54.銀朱の守銭奴
影助は、ちらりと陽の視線を辿る。
今、京せんすを涼しい顔で煽がせている銀髪ロングの女だが、アイツはもしかしたら、ザンザーラファミリーとグルなのかもしれない。あくまで勘の範疇に過ぎないが、女からはそこはかとなく"こちら"の匂いが漂ってきているのだ。
その女は見ず知らずの人間の鼻血を拭き取ったあと、決してティッシュをゴミ箱に捨てようとはしなかった。
長年裏社会を生きてきて思うが、赤の他人の血液なんてものは、超がつくほど汚らしい。
下手すれば赤子でも分かりそうな共通認識だが、まさかそれを、プロの看護師が、一ミリも知りませんでした、なんて事態があっていいんだろうか。
ーーあの女、マークしとくか
するといきなり、陽は大きな瞳をヴェネチアンマスク越しでも分かるくらいに、さらにかっ開かせた。
どうやら、無意識のうちに影助の心の声は陽にも伝播してしまっていたようだった。
時すでに遅し。陽があんまり見つめてきたもので、影助は銀髪ロングの女を疑うに至った経緯を一からざっくり説明してやらなければいけなくなった。
ーー不承不承、はいはい、仰せのままに。
*
「だけど……どうして、どうしてお姉さんがそんなことしなきゃいけないんですか」
納得いきません、と顔から言葉が聞こえてくるようだ。陽がこうなったら、後々ものすごくめんどくさくなるということを、影助は既に何度も経験済みである。
(テコでも動かない、か。)
影助の弟子(不本意ながら、内定)の陽は良くも悪くも素直なだけあって、常に奸賊どもから格好の餌食として狙われやすい。もっと言えば非常に騙されやすく、あてられやすい人間というわけなのだ。
影助はもどかしさに頭を掻いた。ついでにため息もつきたくなってくる。
「……金欲しさに犯罪に手を染めるヤツなんざ、世の中ごまんといるだろ」
だが、怪しいのは何も、件の銀髪ロングの女だけではなかった。壇上で喋り散らかしていたのはーーおそらく、若狭 縁由本人だろう。
「一体何が楽しくて、ザンザーラなんかとつるむのかねェ」
どいつもこいつも。
「へ? 今、なんて言ったんですか? ちょっとこの辺、混み合ってきちゃったみたいで」
人ごみの中、陽から頭を下げられる。
こんな時、影助は決まってイタズラしたくなる。ゆったりとした動作でもう一度傾けられた耳を、おもいっきーーーちょっとばかり引っ張ってやった。そうしたら陽はなんと、ドレスに似つかわしくない素っ頓狂な悲鳴をあげた。ムンクの叫びみたいで、これがなかなかおもしろい。
影助は込み上げてくる笑いを、しばらく抑えきれなかった。
気付けば、会場内はざわつき始めていた。なんだなんだ、喧嘩か、揉め事か、と。
ーーやばい、少し目立ち過ぎたか。
観衆からの視線が、一気に注がれる。影助は誤魔化すように微笑んでみせた。誰かさんが得意としてるヤツみたいに。
「まァなンだ。お前は勝手につまんなくなンじゃねーぞってはな、し……」
カルマファミリーの面々を始め、影助たちは今、会場内の注目を一身に浴びているはずだった。
ところが。
影助の視界の端には、いそいそと逃げ帰るように部屋の外を目指す女が、一瞬たしかに映っていたのだ。
あれは絶対に幻なんかではない。そう、銀髪ロングの自称看護師ーー
影助は腰を屈めた。トランシーバーを手に取る。
『一人、女がいなくなった。セイコは先に便所の方を探しとけ』
銀髪ロングの女だが、アイツはやはり、ザンザーラファミリーのグルでほぼ確定しただろう。