42.ザンザーラファミリー
大明40年6月2日、御代新聞お蔵入り記事より一部抜粋。
ーーイタリアの占領支配は、共助の美名に反して、より強大な統率力を得るための資材・労働力調達を最優先するものであったので、日本国民の反感・抵抗は次第に高まっていくこととなった。
そうして神国日本復権派によるデモ活動及びマフィア掃討作戦が始まるも、反伊活動の容疑で彼らが殺害される事件が多発する。先陣を切った組織の名はーー
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ザンザーラファミリーの朝は遅い。
命からがら逃げてきた朱華は、まだまだ痛む顎を手の甲でさする。そうして物音をそばだてないよう注意しながら、カポズルームの扉を開いた。待てよ、
アポカリプスーーなんつって。うはは。
瞬時に、また調子に乗ってしまった、と我に返る。……それにしても、カルマファミリーのアンダーボスはなかなか骨のあるヤツだった。一対一になる時間がもうちょっとでも長かったら、今ごろ自分はお陀仏だったかもしれないと本気で感じるほどには。
朱華の笑い声がお耳に障りでもしたのだろう、眠っていた吸血鬼がとうとう起きてきてしまったようだった。天蓋付きのベッドからもぞもぞと這い出てきたのは我らが首魁、恐怖政治の大魔王、やんごとなき一族のおぼっちゃまーーエリベルト・ザンザーラである。
朱華は、低血圧かつ"超ちる"状態のエリベルトの機嫌を損ねない程度に、軽く首を垂れた。
「カポがこないな時間に起きとるなんて、珍しおすなあ。報告書だけ置いていこ思うとったのに……いやいや、冗談や冗談。さっそく報告、始めますえー」
弓矢を飛ばしでもするような、いささか鋭すぎる眼光を向けてくるエリベルトに、朱華は愛想笑いを浮かべる。やはり、ビジネスパートナーにはこれくらいの距離感がちょうどいいだろう。
しかしながら今度は、わざとらしい口角の上がり方がお気に障りでもしたのか、エリベルトが近くにあったワイングラスをこちらに投げてくる。さすがの朱華でも、こればかりは悲しかった。悲しむと同時に、吸血鬼なら吸血鬼らしくいっそ灰にでもなってくれればいいのに、とも思った(あ、今のはオフレコでおたのもうします)。
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十数分経過して、エリベルトの体もだいぶ慣れてきたようだった。朱華はかなりざっくり、カルマファミリーの縄張りを潰したこと、それからフリオンとカヨが死んだことを伝えた。うっかりカヨを殺めてしまった犯人は朱華だが、そこはあえて端折ることにする。せっかく昔から、"面倒ごとは勘弁しておくれやす"スタンスを貫いてきたのだ。こんなところでクビという名の死を迎えるのはごめんだ。
エリベルトはただ、そうかとひとつ頷いただけだった。
「小鼠の、巣の駆除に尽力したんだ。死んでしまったのは惜しいが、奴等も本望だったことだろう……だが、なかでもカヨは不老の貴重な研究対象だったと言うのに。カヨがからくりを使って客を負かし、その代償に血を支払わせる……我ながら良いアイデアだと思っていたんだがな」
そう一息におっしゃったエリベルトは嫌味ったらしく、絹のような金髪を手櫛で梳かしていた。
「ものは試しと、村人の血も幾度となく浴びてみた。が、やはり老いぼれの血なぞ当てにするべきではなかったな。おかげで今、俺は平時より肌が荒れている気がするーーああ、実に馬鹿げていたよ」
「いっつも思いますけど、カポってサディストなんとちゃいます?」
「はは、それは以前雑誌で読んだぞ。ジパングではドSと言うんだろう? フローチャートもやった。……そうだな。鉄籠の中に閉じ込めて踊らせるんだ。阿鼻叫喚の中降り注がれる血のシャワーは、それはそれは美しいぞ。何より、愉悦に浸れて実に良い。お前もそのうち体感してみるがいいさ」
遠慮するどころか、ドン引きである。なんせ血は不味い。それは昨日痛感したばかりだった。エリベルトがあんまりにも楽しそうに血を舐めたり浴びたりしているので、しゃーなし自分もやったるかと実践したのが、運の尽きだった。エリベルトは吸血鬼なのだと、巷でまことしやかに囁かれているのも分かる気がした。朱華のカポが、良くも悪くも特異体質だっただけ。はい、現場からは以上。
「俺の体はやはり、うら若き……少女の血を求めているようだ」
「いや少女て! ……森鴎外やないんやから」
「なんだそれは。ジャパニーズジョークか?」
勘付かれないようぼそりと言ったはずなのに、エリベルトはなかなかの地獄耳だ。
「ところで。俺の一番知りたいことは調べてきてくれたか? 朱華」
ああまたこれかと、朱華は思う。何か命令したいとき、相手に有無を言わせまいという風な、苛烈な輝きを放つ瞳。朱華はしぶしぶもう一枚の紙を取り出した。
「上から読み上げますわ。恵業笛吉郎、A型。文堂セイコ、B型。君守影助、AB型。日楽陽ーーO型。」
途端、エリベルトの眉が、ぴくりと動いた。
「アキラハル、か。歳は?」
「ざっと……十代後半〜二十代前半くらい?」
嘘をついたところで痛い目を見るのも嫌だったので、包み隠さずそう伝えると、エリベルトはくつくつと喉を鳴らして笑っていた。
「しかしジパング人は小ぶりでいいな。非常に愛らしいーーO型の女の血は特別美味いんだ。でなければ俺は、こんな国にわざわざ赴いてはいない」
「それは単に、あんたの趣味の問題やろ。どーでもええけど、日本の女の子全滅はやめてくださいよ。何事にも限度ゆうもんがあるんやさかい」
朱華はほとほと呆れていた。いや、これは朱華からしても死活問題である。可愛い大和撫子がいなくなってしまったら、朱華は多分生きる希望を失うだろう。
「気安いぞ。そのように減らず口を叩くものではない……なに、少しばかり拝借しているだけだ」
「はん。その子らみぃんなバスタブに溜め込んどいて、よお言うわ」
エリベルトは舌舐めずりしながら、しかしアキラハルだけでは物足りない、もっと欲しい、とかなんとかぶつぶつ言っている。朱華は傍観を決め込んだ。
「手っ取り早く一同に若い娘を集める機会などあればいいのだがな……いや? あるな。そうかそうか。ふはは! いいぞ、待っていろカルマファミリー」
(うわ、まーた面倒ごと押し付けられそ)
素知らぬふりをして早々に退散しようかとも思ったが、アンダーボスとしての報告義務がまだ残っていたのを思い出した。
「せや、また例の教団ですわ。献金補助金がどうのって、そらもーやかましゅうてやかましゅうて……ルナソーレ? なんたらとか、ほんまくだらんっ……!」
腹の底から、笑いが込み上げてくる。ついつい。
「はあ、何を言い出すかと思えば。奴等も一体誰のおかげで、そんなみそっかすのようなカルト活動が続けられているのかーーいい加減弁えてほしいものだな。まあいい、しばらく泳がせておけ……そんなことより今は少女の捕獲が先だろう。準備を進めろ朱華」
それから、とエリベルトが100万ドルの夜景をバックに付け足した。
「今すぐその変な訛りぐせをやめろ。ジパング語はただでさえ聴き取りづらいんだ」
「せやかて、俺のアイデンティティやからなあ。ほんま堪忍やで〜」
Q.朱華さんから関西弁を取ると、何が残るか。
A.んなもん、イケメンだけしか残らんに決まっとるやろ?
両手を合わせ、ごてついた重厚な扉を閉めると、部屋の前でじっと控えていた構成員たちが、何やらひそひそ話しているのが耳に入ってきた。
ーー朱華さん、よくボスに意見できますね
ーー命が惜しいと思ったことはないんですか
朱華はぽかんとしつつも、ザンザーラファミリーに入って良かったことを指折り数えてみることにした。改めて考えると、両手だけでは足りないくらいだった。
「まー特に不便もしてへんしなあ。地位に女に美味い酒ーーあぁそおや。そんだけやない。この職場、お給金ぎょうさんもらえるやんか♪」
そう、どこもかしこも赤いカーペットを踏み鳴らして、朱華は住処に帰っていった。
あとがき
エリベルトのモデルはエリザベート・バートリ、朱華のモデルはエリザベートの執事、ヨハネス・ウィヴァリーです。