41.夢だったら良かったのに②
"いつも優しい朧さん"は、陽にとってのレオさまで、騙されちゃった同盟のメンバーで。
途中、あまりの惨状に幾度となく目を覆いたくなるのを、必死で堪えた。
鬼畜のごとくフリオンで遊び、挙げ句の果てになぶり殺した聖田のことが、陽は分からなくなり始めていた。正直なところ、怖い、とも。
初めて、彼のマフィアとしての顔を見た。否、見てしまったのだった。
作業を終わらせた聖田が、かげろうのように妖しく揺れながらこちらに近づいてくる。陽は、別段拒絶しようと意識したわけではなかったのに、もはや反射の域で後退りしてしまう。
「おや……見て、しまったんですね。あれほど忠告したのに、陽さんは悪い子ですねえ。ふふっ、そんなに怯えちゃって。さすがの僕でもクるものがありますよ」
いつの間にか、呼吸が浅くなっているようだった。眉の形を八の字にした聖田が、そのまま朱華へと向き直る。
「ひいいっ、嫌や! ちょ、こっち来いひんで! 俺はまだたこ焼きなんぞになりたくないねんっ! だって生粋の京都人やもん! ブランドやもん! この矜持だけはッ、なんとしてでも譲れへんっっっ!」
茂みに隠れた朱華は、もはや自分でも何がなんだか分からない様子でそう口走っていた。
「……チッ、一匹狩られたか! まあいい。そいつはオレにやらせろォ」
誰かが、拳銃片手に草をかき分けて現れる。それは不服そうに唇を尖らせたーー影助だった。
陽はかたかたと震える右手で、朱華よりもカヨの方を指差した。この期に及んで、横たわるカヨにまだ可能性があるんじゃないかと思った。アンダーボスである影助なら、もしかしたらなんとかしてくれるかもしれない、と。
ところが影助の返事は、陽の期待を裏切るものだった。
「あー? 何。アイツ死んだのか。ま、お前だけでも助かったってンだから結果オーライじゃね」
そっけなくて、宇宙に放り出されたような感覚。陽はたまらなく打ちひしがれた。
「あいつらめ……! まさか道ぃ迷うとんのか?」
朱華はひたすら、腕時計を気にしていた。
怪訝に思った影助が銃を構えた、一瞬の間。全部を轢いてしまう勢いで、ジープが割り込んできた。ジープは勢いを増す。そうして危機一髪難を逃れる冒険者よろしく、朱華を掻っ攫っていった。
「あんたら遅いわ! でもま、やっぱ俺って"持ってる"んやなあ〜!」
朱華の高らかな声は、やまびこのようにみるみる遠くに伸びていった。陽はただ、その光景を呆然と見送ることしかできなかった。影助だけは、敵を逃すまいとジープを追おうとするが、ジープに携えられたライフルたちが、それを許そうとはしなかった。
「危ないですよ、君守さん?」
「クソッ……! やられた! はぁ、はぁ……いい。追うな、今は。オレらもことがデカくなる前に逃げねェと」
影助はしきりに左耳のピアスを触っていた。
念のため、聖田はカヨの瞳孔を覗きに向かうが、やはり左右に頭を振っていた。最後の砦が、音を立てて崩れていった。
陽は、それでもカヨの側を離れようとしない。
「死体、荷物になンだろ。置いていけ。」
「嫌だ!」
と、陽を引っ張ろうとする影助の手を勢いよく振り払った。ほんの一瞬、瞳の鈍から動揺の色が見えたかと思えば、影助はすぐさま眉間に皺を寄せた。次の瞬間、陽たちの間を弾丸が物凄い速さで通り抜けていった。素人目でも、明らかにジープから放たれたものだと分かった。影助が片腕を押さえる。狼狽えているうちに陽は、影助に庇われていたのだ。陽が謝るより先に、影助から視界が悪かったんだとぼやかれる。
「は……何も分かってねェみてーだから教えてやる。世の中カワイソウでやってけるほど甘くねェンだワ、バカ陽が。」
表情は険しく、言葉遣いだって相変わらず悪いのに、今まで聞いたことのないーーどこか、悲しさを孕んでいるような声音だった。この人は、本当はさみしいんじゃないかとすら思えてきてしまう。
(でも……そうなんだとしても。カヨちゃんは、少なくともあんな風に死ぬべきじゃなかった)
ぽつりぽつりと、言葉と一緒に、また涙が溢れてきた。
「わたっ……わたし、カヨちゃんを助けられなかった、んです。カヨちゃんを、助けられなかった。カヨちゃんをっ、ふ、うううっ……助け、られなかった!」
陽は、自分の膝を思い切り叩く。叩くと、当然のように痛みを感じる。こんな時でさえ、膝は笑っていた。今はただ、己の無力さが憎たらしくて仕方なかった。涙だって、引っ込めようとしては溢れ出てくるばかりだし。一番近くにいたのに。一番、カヨのことを理解した気になっていたのに。陽には、苦しむカヨを救ってあげることは出来なかった。膝はすでに、黒っちになっていた。
「ーー鎮静剤。聖田、あとはなんとかしろ」
「やれやれ。人を便利屋みたいに痛ぶって……陽さん、少し失礼しますね」
聖田はどこに忍ばせていたのか、注射器を取り出し、まるで光の速さで陽の太腿に鎮静剤を注入してしまった。途端、身体中から力が抜けていく。なんだかあたまも、ふらふらしてくる。
陽は薄れゆく意識のなかで、カヨを見た。
熱くて、寒くて、痛かった。
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「テメェ、仕事が残ってたンじゃねーのかよ」
すっかりおとなしくなった陽を見届け、帰り支度をする聖田の胸ぐらを、影助が鬼の形相で掴んでくる。
「ええ、もちろん全て終わらせてきましたとも」
「まさかほっぽりだしてきたとでも言うンじゃねェだろーな」
「手荒は真似はよしてくださいよ。……君守さんもココ、痛むんでしょう?」
聖田はそう言って思い切り、影助の背中をつねった。
*
「ちょっ……影ちゃん、速すぎ、さすがに……って、え? なんなの、この状況は……!」
影助を追いかけてきた恵業とセイコは、唖然としているようだった。特に、川のあたりを見て。
聖田はそれがなんとなく面白くて、わざととぼけてみることにした。
「ああ。これですか? 両手に花、というやつですよ。」
いや、片方は違うな。確実に。
底知れぬ笑みを浮かべる聖田の両の腕には、仲良く眠りこくった陽と影助が収まっている。
「聖田、何があったか洗いざらい説明してくれるな」
「はい。でもまずはーー帰りましょうか。僕たちのカルマファミリーへ」
踵を返し、最後の最後に観察したカヨは、人魚のようにしばらく体を浮かせて―――自分の不幸など、てんで分からぬ様子だった。
*
車内で聖田は、古い小唄を口ずさんだ。
〜♪通りゃんせ 通りゃんせ
♪ここはどこの 細道じゃ
♪天神さまの 細道じゃ
♪ちっと通して 下しゃんせ
♪御用のないもの 通しゃせぬ
♪この子の七つの お祝いに
♪お札を納めに まいります
♪行きはよいよい 帰りはこわい
♪こわいながらも
♪通りゃんせ 通りゃんせ〜
シートベルトを閉める。それは窮屈な毎日に向かうことを静かに暗示している気がして、微かに笑ってしまう。
「さようなら、オフィーリア」
日が沈みきった村にはもう、何も残されていなかった。
10/25、日間アクションランキング2位ありがとうございますッ……!泣
読者の皆さま大好きです