65.型(タイプ)
見れば、テーブルにはまるで血を吸ったようにどす黒い紙が付着している。面影なんてとっくに失われてしまったように感じるけれど、もとの色はもしかしたら、緑、白、赤……といったところだったかもしれない。
「ウィッグの出来栄えも上々で……よい、しょっと」
ソファから降りた朱華は、ずずいとこちらに距離を詰めてくる。
「なあなあおはるちゃん。俺の銀髪、綺麗やった?」
ふいに、影助と目が合った。瞼は、ぴくりぴくりと動いている。
「ちょ、そないに固まらんといてー。おかげで、俺まで恥ずかしゅうなってきてもうたわ。なにも"あたし何歳に見える?"なぁんて聞いとるんやあらへんし」
朱華はそう言って、茶化すように舌を出す。声が高くなったり低くなったりで、大忙しだ。現に、陽はすでに朱華の地声がどんなものだったか、忘れ始めていた。
突っ立っているだけでも疲れるだろうということで、楽にするよう促されるも、とうていそのような気にはなれなかった。
とどのつまり、影助たちはずっと、幻覚を追いかけていたということになるのだろうか。それも"銀髪ロングのお姉さん看護師"なんて、最初から存在していなかった、と。
陽が気づく間もなく。影助は、地面を蹴り出していた。
あれは、あの目つきは。疑いようのない、暗殺者のものだ。スイッチを切り替えるみたいに表情を消した影助が、朱華に殴りかかりにいく。
陽が目を開けると影助は、右手だけを払うようにぷらつかせた。
行動なんてとっくに読まれていた。朱華は両手をクロスさせて、必死にあばら骨を守る体勢に入っている。
「おお! コワッ。危機一髪や! つーか前にも言うた気がするけど、ただのマフィアが、んながっつくもんやないで。」
せっかちは相変わらずやな、と朱華は至極余裕そうに笑む。
「俺みたいな賢い男んなりたいなら、もっと頭、使っていかな。……そおゆーわけでおはるちゃん、堪忍なあ」
「へっ?」
陽は少し身構えるも、なにがなんだかわからないまま朱華に突き飛ばされる。まばたきの間。エリベルトに、がっちりと体を押さえつけられた。影助の銃口はすでに、エリベルトのほうを向いている。
「テメッ……!」
舌打ちとともに、こちらめがけて走ってくる。しかし影助が弾丸を掴むより先に、エリベルトの胸あたりの高さーーにある陽の肩から、ぴゅるりと鮮血が噴き出した。
(〜〜〜〜〜ッ⁈)
陽は今まで味わったことのない、強烈な痛みに悶絶する。固定されてしまっているので、のたうち回ることもできない。
「陽‼︎」
影助の叫びが、ハウリングのように頭に流れ込んでくる。エリベルトは、陽が盾となったことに感謝している様子で、目尻に皺を寄せながら告げる。
「調べたぞアキラハル。お前は、俺と同じooの掛け合わせを持つ人間だ」
「手柄ぁ横取りせんといて。俺の努力は〜?」
血液型の話なのか。なんにせよ、突拍子のない話に陽は相槌すら打てなかった。
*
肩を押さえる。息を切らしながら、痛みを、頑張って我慢する。
きっと、カヨはもっともっと、苦しかったはずだ。
チャンスは一瞬。
(どうにかこの、監視の目をかいくぐらないと。)
「時にキミモリ。お前は」
(今!)
エリベルトの視線が、影助に移った隙を狙って。彼には悪いことをしたと思うけれど、エリベルトの二の腕を、陽は力いっぱいつねった。
途中、ソファの脚に足を引っ掛けそうになった。陽は、絵の具みたいにじわじわ血の滲む肩を押さえて、影助のいるところに必死で駆け寄る。
影助は一瞬、あっけに取られたような顔を浮かべると、思い切り、陽の頬をつねってきた。泣きたくなってくる。お説教は、できればあとからにしてほしい。
「へいふへはふ!」
「バカ陽! オイッ、お前はいつもいつも、無茶ばっかりしやがってーー」
言い終わらないうちに。唐突に、背後から朱華の右フックが入った。影助は力なく、陽の前に倒れ込む。
「えいすけさんっ!」
名前を呼ぶも、返事はない。影助の持っていた銃が、陽の足元に滑り落ちる。やっと何か話しているのか聞こえてくるが、上手に聞き取れない。朱華は試すように陽を眺めている。このままではきっと、朱華に銃を拾われてしまう。
遠くから、エリベルトの笑いを含んだような声が聞こえてくる。
「おお、これは存外。キミモリには愛犬がいたのだな」
陽はキッと、周囲をにらむ。
次は陽が、影助を守る番だ。
鉄の塊は、まだ手には馴染まないけれど。
喘息になったときのように、喉を掻き出したくなるような苦しさは、陽を着実に侵食していった。
「わーーわたし、わたしにしか、できっ、ないから。は、はぁっ。わたし。わたしは、あなたを、朱華 帷をーー」
言葉が、上手く音にならない。
(どう、したい?)
「なはは、君に俺は殺せへんて」
足がすくむ。この期に及んで、陽は引き金を引くべきか悩んでしまう。
射的なんかじゃない。訓練なんかじゃない。
これは紛れもない、いのちのうばいあいで
陽が引き金に指を置いた時、メスが空を切り裂いた。