらいここにいるかな」


 その名を聞き、シルヴァは思わず目を見開いた。


「バルド? また、懐かしい名前だな。ってことは、こいつも吟遊詩人か?」


「ええ、失業中だけどね」


 冗談めかした返しに、シルヴァは視線をトーマへ向け直した。少年は口を開きかけて、声がうまく出ずに喉を鳴らす。まだ不安定な響き――声変わりの最中なのだ。


「声が落ち着くまで、うちで面倒をみようと思って。ここで、いろいろ手伝いをしてくれてるわ」


「へえ、そうか。歳はいくつだ」


 問いかけに、トーマの表情が曇った。沈黙が短く落ち、彼は視線を泳がせた。


「……わかりません」


「へ?」


 シルヴァは目を瞬かせ、口を開ける。

 返す言葉が見つからず、沈黙が落ちる。甲冑の触れ合う音がやけに大きく響き、荷を運ぶ男たちの掛け声がそれに混じった。


「僕、もともと捨てられていたんです。それに師匠も、最初はこれくらいだろうって数えてたそうなんですけど……途中で忘れたって」


 トーマは顔を伏せ、最後は声を詰まらせた。寒さで赤らんだ鼻を手の甲で擦る仕草が、見た目以上の幼さを垣間見せる。


「なんだ、それ。……バルドって……そんな人だったっけ」


 シルヴァは短く息を吐いた。

 石壁に反響する物音が遠のいた気がし、胸の奥に落ち着かないざらつきが残る。


 シルヴァが知る限り、バルドはあらゆる言語を自在に操る天才であった。父の話では、彼がいなければローダインとの交渉は成立しなかったというほど。そんな男が弟子の年齢を忘れる――その落差に、妙な違和感が生まれる。


「それに、年齢よりも他に覚えることは、たくさんあるって言ってましたので。古歌とか、古語とか、エル・カルドの言葉も習いました」


 トーマは再び顔を上げ、誇らしげに瞳を輝かせる。


「へえ。じゃあ、エル・カルドへ来たら通訳してもらおうかな。エル・カルドではまだまだ共通語(コムナ・リンガ)の話せない人間が多いからな」


 慌てたように少年は首を振る。


「そこまでは、ちょっと自信ありません。騎兵団長には、時々教えてもらってますけど……」


「ディラン!? ……あいつ、エル・カルドの言葉を話せたのか。いっつも共通語で話してたから、気が付かなかった」


 驚くシルヴァに、エディシュは肩を竦め、ため息をついた。


「そりゃ、話せるでしょ。セクア様は、あまり共通語が、お得意ではなかったらしいから。ディランとはエル・カルドの言葉で話されていたみたいよ」


 石壁に反響するざわめきの中、シルヴァは腕を組み、しばし考えた。


「まあ、大人になってから新しい言葉を覚えるのは難しいよな。それでいうと、バルドってやっぱり凄かったんだな」


 廊下が闇に沈む中、篝火が一つ、また一つと灯されていく。


 自分の師を褒められて、トーマの顔にぱっと笑みが広がる。その笑みは幼く、無邪気で――ローダイン人らしい少年の顔は自分のことのように喜んだ。


「あ、ディランが戻ってきたわよ」


 エディシュの言葉に、シルヴァが顔を向ける。

 篝火の火の粉が舞う横を、風雪とともに面頬を上げた騎士が早足で近づいてきた。戦士も荷運びの人足も、慌てて道を空ける。トーマがそっと駆け寄ると、ディランは歩みを止め、身を屈めて小声で二言三言交わす。その姿は硬い鎧姿でありながら、妙に柔らかかった。


 やがて少年は手を振り、暗い通路へ駆けて行った。背中に篝火の赤がちらりと揺れ、闇に溶ける。


「ずいぶん懐いてんな」


 シルヴァが感心したように呟くと、エディシュは肩をすくめて笑った。


「まあ、ああ見えてディランは面倒見がいいからね」


 その時、指示を終えたコンラッドが戻ってきた。


「エディシュ。シルヴァをじいさまの執務室へ連れて行ってくれないか。私たちも後で行くから」


 短く言い残すと、彼はディランを伴い、居室の方へと歩き去る。人混みの中、残響のように足音が遠ざかり、しばし沈黙が残った。


 エディシュがシルヴァへ振り向き、声を落とす。


「で、今日はおじいちゃんに用? 〈聖剣の儀〉のこと?」


「まあな。とりあえず挨拶と相談事かな。ゼーラーン将軍に」

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