19.アラビアの踊り子の如く
(まさかみんないなくなっちゃってたなんて……せめて早く見つかるといいな)
セイコは助っ人が来るまで、一人でバーを切り盛りしていたらしい。セイコへの尊敬とともに、陽は突然失踪してしまったという店員たちの身を案じた。
ふと時計を見やると、時刻はすでに18時55分を回っていた。セイコはあくびをしながらこちらに向き直る。
「ーーさあてと! そろそろ営業時間になるかな。いきなりで悪いけど、陽ちゃん接客やれって言ったらすぐにできる?」
カルマファミリーの陽動部隊に配属されるまでは、楽器店に勤めていた陽。
「っはい! 培ってきた経験を生かせば、なんとか形にはなりそうです」
高らかに宣言してみせるも、一拍置いてハッとする。
「あ、ただ私、バーテンダーの資格を持っていないんですけど……それでも大丈夫でしょうか?」
陽は不安に思っていたことを素直にセイコに尋ねた。
「ぶふっ……なあに陽ちゃん! 反社にソレ聞いちゃうー? てゆーか資格ったって、マトモな人でもべつに必須じゃないよ」
スナックだとでも思って気楽にやっちゃって、とセイコ。
(よおし! それなら頑張れそう。接客ならなんでもござれっ!)
たしかにそう思っていたーーこの時までは。
*
「目、目が回るー!」
陽はお盆を両手に持ちながら、業務形態があまりにも違う現実に疲弊し始めていた。
(勝手にバーってなんかもっとこう……ゆったりしたものだと思ってた!)
陽はまず、酒についての知識が皆無に等しかった。
色とりどりの酒瓶が綺麗だと感じたのは最初だけで、お客さんから外国の品種のものを頼まれても、何がなんだか分からなかった。
カウンターの奥でカクテルを作っていたセイコがちょっとこっち、と手を招く。
「アタシたちの真の目的はーー客を"酔わせて吐かせる"ことなんだから。いいね?」
それを聞いて陽は常備用の黒いポリ袋をお客さんに渡そうとするも、セイコから全力で阻止されてしまう。
優先すべきは客との"コミュニケーション"であって"接客"ではない、口をすぼめてセイコはそう言った。
「え〜と右のお酒はカクテルで、水割りのお客様にはーー」
しかし本来の陽は幼い頃から、非常に真面目な性分だった。手を抜いて仕事をするなど、そんな器用な芸当は絶対にできなかった。
「おい新入りの嬢ちゃん! コレオーダーと違うぞ!」
そうこうしているうちに、こっちもーーこっちもだと、広々とした店中に、男たちの大声が響き渡る。
陽はひたすら平謝りだ。
「申し訳ございません! ただいまーー」
「もう半分まで飲んじまったんだけどさー、こうゆーのってタダになったりしねェの? それか……嬢ちゃんがタダで相手になってくれるとか?」
体中入れ墨の入った男に、かなり強い力で腕を掴まれる。
(ああそうだった! 大事なのはコミュニケーション!)
「っ! 本当にごめんなさい。お客様にご満足いただけるかは分かりませんがーー私で良ければ、もちろん"タダ"で面白い話を提供させていただきますよ!」
男は一瞬ぽかんとしていたが、自分でハードル上げててマジ笑うんですけど、と大笑いし始めた。
「なんだろ、自衛っつーの? ンな天然ぶらなくてもいいからさあ」
ーー相手っつったらフツーはこっちだろ
陽の腰が男に引き寄せられようとした、その時。
「そーゆーの、アタシの方が上手いと思うよ、お兄さん♡」
入れ墨の男は、陽を掴んでいた手を少しだけ緩め、セイコの方を凝視する。ホントか、男が口を開く。
「マジマジ。つーかアタシお兄さんみたいな人めっちゃタイプ! アタシが相手になったげるから。その代わり……このコ新米だからさ、あんまりいじめないであげてネ」
セイコは震える陽の肩を支え、動物がじゃれ合うように頭を擦らせた後、耳元に囁く。
「……こんなこともあろうかと、ロッカーに衣装は準備してたからーー陽ちゃんは演奏で客を惹きつけてくれる?」
陽は静かに、でも重く頷いた。
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『ハイ、これに着替えて。色仕掛け用のコスチュームなの♡』
こんな幻聴が聞こえてきた。
ロッカールームでクルッと回ってみる。今、陽が着用しているのは、異国情緒溢れる煌びやかな踊り子のドレスだった。
(なんだか服に着られてるみたい、じゃない?)
セイコ救出に向かうため、あまり長い時間確認はしていられない。衣装に着替えると、陽は急いでトランペットを持ち、ロッカールームを後にした。
バーの小上がりで、深呼吸。
お客さんはどよどよとしているが、陽はあえて無視して話し出す。
「皆さま、大変長らくお待たせしました! 今宵は私に……いや。このトランペットに、どうか酔いしれてくださいませ」
アラビア音階ーーマカーム・ナワサルをもとに、曲を構築していく。
妖しく。艶やかに。そしてエキゾチックに。
ミュートを付けるだけでも、雰囲気はたちまち変貌してしまう。
陽はときどきビブラートをかけたり、速弾きをしたりして即興演奏を楽しんで魅せる。
先ほどの入れ墨の男と視線が絡み合う。集中しすぎてできているかは分からなかったが、陽は彼にウィンクした。
そうだーーここは、迷える旅人の集まる酒場だったのだ。
(そして今夜の私は、アラビアの踊り子だ)
オリジナル(という名の当てずっぽう)の演奏だったけれど、やってみれば意外となんとかなるものだ。
最後の方はお客さんも一緒になって酒樽を叩いて演奏してくれたり、何度もアンコールを求められたりーー本当に、収拾がつかなくなるくらい最高の夜だった。
惜しまれつつも演奏を終了させた後、陽は真っ先にセイコへお礼と謝罪を言いにいった。セイコは特に気にも留めていない様子だった。
「いーのいーの。酔わせてあげて、アイツにはしっかり前言撤回させたしね。でも陽ちゃん、エライよねえ。嫌なことは嫌って、ちゃんと言えるんだもん。」
実はさっき、入れ墨の男から陽へデートの誘いがあったのだが、陽はそれを丁重にお断りしたのだった。
「いやー奇想天外ってカンジだったね。それにしても陽ちゃんーーあんな流し目、どこで覚えてくるの?」
意外と罪な女よねえ、とセイコはなまめかしく微笑む。
罪な女? 私が⁇ 陽は大混乱だ。
「っていやいや! セイコさんの方が何倍も何倍も妖艶じゃないですか!」