74.結ばれる、なんて。
陽は今日も、人知れず銃の訓練に励んでいた。
白い息が、指先に触れる。
聖田が姿を消して、もうすでに三ヶ月ほど経っただろうか。
今朝、ポストへ陽宛てにと小包みが投函されたーー他でもない、聖田からの。
*
勢いよく小包みを開けると、中から何かがぽとりと落ちた。
赤ちゃんの産衣のように柔らかなガーゼのハンカチを拾い、陽は時間差で絶句した。
引っ越しや、お葬式。ハンカチにはたしか、別れの意味が込められていたことを思い出す。
不吉な予感が、全身を駆け巡る。
ハンカチは、一枚の紙を包んでいた。
もしかするとこれはメモ、だろうか。
『貴女の涙を拭うのは、僕でありたい。しかしできることなら……直接、零れ落ちる鏡の涙を舐め取ってあげたい。天使の涙はきっと、あまじょっぱくてあたたかい。』
「マーキングだろ、ソレ。多分アンモニアとか塗りたくってンぞ」
ぬっと、背後からいきなり影助に顔を出されて、陽は思い切り、鋭い悲鳴をあげた。
同時に、思わずハンカチとメモを放り投げてしまう。それを影助は、見事にキャッチしてくれた。
「よくこんな電波ポエム送れたな、アイツ。一周まわってマゾか?」
封筒の裏側を見た影助は、何度か目を瞬かせている様子だった。
「オルタ・サン・ジューリオーー」
「取り乱してごめんなさい……影助さん。"まぞ"ってなんですか?」
「いいや、なンでもねー。どっちにしろお前にゃ関係ねェよ」
まぞ。ひょっとして、魔族という意味なんだろうか。いわゆる隠語、みたいな。
結局影助には、はぐらかされてしまった。なんだか腑に落ちない心地で、陽は背中を見送る。
*
「前よかずいぶんマシになったんじゃねェの? 陽チャンよお」
さっきぶり、と影助はひらひら手を振っている。休憩を終えたばかりなんだろうか、影助からはほんのり、夜の煙草の香りが漂ってきた。
陽はしまった、と思う。一日中銃の訓練をしていたものだから、陽のシャツには絶賛汗にじみ中だ。
汗くさかったらどうしよう。陽はひとまず、影助から距離を取ってやり過ごそうとした。
ところが。匂いなど全くお構いなしというふうに、影助は陽へと詰め寄ってきた。
「基礎はまあまあ、あとは応用力か……ほら陽、手ェ出せ。」
(あちゃー……)
やっぱりマメのことについて何か、言われるだろうか。そうとばかり思っていたが、影助が手に乗せてきたのは、陽の予想をこれでもかと裏切るようなものだった。
手のひらには、銃の弾がころころ転がっている。危うくそれらを落としそうになって、とっさに、これなんですかと影助に聞いた。
「なにって、優しい上司からのゴホービだけど」
影助は、いつになく上機嫌だった。
「いらねェっつーなら返せよ」
「あっ。いや、そういうわけじゃないですよ。重ね重ねありがとうございますって、言いたかったんです。……そうだ! 影助さんこそ、何かありませんか? ほらっ! ほしいものとか、やりたいこととか!」
陽はいつも、もらってばかりだ。そろそろ、何かちゃんとしたお礼がしたい。
遠慮せず言ってください、と頭を下げる陽に、影助はなんでも?と尋ね返す。
「ン、じゃあ……」
瞬時に、もったいない!と陽は思う。なんと。きっちり三角に結ばれたネクタイを、影助はしゅるりと解いてしまったのだ。
細くて長い指。その動きに見惚れていると、影助の、しなやかな指がこちらに向かって伸びてくる。
「陽。オレのーーネクタイ結べ」
真剣な眼差しに思わず、おうむ返ししてしまった。影助のネクタイを、陽が結ぶ。たったそれだけのことでいいんだろうか。
正直すごく不思議に思いつつも、言われた通りにすると、影助は大きく背伸びした。ただでさえ身長が高いのに、これでは届かない。
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる影助。そんな彼に陽も負けじとーーつま先をぷるぷる震わせた。
やっぱり、何度見てもちょっと不恰好。悔しいけれど、影助みたいに上手くはできなかった。
「今日はもう遅ェし、お前もさっさと寝ろよ〜」
頭に両手を組んだ影助は、特に陽を咎めることもなく去ってゆく。もちろん、ネクタイもそのままにしてある。
(そういえば、なんで夜にネクタイ?)
曖昧におやすみなさいを言った陽は、違和感にはたと気づく。
でもなあ、とも思う。影助は少し気まぐれなところがあるから、今夜はたまたまそういう気分だった、というだけだろうか。
(まあいっか!)
もうシャワーも浴びたいし、とりあえず明日あたり聞いてみることにしよう。
*
その時はまだ、知る由もなかった。
カルマファミリーの屋敷で影助に挨拶する。そんなありきたりなやり取りは、もう二度と訪れないのだということを。
あとがき
結ばれたい、なんて。