72.偶像崇拝
どうして命は一人につき一つしかないのだろうか。タコのようにたくさんの心臓やら脳みそやらがあれば、ちょっとくらいなぶったって殺したって、誰も文句なんか言いやしないのに。
組織を乗っ取るのに仕方なく先代の教祖を殺めたが、あまりにも簡単すぎて、虚しさばかり残るのだ。
聖田は新聞を広げる。
〜華麗なる一族、●●家で一家心中か⁈ 高級住宅街放火殺人、ついに容疑者出揃う〜
(一体いつの話をしてるんだ)
どうせ、見せしめとしてその辺からちょうどいいのを探してきたんだろう。大げさな見出しにため息をついて、それをそのままくずかごに放り投げる。
事件があったのは、もう三年以上も前のことになる。
それにーー真犯人はまだ、捕まっていない。聖田は上空でひとつ、微笑してみせた。
*
聖田には兄がいた。もっとも、生きているうちに会ったことはないけれど。
父は政治家、母は弁護士……いわゆる、エリート一家というやつだった。幼い頃から、なんでもできて当たり前。けっして失敗なんて許されない。
その反動からなのか、かつて神童と持て囃された兄はーーいつしか素行不良が目立つようになり、思春期のうちに死んだそうだ。マフィアの抗争に巻き込まれた、とか、自ら命を絶った、とか。
死因がなんであれ、聖田にとってはどうということもない。なんにせよ真相は、神のみぞ知るものなのだから。
一連の出来事は、聖田が世に生を受ける少し前に起きたことだった。
そうして、兄の代わりに作られたのが"朧"だった。
おそらく、立場が悪くなるのを避けるためだろう。両親は兄の死を隠蔽し、最初から兄なんていなかったかのように振る舞った。
それでもしばらくは、平穏な日々が続いていたように思う。
よその家庭とちょっと違うところがあるとするならばーー長男も職もいっぺんに失った母から、死んだ兄の名を呼ばれ続けるということくらいだろうか。
あまり、寂しいとは思わなかった。いつの日かきっと、誰かが聖田個人としての存在価値を認めてくれるようになるーーそんな確信めいたものがあったから。運命の人は、聖田の夢の中になら何度だって現れた。
世間一般から見て"可哀想"であることはポイントなのだと、聖田は思う。幸と不幸の関係がイーブンならなおさら。今が不幸であるのは将来幸せになるため必須のファクターなのであって、禍福は糾える縄の如しなのである。
だからこそ、母の態度がどんなに冷たくなっても、むしろそのままでいてくれたほうがかえって安心だとさえ思っていた。
模試の点数が取れるから、医学部への進学を決めた。それで首都・京都に引っ越すことになったが、一人暮らしは案外自由で快適なものだった。
単位取得も難なくこなし、余裕ができたのでそろそろ運転免許でも取ってしまおうかという頃、事件は起こった。父が、母に離婚を持ち出したのだ。大事な話があると呼び出され、何年かぶりに実家へ帰ってみると一番に、痩せこけた母の姿と、吐瀉物まみれの床が目に飛びついた。
無理もない。父は聖田と同じくらいーーもしくはそれ以上に若いーー男を連れていたのだから。
今の今まで男色家であることを隠していたわりには、父はおそろしく見栄を張った。聖田の年齢的にも、もう親権なんて取る必要がないのに、「お前は俺の跡取りとして付いてこい」と言って譲らなかった。
母は血走った目で、呪いをかけるように聖田を見つめた。
「置いていかないで、捨てないで」と、壊れた機械みたいにひたすら繰り返している。
聖田は急激に、今までに感じたことがないほどみじめな気持ちになった。ああなんだ、と失望する。そして、気づいてしまう。
聖田がこれまで付き従っていたものはーー
(ただの人間だったんじゃないか、結局)
一度そう思ってみると、なんだかうんざりしてきてしまって。聖田の中に生まれて初めて、反抗心というものが芽生えた。
大きく振りかぶって、若気の至りで購入した煙草のライターを、両親らに投げつける。
聖田は屋敷に、火を放った。
これでは死んだ兄となんら変わりないじゃないかと思いつつも。聖田は笑顔で、阿鼻叫喚の中さっそうと屋敷を後にする。
「僕の人生は、他の誰のものでもない。僕だけのものだ」
(新しい名前はそうだな……聖田 朧なんてどうだろう)
後ろは一切振り返らなかった。
*
聖田はもう一度、ヘリコプターの中を見回してみる。そこには"幸せです"とマウントを取るような顔が並んでいるーー己の信じたいものが何かも分からず、本能のまま、ただ自分よりも強いものに従わんとする愚か者たち。
(どいつもこいつも)
ーー偶像崇拝だろ、それは。
以下、裏設定↓↓↓
真相は定かではありませんが、聖田のもとの名前は多分、"深月 真秀"とかだったんじゃないかなあと、筆者としては思います。
朧。かすみがかってぼやけた、春の月。
輪郭も存在もあやふやな彼ですが、陽にだけは、真名に近い名で呼んでもらいたかったのでしょうね。