Postlude
天使は、夢から覚めていた。
あれは非日常でめちゃくちゃな。心が休まることのない、波瀾万丈な一年の夢。
シスター!と駆け寄ってくる、元気いっぱいの子どもたちの頭を、天使は優しく撫でてあげながら、「光陰矢の如し」を痛感する。
あれからーー。クリスマスに血まみれの男女が倒れていると、しばらく大騒ぎになった後、紆余曲折あって近くの修道院に保護された。
そこでの暮らしは、けっして裕福ではないけれど、心が豊かになるような素晴らしいものだった。
天使は何より、未来を生きる子どもの笑顔を眺めるのが好きだ。
「今日はね、みんなに聴いてほしい曲があるの……じゃじゃ〜んっ!」
天使がトランペットを取り出すと、待ってましたと言わんばかりに、子どもたちはお行儀よく、体育座りをする。
その様子に、天使は思い切り顔を綻ばせた。
大得意のタンギングに、滑らかなスラー。
ここからが見せ場だった。一瞬の静寂のあと、戸を叩くように、熱く激しく息を吹き込む。
初めて演奏する曲だったので、飽きて外に遊びに行く子もいれば、途中で寝てしまうような子もいた。だけど、それはそれで仕方ないとも思った。だって、いま演奏した曲は、天使自らが作曲したものなのだから。
天使は庭にぐんと伸びた、黄金のひまわりたちを見つめる。
題名は、「交響曲第5番〈Girasole〉」。
交響曲第5番ーーすなわち、運命。
「"デスティーノ・ジラソーレ"、なんちゃって」
誰もいなくなった部屋で、そんなふうに、ひとりごちてみる。
天使はもう一度、ローテーブルに突っ伏した。お気に入りの場所。ここでは、驚くほど気持ちの良い昼寝ができるのだ。
あえてオーケストラ形態にしてある「交響曲第5番〈Girasole〉」。もしもこの曲を、敵味方関係なく演奏できたら、どんなに楽しかっただろうか。
どうしてこんなにたくさん書いたのか、自分でもよく分からないが、何十枚もの楽譜を懐かしむように、天使はぱらぱらとめくる。
天使の指から、紙の感触が完全に離れた。そうして、ほうっとため息をつきつつ、思う。やっぱり、暴力だとか、抗争だとか。そういったものたちはみな、日常に潜むちょっとのスリルとして、創作物の中で起こっているくらいでちょうどいいのだ、と。
ーーひとりで演奏するのは、寂しいなあ。
なんせ、交響曲だし。それに本当は、ソロなんて最初から、向いていなかったかもしれない。
だけど、そんな天使を肯定するかのように、月は見守っている。
そうだ、あの月だけは、ずっと前から綺麗だった。
天使は夜に向かうと、春の、聖なる月まで届くように、楽譜を放り投げる。
過ぎ去ってゆく時間のように、楽譜は舞って、積み重なる。
天使は修道院に帰ろうとするが、まるでそれを阻止するみたいに、瑠璃色の空に散らばっていった楽譜の一枚を、誰かが拾い上げた。
誰かが、天使の名を呼んでいる。背中に翼はなかった。地に足をつけたまま、ゆっくりと後ろを振り返る。
目頭が、笑ってしまうくらい熱くなる。
ーーああ、あれはなんて……なつかしい顔……。
天使は、その姿をしっかり心に刻もうと、満ち足りた様子で目を閉じた。
あとがき
筆者が本作を通して一番伝えたかったことは、良い意味でも悪い意味でも「人は夢を見ないと幸せになれない」ということです。
たとえば、二国間で戦争があったとして、A国は必ず勝ちたい、でもB国だって絶対負けられない……。そういう状況になったとして、双方の望みを一度に叶えるには、みんなでベッドに眠ることーーそれくらいしか手段はありません。
たまたまそれが顕著に表れてしまったのが、やはり、聖田 朧という人物なのでしょう。彼は、永遠の眠りーーつまり、死を救いだと、そう信じて疑いませんでした。だからこそ、あのような物騒で極端な発想を、最期に思いついたのです。
目標とか、野望とか。人間、夢見てなんぼですが、うまく折り合いをつけるには、まだまだ難しそうですね。
さて。結局、Girasole=向日葵って誰のことだったんでしょうか? 太陽を追いかける花。あなただけを見つめる花。それは陽であり、影助であり、聖田であり、あるいは他でもないーー読者のあなたなのかもしれません。人はきっと誰しもが、太陽を追いかけます。太陽は生きる意味であり、正義と一緒です。それが私個人としての解釈です。あなたも誰かの、太陽なんです。そのことをどうか、ずっと忘れずにいてください。
あわよくば、本作に皆様の貴重なご感想と(せっかくなので、ここはおとなしく、タイトルにかけることにします。)、下記に"5つの向日葵の種"を蒔いてくださいますと、とっても嬉しいです。それらは、いつしかきっと、私の中で芽吹くでしょうから。
結びに。幸せに狂っても、曲がっても、こんな世界なんて、と悲観せず、とにかく生き抜いてみればいいと思います。頑張った先になら、結果はほいほいついてくるので、四の五の言わず、いっぱい長生きしてくださいね。もちろん、私も!
それでは、名残惜しいけれど、
いのりを込めてーー富士明美(改め、目玉木 明助)