35.根性は世界を救う(こともある)
「さあ、カヨをこちらに」
あちらに佇む、本物のフリオンが手を差し伸べてきた。カヨは陽の後ろに隠れる。両手が震えているのが、背中越しでも伝わってくる。
「ひー、ひーっ。また、おしおき……? や、やっぱり嫌! はるちゃんと一緒がいい」
フリオンは、カヨの気持ちなぞお構いなしといった様子。能面のような表情で少女の首根っこを掴んでいた。足はジタバタとしている。
気づいた時にはもう、陽はフリオンの右腕を握り締めていた。とっさに、握力測定を意識する。
「あの、お言葉ですが……カヨちゃん、怖がってるじゃないですか。だから今すぐーーその腕を離してあげてください」
陽はあくまで他人だし、二人の事情もよく分からないけれど。陽の中にあるのは、別に幼子相手にそこまでしなくてもいいじゃないかという庇護欲だけだった。
「離すも何も、俺はカヨのお目付役兼、専属教師なんですよ? 所有権は俺にあるはずですよね?」
フリオンは、にっこりとした笑顔を保ったまま、がんとして立ち退かない。陽も負けじと、フリオンの右腕を握る手にいっそう力を込めた。
「……チイっ。ずいぶんと諦めが悪いんですねぇ、ジパング人のくせに。」
単純な我慢比べなど、陽にとっては楽器を奏でるより容易かった。
朱華はおとぎ話に出てくる猫のように、一触即発の事態をニヤニヤしながら観察しているようだった。
フリオンと視線が絡み合う。陽のことを、心底軽蔑する目だ。しかし今は、そんなものに屈していられるほどの余裕はない。陽は自分を保とうと必死に地面に足をくっつけた。
「うはは。おはるちゃんて意外に負けん気強かったんやね、やっぱし女は怖いわー。てか、権利がどうこうて! 相変わらずややこしゅうするのんがお好きなんどすなぁ。ひとまずカポに報告やろ」
ほんでトントンや!と、朱華が高らかに叫ぶ。
(カヨちゃんを守りながら、影助さんたちを見つける……私に、できるかな)
情けなくも弱気になりかけたが、陽を信じてくれているカヨのまっすぐな瞳を見れば、不思議と不安は吹き飛んだ。
「オイ‼︎ その声まさか、ザンザーラの側近じゃねェか⁈」
どこからか、聞き慣れた声が聞こえてくる。陽はたまらず、側にあった扉を思い切り開いた。
「みなさんっっっ⁈」
しかしまだ、安心するには早かったみたいだった。針地獄を彷彿とさせる、見るもおぞましい光景が視界いっぱいに広がったからだ。その鉄籠に閉じ込められた三人の体には、血の滲んでいる箇所もいくつかあった。
「いま、いま助けますから!」
(なんで、どうしてこんなひどいことーーあの二人は、影助さんたちに一体何をしようとしてるの)
可哀想に。きっと、痛みに耐えきれなかったのだろう。意識がはっきりしているのは影助だけのようだった。どうにかしてこの針を取り除くことができないかと、鉄籠をぺたぺた触ってみると同時に、影助からは怒鳴りつけられてしまった。
「このッ、バカタレ! なンでここまで来やがった⁈ そこのガキからも聞かされてたろ⁈ お前なんて所詮、タダ働きしてりゃあ上々の石っころにすぎねェんだよ!」
陽の手汗がだんだん血の色に変わり始めてきたとき、小さな鍵穴が見つかった。
黙々と、目の前の鍵開け作業に取り掛かる。刹那、陽はハッとなってポケットをまさぐった。
(おばさんからいただいたこれ、もしかしたら役に立つんじゃーー?)
「そんなんで開けられるワケねーだろ! オレらにだって無理だったンだぞ」
まさしく馬耳東風。
「何がだ。一体何が、お前をそこまで突き動かす?」
(あ〜、もう!)
「根性ですっ! 根性だけで、ここまでやって来ました! 私、悲しかったんですからね! 影助さんに役立たずって言われてたこと、実はまだ根に持ってるんですよ!」
「それはお前に逃げーーっ起きてたンなら早く言え!」
(一、ニ、これもだめ)
鉄籠の中では、眠っていたはずのセイコが口元に手をやりたそうにし、恵業がうんうんと頷きたそうにしていた。
「影ちゃん良かったねえ〜! 念願叶って陽ちゃんにまた会えたじゃん!」
陽は最後の一つにして、一番立派で強そうな".ゼンマイ"を手に取って見つめる。
「開け、ゴマ、ならぬっーーふう、開けっゼン、マイってか」
「けいちゃん! 今そーゆーの全然面白くないから! いいよぉ陽ちゃん! ファイトッッッ」
苦しそうな恵業を気遣ってのことなのか、それとも単なる貶しなのか。真相は定かではないが、それもこれも屋敷に帰ったら聞いてみようと思う。今はとにかく。
「一発勝負! おん、どりゃああああああああああああああああああああっ!」
ゼンマイ型の鍵を、小さな穴に全身全霊をかけてねじ込んだ。
*
「ちょっとちょっと、おはるちゃん待ったって〜。俺ら悪いようにはしぃひんし、きみ多分ーーうちのカポのタイプやねんから」
「お前の安い常套句は、この惨状でも見てから言ったらどうだ」
「そらそうや! 『茶ぁしばかへん?』なーんて口説き文句、今どき誰も使てへんて! 死語や死語!ーーって、へ?」
後から追いかけてきた朱華が、タレ目を大きく見開く。
「んなあほな……ガタでもきてたゆうんか⁈」
鉄籠はたしかに、陽の実力もとい根性で壊されてしまったのだった。
「カポからだがーー"汚らしい鼠の生き血など啜りたくはない。煮るなり焼くなり好きにしろ"だそうだ。まあ、ここは無難にヤツらを排除するとしよう」
「お、珍しく同意見やん。俺もめんどいのは嫌いなんや」
見れば、"ザンザーラ"の関係者たちなのか、二、三十人から包囲されている。
「陽、そのまま村の出口を目指せ! じきに信濃たちが巡回に来るはずだ。それまで死ぬンじゃねェぞ分かったか⁈」
「っはい! また後で!」
「いいねえ。陽ちゃんのおかげで、久しぶりにはちゃめちゃに楽しめそうだよ」
「ああ、少なくとも圧死するよりはマシになったかな」
恵業と影助が銃を構え、セイコは懐剣を取り出す。
「テメェらの相手はーーこのオレだ‼︎」
「カヨちゃん、乗って」
ずっとだんまりだったカヨが、陽の背中におずおずと這い上がる。
「えへへ……おんぶするの、これで二回目だね」
(みなさんーーどうかご無事で!)
陽はもう、振り返らずにお座敷かじのを後にした。