28.五里霧中、無我夢中。
「はあいとーちゃーく!」
セイコは声を弾ませて車のドアを開けた。おぼつかない足取りで、影助が降りる。
恵業が、口を覆った陽に向き直った。心配そうな目をしている。
「うう、すみません。私、実はまだ気持ち悪くてーー動けそうにないんです」
何やら3人は、陽を連れて行くか、車内に残すか、それとも組織の者に迎えに来てもらうかで話し合っているようだ。
「しばらく休んだら大丈夫だと思っ」
また、"気持ち悪い"波が来た。
「ったく、しゃーねーなァ。いいか陽、念のため車ン中から出るんじゃねえゾ」
「お水や袋は持ってるんだよね。今はとにかく安静に、もろもろの案内はその後のお楽しみってことで♡」
「俺たちが戻ってくるまでじっとしてろ……フリじゃねえからな?」
ニヤリと笑った恵業に、車窓を覗かれる。
陽は力なく笑い、3人の背中を見送った。
*
(どうしよう。本格的に気持ち悪くなってきちゃった!)
しかし気を紛らわそうにも、肝心の話し相手がいない。一人しりとりは飽きてしまったし、背中をさするのも飽きてしまった。
(ちょっとだけなら、いいかなあ)
「よし、出よう。」
とりあえず外の空気を吸いに行こうと、陽は車から転がるように降りた。
「ん〜っ! 初夏の香りがする!」
青空に向かって、思いっきり伸びをした。
周辺を見渡す。ちょろちょろと水が流れる綺麗な小川。麦の穂先が足に当たってはゆれている。
のどかな風景には、まるで実家のような安心感がある。
「日光浴、さいこう〜っ!」
周りに人がいないのをいいことに、山びこ・やっほーのノリで陽は叫んだ。
「あら? お姉さんもチンドン屋さん?」
(チンドン……ああトランペットのことかな!)
陽はとりあえず、挨拶がてら貴重品の楽器ケースを示してみせた。
「ついこないだもねえ、え〜と何だったかしら……そうそう! 移動販売? の人たちが来てたのよー!」
初めて会ったおばさんに、手を引かれる。
顔色悪いわよ、長旅疲れたんでしょ。うちでゆっくりしていったら? いいそば湯があってねーー
*
畳の匂いを堪能しながら待っていると、勝手口のほうからおばさんが出てきた。
「お姉さん。これ、お裾分けねえ。」
「あーっ! ゼンマイだあ‼︎」
陽は、嬉々としておばさんに駆け寄っていった。袋いっぱいに詰められた、緑のうずまき。
「あらあ、よく知ってるのね。そんなに喜んでくれるなんて、おばちゃん嬉しいわあ。庭で採れたもので申し訳ないけど」
そう言うとおばさんは、手を上下に、せわしなく動かした。
(朧さんたちのお土産にしようっと)
このゼンマイ、白和えにすると美味しいのだ。
想像した途端、お腹が間抜けな音を立てる。さっきの吐き気は嘘だったとでもいうのだろうか。陽はじゅるりとよだれをすすった。
「陽ちゃんみたいな子、ウチの娘に欲しいくらいだわ」
「いえいえ! こんなに良くしていただいて……私こそ、第二のお母さんだと思ってもいいですか?」
少し涙ぐむおばさん。
両手を広げられる。陽もおそるおそるおばさんの背中に手を回すと、肩の温もりが掌を伝ってきて、やがてそれは一つになった。しばらく、熱い抱擁が続いた。
豊かな自然に、世話焼きで優しい人たち。陽は田舎の、そういうところが大好きだった。
家には、今はおばさん一人なのだろうか。
陽は広い家の中を見渡した。
*
「やらかした! おばさんの家、心地良すぎて……! 影助さんにまた怒られちゃうよー!」
車を停めた場所を目指し、陽は全力疾走する。
ーー旦那がいるんだけど、奔放な人でねえ。あんまり家に寄り付かないのよ
(そういえばおばさん、なんだか浮かない顔をしてたなあ)
奥座敷に据えられた、子どもの姿をした人形。思い出すだけでも、陽の胸はきゅっと締め付けられてしまう。
せめて村にいるときは、おばさんの"娘"でいることにしよう。陽は息を切らしながらも、決意を固めたのだった。
村の入り口には、真っ赤な車が停めてある。どういうわけか、人っこ一人乗っていなかったが。
「あれれ? まだ戻ってきてないの、かな?」
体感だと、既に2〜3時間くらいは経過していたように思う。
30分ほど待ってみたが、誰かがやってくる気配は毛頭ない。じっとしていろと釘を刺されたのもすっかり忘れて、陽は車を後にした。
(みんな一緒にいるんだよね……⁈)
今から村中を探して回っても、すぐに成果があるとは思えない。それならばいっそ、一番見晴らしの良さそうなところ……たとえば山に登って、そこから影助たちを探した方が早いのではないか。考えたら即行動。陽は足早に、山へ続く道を目指す。
五里霧中、無我夢中で歩き、山の中腹まで辿り着くと、ハリボテないしは古い映画のセットのような"場違い"感満載の鳥居が陽を待っていた。
人知を超えた力に、導かれるように。
陽は臆せず、鳥居をくぐり抜けようとする。
しかしその瞬間、くいっと誰かが陽のスーツの裾を引っ張った。
ーー小さな手。
「おねーちゃん、ヨソモノでしょ?」
舌ったらずな口調。
「あははっ! いーけないんだあいけないんだあ!せーんせえにい言っちゃおー!」
おかっぱ頭の、小袖姿。
肩で切り揃えられた髪を揺らし、少女は陽を愉快そうに見つめていた。