2.出張先は地獄でした。
ーー分け入っても 分け入っても 青い山ーー
とは、まさにこのような状況のことを言うのだろうか。
陽はかれこれ、1時間は森の中をさまよっている。
(汚島先輩の教えてくれた会社って、本当にこんな山奥にあるのかなあ。)
汚島というのは、陽の勤めるヒマワリ楽器店の先輩にあたる男だ。今日も彼にプレゼン出張を任命されたのだが……
陽は彼が持たせてくれた1枚のメモを取り出し、住所を確認するが、やはりこの辺で合っていた。
丸火通商株式会社。貿易会社のようだが、陽はこの会社の名前を今まで聞いたことがなかった。
(マルカって、なんかイルカみたいで可愛い)
のんきにそんなことを考えるが、楽器ケースが傷ついてしまいそうで、徐々に不安になってくる。
(いやいや。今日のプレゼンで、絶対我が社の推すトランペットをお取り寄せしてもらうんだ……!)
ポジティブさが取り柄の陽。こんなところで弱気になるわけにはいかない。陽はバシッとほっぺを叩き、己を鼓舞した。
もう10分ほど奥に進んでいくと、ようやく会社らしき建物が陽の眼前に姿を現した。
「やったー! 私、ついに辿り着けたんだ‼︎」
安堵感。それと達成感。気がつくと、声を上げて喜んでいた。陽は、まるで自分が偉業を成し遂げた勇者のようにさえ思えてきた。
さびれた看板には、かすかにだが「丸火通商株式会社」と書かれている。
陽は勇んでエントランスへ向かう。
が、一階はがらんとしていて誰も見当たらない。
(あれ? 指定時間合ってるはずなんだけどな)
勝手に上階へ行ってしまうのはいかがなものかと思ったが、この会社の人たちは忙しいのかもしれないし、こういうときは行動あるのみだ。
自分で赴くほかない。
陽は少し遠慮がちに2階の扉を開ける。いない。
3階かな? いない。
5階まで行って、ようやく中からがやがやとした声が聞こえてきた。陽は思い切って3回ノックした。
……人はたしかにいるはずなのに、誰も扉を開けようとしてくれない。
(失礼とか、今はあんまり気にしなくてもいいよね)
バァン!
ついに扉を開かせる。思ったよりも大きな音が出て、びっくりしてしまった。
陽は少々面食らう。
なぜなら部屋の中は、ビリヤード場のようになっていたからだ。
(会社に遊戯場があるってすごい! 社長がお金持ちなのかな?)
がやがや声が、今度はひそひそ声に変わる。
どうやら、陽はみんなの注目を集めてしまっているようだ。
部屋にいる男たちの中で1番リーダーらしき人がこちらに向かってくる。
意志の強そうな太眉。後ろで結われた金の髪。
(すごい。よく見ると、まつ毛がとっても長い!)
ーーお前、誰?
その場が一気に静まる。
陽は慌てて自己紹介する。そうか、盲点だった!
「申し遅れました! 私、ヒマワリ楽器店の日楽 陽と申します! 本日は御社へ楽器のプレゼンに参りました!」
男は一気に怪訝そうな顔になる。
だが今の陽には、そんなことを気にしていられる余裕などなかった。
(演説において、聴衆の沈黙はチャンス……。どこかのお偉いさんも言ってた!)
もはや念仏のよう繰り返して、ざわめく心を必死に落ち着かせようとする。
意を決して、陽はヒマワリ楽器店一推しのトランペットのプレゼンを始めた。
楽器の高らかな音色。きらめく真鍮の材質の良さ。そして何より、あのイタリア製のマウスピース。
(ああ、なんて綺麗なんだろう。学生の頃はこれをすごく欲しがっていたっけ)
ひりついた空気を掴むように。凍りついた視線を溶かすように。陽は身振り手振りで、トランペットの内から溢れる出る魅力について熱く語った。
「……以上が、御社にお取り寄せいただきたいトランペットについてです。何か質疑等ございませんか?」
名残惜しいが、このあたりでプレゼンを切り上げる。
途端、ギャハハという品のない笑い声がその場に響き渡る。
声の主は、先ほどの金髪の男だった。
「こんなへんぴな場所にのこのこ来てっ、プレゼンしてくとか‼︎ テメェ、アタマ沸いてんじゃねえの⁈」
男はまだ息をきらしている。
ひとまず、陽のプレゼンがウケたということなのだろうか。陽もつられて笑おうとする。
しかしながら、陽に向けられたのは
優しい眼差し、ではなく、機関銃。