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幸狂曲第5番〈Girasole〉  作者: 目玉木 明助
第5楽章 向日葵聖戦編
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84.ねじ曲げられたフィナーレ

メリークリスマス。



 真っ黒な翼みたいに広がった血だまりの中に、スイッチのかけらが、小さく飛び跳ねる。そこには聖田きよだが、静かに横たわっていた。


 銃なんてもう、いらなかった。かしゃりと、乾いた音が静寂に鳴る。


 死にものぐるいで走って、膝に頭を乗せると、聖田の血液がみるみるスカートに染み込んでいった。止まることを知らない過呼吸は、陽の頭を瞬時に真っ白にさせる。


「……朧さん! ごめっ、ごめんなさい……わたし……こんな、つもりじゃ……あ、あ……あああ……っおぼろさん、おぼろさんっ……!」


 遠ざかってゆくサイレンのように、耳もとの心音は徐々に不確かで曖昧なものとなっていった。冷たい涙が、聖田の頬に滑り落ちる。聖田はひどく、うつろな目をしていた。


「……ッ、その、ままっ……そのまま、です。起きててください、おねがいだからっ……!」


 どの口が言っているんだとは、きっと、頭では理解していた。


 世界の存続か、愛する人の命か。どちらかを選び、残された片方を捨てるしかなかった。そのはずなのに、どうしたって、いま目の前にある、一縷の望みにかけてしまう。


 聖田を手にかける、なんて最低最悪な覚悟を決めてなお、喉から出かかった「生きててほしい」は、呪いともよく似た響きをしていた。




 やがて、聖田がこちらに、硬直しかけた手を伸ばしてくる。その手はまるで、宝珠に触れでもするかのように、やさしく、あたたかく、陽の両頬をすくい上げる。


 初めて目が、合ったときみたいに。瞳の奥の月光に、陽はただ、吸い寄せられる。


 かすかに聖田の口もとが緩んだのを、陽は決して、見逃さなかった。



 唇が、重なり合う。


 さざなみみたいだ、と思う。触れるだけの、拍子抜けしてしまうほどーー穏やかなキス。


 寄せては返す波のように、聖田は引いてゆく。




「わらっ、て……ぼく、だけの、救世、主…………」




 待って、と声をかける間すら、与えられなかった。振り絞るような声を最後に、聖田は眠りについたらしかった。陽の腕の中には、精巧に作られた人形の感触だけが、虚しく残る。



 体の底から湧き上がってくる慟哭が、地球全土にこだました。


 今たしかに、はるの手によって、世界は救われた。愛した人と、引き換えに。




 四つ並んだ眼が、きゅっと細められる。


 遠くに見える朝焼けは、泣き腫らした目には、あまりにも力強すぎる。


「これからどーするよ。なァ、英雄サマ?」


 さっき、無事に再会を果たせたばかりの影助がそう尋ねる。


 無数の包帯、消毒液。応急処置は、とてつもなく大変だった。なんせ、致命傷までとはいかずとも、彼は頭からたっぷりと血を流していたのだから。


「私は……朧さんの命を奪った罪を、一生背負って、ここで生きていくつもりです」


 窓の内を振り返る。そこでは綺麗な笑みを讃えたままの聖田が、仰向けになって両手を組んでいた。


 正直、もう死んでしまおうかとも考えた。寂しくないよう、自分も聖田のあとを追おう、と。だけど、それではきっと、聖田と滅ぶことより、みんなと明日を迎えることを優先した意味が、永遠に失われてしまうような気がした。


 だから、とりあえずは生きる。もちろん、許されるなんて思ってないけど、それでも生きてみる。


「そういう、影助さんは?」


 どうしてか、いたずらっぽく笑った影助に、陽は質問を投げ返した。


「オレ? ンーーあっちで生き残ってるヤツら集めて、ボスがいつ帰ってきてもいいように準備しとく」


 一気に、体温が下がる。


「それって、でも」


 オルタ湖に沈む機体。


 ボスはもうーー


「その先、言ったらコロす。いーんだよ。どうせ、ボスの最期は誰も見てねェンだからな」


 影助は、釘を刺すようにこちらを見やる。


「お前こそボッチで、それも遠く離れたイタリアで、だ。ちゃんとメシ食ってけんのか?」


「あ、そうですよね……実はしばらく、修道院で働かせてもらおうと思ってて。」


 これから生きていく子どもたちに支援がしたい。そう説明すると、影助は長いまつ毛を何度も上下に動かした。


「返しきれていない借金については、これから返していきます。必要になったら"臓器"だって売る覚悟なので、今後とも、その、よろしくお願いします」


「お前ってさーーマジメっつーかなんつーか、けっこう引きずるタイプだよなァ」


 影助は、頭で両手を組みながら言う。


「ンな思い詰めなくたって……オレが、半分くらいは背負ってやっケド」


「…………え?」


「今ならトクベツ、お前の都合のイイ男になってやらんこともない。」


「いやいや! さすがにそこまでは! だって、私が働いたぶん、少しずつ返済していく契約だったじゃないですか」


「ち、黙ってオレに頼れっつってんだ。皆まで言わすンじゃねェよ」


 鼓動が跳ねる。


 本当に、頼ってしまってもいいんだろうか。


「誰かサンのせいで気が変わっちまったンだよ。亡霊もカネもいっぺんに背負ったら、お前はそのうち、間違いなく潰れるだろうしな、って」


 動揺する影助に、陽は突っ込んでいく。そうして、影助の右手をぎゅーっと、両手で包み込むように握りしめた。


「ーー親愛の握手です、影助さん。本当に、私、なんて感謝したらいいか……!」



「ハイハイ。わーったからさっさと離せや、血生臭ェのが移るだろ」


 しっしと手を払われる。


「あはは。お互い様ですよ。酸いも甘いも、ぜんぶ影助さんから教わりましたから」


 陽が言うと、影助からじとりと睨まれた。


「……ちょっと見ねェ間に、イイ女ンなりやがって。クソ。やっぱ、一回くらい抱いときゃ良かったか?」


「えっ?」


「……オイオイヨウチャン、そン歳で難聴ってだいぶヤベーんじゃねェの? オレはなァんも言ってねーけど。」


「え、そ、そんな! 聴力って、特訓すれば回復するんでしたっけ……?」


 不安を和らげたくて、少しの希望ほしさに聞いてみたら、知るかバカ、とかえって髪をぐしゃぐしゃにされてしまった。


「でもま、強いて言うなら、そうだな……あー、耳がまるっきり聴こえなくなるくらいまでは、長生きしろ。そンだけ」


「……? はい! よく分からないけど、とにかく、おばあちゃんになるまで耳を守れってことですよね。私、いつもみたいに精一杯頑張ってみるので、影助さんこそ、おじいちゃんになっても元気でいてくださいね!」


「オウ」


「あとやっぱり、一年に一度くらいは、私にもお金を支払わせてください。そうでもしないと、私の気が済まなくって」


「そこ、意地でも譲ンねェのかよ。相変わらずガンコだな」


 鋭いツッコミに陽が笑うと、影助もつられて笑ってくれる。


「ま、今に始まった話でもねェか。初めて会ったときから、お前はずーっとそうだった」


 意地っ張りの頑固者、トランペットバカの世間知らず、オマケに報連相ができないときたーー次々と並べ立てられる言葉たちは、揃いも揃って悪口ばかりだったけれど、影助の声音にはどこか、穏やかさすら含まれていた。


「やりてぇことは死んでも貫け……あの人ならたぶん、そう言うんだろうな。お前が亡命しようが、宇宙の果てまで逃げようが、オレはいつでもお前を監視してるからな。せいぜい覚悟しとけ」


 はいと答えながら、陽は笑顔で、影助のネクタイを結んだ。



 冷たくなった聖田を背負い、陽は裏庭を目指す。後ろから伝わってくる命の重みに、今にも、潰れてしまいそうだった。


 簡単なお弔いしかできないかもしれないけれど、それならせめて、気持ちだけでも、と。両腕に、さらに力を込める。どれだけかかろうと、聖田にふさわしい景色を必ず、探し当ててみせる。


 柔らかな花びらが、陽の鼻をつまむ。


 風に導かれるように、陽はその先を辿っていった。


「ほわ……すごい。千本くらい、ありそう……」


 黄金の息吹に、ふたりの体が、わあっと飲まれる。


「ねえ見て、朧さん。季節外れのひまわりが、こんなに綺麗ですよ」


 もちろん、背中から返事がくることなんてない。泣きたくなるくらい安らかな表情に、陽は微笑む。


ーー夢でも見てるのかな。


 そう思った途端、ふいに、視界がぐにゃりと揺れた。熱くて、重い瞼を必死にこする。


 立っていたいのに、足からどんどん、力が抜けてゆく。


 どうやら、聖田に飲まされた睡眠薬が、今になって効いてきたようだった。


 もうごまかせない睡魔に、陽は膝をついた。


(いやだ、わたし、まだ、ねむりたくな、い……)


「おぼろ、さん……」




 ここに骨を埋めなさいと、揺れに揺れるひまわりたちが囁いているみたいだった。



あとがき


ラストの更新は、今夜8時8分頃を予定しております。

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