47.幻影
まさか、ザンザーラファミリーのアンダーボスに、影助と互角ーーまたはそれ以上の実力が秘められていたとは。
朱華 帷。その固有名詞を耳にしただけで、陽の体は一瞬で氷のようになってしまった。
「あのチャラついたホストみてェな野郎は、必ずオレが仕留めてみせる。」
声も上手く出せず硬直しているうちに、影助から淡々と告げられる。
だから、と。
「はっきり言ってお前が出しゃばる幕はねェンだが、オレもいい加減、センコーの真似ゴトすんのは飽きちまったし。そーだな……陽お前、さっそく撃ってみろ」
ペットにおいでと呼ぶときみたいに、軽い調子で影助は両手を広げていた。
なにこれ。撃つって一体どういう意味なんだろうと陽は考える。さっきやったから、たぶん、的に狙えというわけじゃない。
だとしたら。影助が上げた両手は、古い映画やドラマなんかでよく使われる、「降参だ」のポーズに見えないこともないーー。
(は。影助さん、を……?)
「ええぇ、いきなり⁈」
この中に詰められているのは本物の弾だというのに。そのことを、大ベテランの影助が知らないはずはなかった。
「何言ってンだ、いきなりもクソもねェよ。ターゲットがそこの的みてーにじっとしてるワケあるか?」
呆れたような表情を浮かべた影助は、自分が命中させてぼろぼろになった的を指差すが、陽はそこはかとない違和感を抱いていた。顔の前で、一生懸命手を振った。もちろん、否定の意味を込めて。
「撃てないですよ! だって、影助さんが怪我しちゃうじゃないですか!」
陽が反論すると、何を思ったのか、影助は初めて会った時のようにギャハハと笑い始めた。やがてそれは、一気にろうそくを吹き消したような真顔に変わった。
「……なるほど。オレの心配とはいい度胸じゃねェか」
豹。
途端、陽のスカートを、影助の弾が掠めてゆく。あまりのことにびっくりしすぎて、「んひゃ!」みたいな変な声が出てしまった。陽は慌てて口を噤む。
その場で飛び跳ねた、うさぎみたいに。スパルタ訓練は、もうとっくのとっくに始まっていたのだった。陽は降り散る鉄の雨を、必死でくぐり抜ける。
いちおう銃を構えてはみるものの、どうも踏ん切りがつかないし、撃った反動でいちいち手が跳ね返ってしまう。陽は無意識のうちに、影助を避けようとしているみたいだった。
「ハッ、人のことばっか気にしてると痛い目見ンぞ〜」
逃げているばかりでは当たるものも当たらない。頭の中ではそう理解しているつもりでも、陽はひとまずバリケードに身を隠すことを選んだ。
片足は、だらんと脱力したようにはみ出してしまっていた。命中こそしないものの、至極当然とでも言うようにそれは狙われる。陽は足をさすった。手加減をされているというのが、痛いほど分かる。
「いつまでたっても甘ちゃんかァ? 今ので5回死んだぞ、マヌケ。もっと殺意を見せてくれよ」
ーーたとえばほら、"あの時"を思い出せ。
遠くにいるはずなのに、まるで影助がすぐ側で囁いているみたいだ。
電光石火。
皮膚が破れ、肉が裂ける感覚に、陽はあえいだ。それは全身を、電流のように駆け巡ってゆく。陽の瞳の内側が、火で炙られたかのようにじりじりと熱くなってくる。
直後、陽の手のひらの中で、銃声が鳴り響いた。弾丸は影助の背後ーー影に吸い込まれていった。影は、ブラックホールみたいに膨張して大きくゆらめいていた。
影助は意表を突かれたように目を見開く。だけどすぐさま、調子に乗んなと、ぞっとする冷たさの声音で囁かれる。
「影は影でも、オレのはくっきり残る」
ハッとなって、陽は悔しさに拳を震わせた。
違う、今のはーー朱華を撃ったんだ。
「……二人とも、そこまで!」
陽と影助の一騎討ち訓練は扉の開く音とともに、思わぬ来訪者によって中断されてしまった。
「朝からお盛んだな、まったく。」
やれやれと、アメリカン・ジョークのように肩をすくめられる。
「……ボンジョルノ、ボス!」
影助は陽から離れると、さっきまでの厳しさが全部嘘だったと思ってしまうくらいに凛々しく片膝をついた。狩猟者同然だった鋭い目つきが、騎士とか好青年のそれに変貌する。
「石狩。例のブツ、ちょっと陽に見せてやれ」
恵業は、後ろに縮こまって控えていた石狩を、ゆるやかにあごでしゃくった。
陽は石狩から差し出された一枚の豪奢な封筒を、おずおずと受け取る。中身を開こうとする手が、ぴたりと止まった。
「え。わたし、宛て……⁇」
差出人、不明の招待状。宛名にはたしかに、
丸火通商株式会社 日楽 陽様と書かれていた。




