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幸狂曲第5番〈Girasole〉  作者: 目玉木 明助
第4楽章 ザンザアラ・マスカレヱド編
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68.天照真夏の蚊のロンド



 エリベルトが、そのガラス瓶を怪訝そうに見つめる。


「……キヨダ、なんだそれは」


「言ったでしょう? 永遠の若さを求めるあなたにふさわしい、不死の妙薬だって」


 はるの髪を掴んでいた手が、勢いよく放される。陽はつんのめって、そのまま転倒してしまった。髪に触れると、血がべっとり付いていた。





「いや、カポ! それ多分、"あかんやつ"なんとちゃう」


「大丈夫です。農薬なんて入っていませんから」


 朱華はねずの忠告なんて、まるで耳に入っていないようだった。するとあろうことか、エリベルトは全身にガラス瓶の液体をかけた。シャワーを、浴びているみたいだった。




「ふはは……これでやっと……やっと、俺の永遠の夢が叶う! ついに成し遂げた! 究極の美を手に入れたぞ! なあ、見ろ朱華はねず……!」


 恵業の発砲音が、風を巻き起こした途端、マトリョーシカのように、オレンジの中へ、血の赤が灯る。陽があ、と言う間もなく、それはぶわりと広がって、エリベルトの全身をーー飲み込んだ。


 生きたまま、満面の笑みを浮かべたエリベルトは燃え続ける。





 くすくすと、聖田はお腹を抱えて笑っていた。


「これはこれは! いいものを見ました。中身はただの、油だったのに。ああ、世の中にはまだまだ生き汚い人間もいるものだ。それにしても、これ以上ないエコシステムですよね。若狭さんも、エリベルトさんも。二人まとめて、荼毘に伏すことができました。」


 陽は頭を押さえた。めまいがする。地面は、ずっと回っていた。




 どんどん、火は回る。


 ここから脱出するため、恵業とセイコは『天橋立遊覧船』と書かれた船に向かって、長いカーテンを縄のようにして繋げていた。


 胸に手を置いてみると、心臓ははかはかとしていた。


 さっきふと思い立って、誰か御代みよの姿を見ていないかと聞いた。虫の知らせのように、嫌な感じがしていた。


「御代さんなら、あまりにも足が遅くいらっしゃったので……ねえ」


「ああ。断腸の思いで置いてきちまった」


 聖田と恵業は、二人して困ったように陽を諭そうとする。それくらい急いでたんだと言われても、陽はちょっと、納得できなかった。








御代みよさんを、助けなきゃ」


 できあがった縄をつたって降りようとしないのは、もう、陽だけだった。影助からの怒号が飛んでくる。


「何してンだヨウ! 早く来い! もう縄ちぎれる!」


「すみません。"おはし"はちゃんと守りますから!」


 "おはしも"。火事の鉄則だ。もっとも、"もどらない"の"も"は、絶賛破り中だけれど。




 そうして陽は、ぱっと踵を返した。


「けほっ、あっつい……」


 部屋中に充満した肉の焦げる匂いは、さっきよりもずっとひどい。陽は鼻をおさえる。長くは、いられない。



 扉の先。陽は目を見開く。



 そうか、部屋の外に控えていたから。じんざもまだ、逃げていなかったのか。


 陽は慌てて、じんざに駆け寄った。


「じんざ! ごめん、ごめんね。こんな熱い中置き去りにしようとしてーーあのね、もし良かったら、また背中に乗せてくれないかな。一人……助けたい人がいるの」


 陽は手を合わせて懇願するも、じんざはそっぽを向いた。陽はハッとなって気づく。置き去りにしたうえ頼み事なんて、おこがましいにもほどがある。


 煙に、喉をつつかれる。自業自得だと思った。



(へ、なに……?)


 じんざは一所懸命に、何かを訴えている。ニュアンスでいこう。"あなた"、"いらない"、"足手まとい"……?


 表情と鼻息から察するに、こんな感じだろうか。


「えっ、じゃあ……!」


 陽がじんざの意思を確かめたと同時に、じんざは炎の中へ走り出して行った。


(力になれなくてごめんなさい……! 信じて待ってるから!)



 数分後。じんざはちゃんと戻ってきた。背中に、御代を乗せて。


 あの火煙がひどい中、人間の匂いを嗅ぎ取ることができたのか。陽は脱帽する。


 じんざから、御代をぐいぐい押し付けられた。


「小生たちの逃げ場なんて、どこにもないじゃないですか。どうせこのまま丸焦げになって終わるんだ……」


「下に、遊覧船があります! 大丈夫。三人一緒なら怖いものなしですよ!」


 御代は足を負傷しているみたいだったけれど、命に別状はなさそうで良かった。陽はほっとして、胸を撫で下ろす。


「すごい! ほんとにすごいよじんざ! ありがっーー」


 じんざのたてがみを撫でようとしたとき、陽はぐらりと足場を失った。


 最後に、世界一賢くて優しい獅子ライオンの眼を見た。



 ばん、と、花火のような音が鳴り響く。陽たちは爆風に、吹き飛ばされた。


 真っ逆さまに、落ちてゆく。


 わけもわからないまま。コンクリートのように硬い海にぶつかったかと思うと、みるみる、体は沈んでいった。




「あ、もがっ」


 空に手を伸ばすと、多量の水が容赦なく口の中に入ってくる。それは、陽を掴んで離さない。



 深海に、呼ばれている気がした。


__________________________________________





「え。え…………?」


 聖田は、陽が燃える城へ飛び込んだあたりからずっと、上の空だ。もう何度も、壊れた機械のようにひたすら同じ母音を繰り返している。


    

 シャツを脱ぎ捨て、影助は舌打ちをした。もはや使いものにならない聖田を置いて、海に飛び込む。


 背後から影助を呼び止める声が聞こえてくるが、決して振り返りはしなかった。


 普段は履かないような重たいズボンが、邪魔で邪魔で仕方ない。水泳は得意なのに、体は鉛のようで、思うように前に進まない。


 だけど。ここで終わってたまるかと、影助は頬を叩き、自分を奮い立たせた。





 おろおろしながら水に浮かぶ御代が目につく。


「す、すいません……どんどん沈んでいっ」


「どけ! オイ、しっかりしろ! ヨウッ!」


 城壁に近づく。ぐったりした陽を水から引きずり出して、腹部を思い切り、圧迫する。体はすでに、死人のように冷たかった。


(死ぬな、死ぬな死ぬな死ぬな……!)


 亡母の顔が浮かぶ。影助はもどかしさに歯を食いしばった。


「オレを置いて先に逝くな!」


 ポンプのような感触。一瞬、はっきりとした手応えがあった。





「ごぼ、かはっ」


 息を吹き返した陽の顔は、生理的な汗と涙でぐちゃぐちゃだった。



「陽、その……さっきは悪かった。」


 影助は、陽の首もとに目を映す。止血こそしているが、おそらく肩の傷は一生モノだろう。これではきっと、よっぽどの物好きでもないかぎり、まともな男のところへなんて嫁げない。


 他でもない、影助がーー陽の"女の幸せ"を奪ってしまったのだった。


 悪かった、どころでは決して済まされない。


 顔を伏せたとき、陽は咳き込みながら、たしかに"謝らないで"と言った。




「だって私こそ、また、なんにもできなかったっっ……!」



 影助は、目を瞬かせる。


「ううっ……ごめん、ごめんなさい。じんざ……!」


 こういうとき、なんて返すのが正解なのかは分からないが、真っ直ぐ、陽と向き合う。



「もういい、もういいから気にすんじゃねェ。全部、オレが責任とってやる。もちろん……ヨウ、お前のことも。」


 自分さえ強ければ別に、はるがどれだけポンコツだろうと構わない。



 陽の瞳は、動揺したようにぶわりと潤む。影助はそれを鼻で笑ってやると、魂を吹き込むようにきつく、頭ごと陽を抱きしめた。


 潮と血が複雑に混じり合った香りの中には、ほのかにだが、甘さがあった。



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