50.マフィアとTPO
聖田が教えてくれた最短ルートのおかげもあって、陽たちはあと一駅で、目的地最寄りの天橋立駅へ着くことができそうだった。
エメラルドグリーンの海の上を、電車がゆったりと走っていく。
車窓に顔を近づける。水面は日の光を一身に受けて、きらきら輝いていた。その幻想的な眺めを堪能すると、陽はほうっとため息をついた。
到着のアナウンスが流れると、観光客たちがまた一斉に外へ解き放たれる。やっぱり、波みたいだ。そんなことをしみじみ思っていると、不覚にも影助から、ぼうっとするなと小突かれてしまった。
*
とんがり屋根に、白い石壁。
あたり一帯から、凝灰岩の波動を感じる。
「……よーし。この辺に更衣室あるみたいだし、そろそろ着替えちゃおっか! お色直しっていうか、あれあれ! ドレスアップ♡」
みんな感謝しなさいよと、セイコは大きなスーツケースから、色とりどりの華やかな衣装を取り出していく。
それぞれのサイズに合わせた衣装は、ちゃんと五着分あった。陽はおおっと感心してしまう。
「あァ? 衣装なんざ、いつものベストで充分だろ」
衣装片手に腑に落ちない様子の影助を、セイコがおばか! と叱責する。
「潜入調査で変装すんのは当たり前でしょーが」
若干引いた目をしたセイコに、聖田も加勢する。
「TPOに合わせたコーディネートは、社会で生きていくうえでも基本中の基本ですよ。紳士たるもの、常に気を張らなければ」
そうは言いつつ一貫して喪服を着こなしている聖田を前に、影助は反社が何ほざいてんだと皮肉な目線を送っていた。
「二人とも、ここまで来ていがみ合うのはなしだぞ」
恵業は軽く注意すると、肌触りが良さそうなマントつきの衣装を手に取った。
たしかに夏場に喪服って、暑くはないのだろうか。陽は、TPOというよりかは聖田の汗腺の方が心配になってきてしまう。
(もしかしてすごく……クールビズってこと?)
ちょっと生地の触り心地を確かめてみたい気もするけれど、こういうささいな好奇心がセクシャルハラスメントに繋がることもあるのだということを、陽は知っている。たしか前にも、国民放送でセクハラ問題が特集されていたのを見かけた。
その時、陽の中のイマジナリー審判が即座にアウト判定を下した。は、となって伸ばしかけた手を慌てて引っ込めようとしたのを、当の聖田はおかしそうに見つめている。
「陽さんも、なかなかいたずらっ子な部分があるようだ。そんなに気になるならーー触ってみます?」
ほら、と陽の右手は、まるでエスコートされているかのように聖田の胸筋へと誘われた。かたい、板。ネクタイをよければ、聖田の心音が右手をよりどころにして、陽の体へと伝導してゆく。
陽は一定のリズムを刻む、胎動みたいな心音にうっとりしてしまった。少し大げさかもしれないが、命の神秘みたいなものを体感しているようにも思えてくる。
それはとてもあたたかくて、静かで、なんだか落ち着く。
「ーーって、結局あったかいんじゃないですか⁈」
「ふふっ。世の中には感覚に疎い人間もいるんだということ、お分かりいただけたでしょうか?」
体質と言うべきか、特技と言うべきか。陽の顔は鉄板のように熱くなっていた。
「ハッ、疎いだって? よく言うぜ。毎日毎日、あんなにはしゃいで拷問してるっつーのによォ」
突然、不満げに腕を組んだ影助が聖田の背中に爪をねじ込ませていた。こっちまで背中が痛くなってくるようだ。
「……僕がいれば、いつでもどこでも弔事ですから」
陽には、その言葉から真意を汲み取ることは出来なかった。それでも聖田は、顔色ひとつ変えている様子はなかった。