12.太陽と月の邂逅、再び
ーー金の体に、銀色の唇。
(本当に、ためいきが出るほど綺麗)
陽はマウスピースを、日光にかざしてみる。
ある日の朝。陽はヒマワリ楽器店で、トランペットの表面を磨く作業に追われていた。
(アンブシュアの形は忘れていないし、マウスピースだけでも演奏してみちゃだめかなあ)
ちょっとだけなら、いやでも売り物だしなあ、と、陽の中で天使と悪魔がせめぎ合う。
1人でもだもだ悩んでいると、露骨に機嫌の悪そうな顔をした男が、部屋の中に入ってきた。
ーー汚島だ。
「日楽ぁ! 楽器なんかいじる暇があるなら、窓のカビでも掃除したらどうなんだ‼︎」
急に怒鳴られ、陽は「うわあ⁈」と、あやうくトランペットを落としそうになった。
何もできないまま、時間が経つ。
するとどうだろう、汚島は痺れを切らした様子で陽からトランペットを取り上げるやいなや、第2抜差管を下にして、それを椅子の上に置いてしまった。
「……先輩! 管がへこんでしまいます!」
陽は半ば悲鳴のような声を上げる。
「うっせーよ! 掃除ひとつできないとか」
汚島は陽に掴みかからんばかりの勢いで、冷酷に告げる。
「ーーっとに使えねぇな、お前」
__________________________________________
冷や汗の嫌な感触に気づき、陽は目を覚ました。
ーー見慣れたアパートのものではない、知らない家具たち。記憶は曖昧だけれど、以前この場所に来たことがある、ということだけはなんとなく分かる。
(最近、夢見が悪いな。眠りも浅い気がするし)
もう一度、あたりをよく見回す。
(私、まだ夢を見てるのかな)
そうでなければ、ベッド横の椅子に喪服の男が座っているこの状況に、説明がつかない。
「このたびは」
男がついに口を開く。
「ご愁傷様です……」
誠に残念でなりません、という表情を浮かべながら。
(えええ! 喪服って、喪服って、もしかしなくても"そういう"こと⁈)
「私、死んだの⁈」
陽は目の前にいる男の肩を揺らす。
(あ、アレ⁈ 触れる!)
少し落ち着きを取り戻すと、自分がちゃんと呼吸をしていることも確認できた。
陽はじとーっとした目つきになる。
男はそんな陽の顔を見て、喉を鳴らして笑った。
「……っくく、貴女があんまり真剣な表情するものだから、ついっ」
息も絶え絶えに、すみません、とさして悪びれもしない様子で謝罪される。
(こんな知り合い、いなかったと思うんだけど……なあんか見覚えがある)
喪服で、サラサラのミディアムヘアを七三分けにしていて、目元のなきぼくろが上品なーー
もしかして。
「れ、レオさま⁈」
(絶対そう! 毎朝電車で見かけてた人ーっ!)
「自己紹介が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。僕の名前は聖田 朧と言います」
聖田は気を取り直し、目じりを拭いて名乗った。
「……っは! 私は日楽 陽と申します!」
(うわああ一文字もかすってなかった!)
陽は恥ずかしさで胸がいっぱいになり、頬を赤く染める。
「ーーやっぱりまだ、熱があるんじゃないですかねえ」
聖田は陽のおでこに手を当てる。
驚いてしまい、陽はエビのように後退りした。
「あのう、そういえばレーー聖田さんは、どうしてさっきから私の寝室に?」
聖田は左上を見て答える。
「陽さんが高熱で倒れていたところを、僕がここまで運んできたんですよ」
「え、ええ⁈ そうだったんですか⁈ ご足労をおかけしてごめんなさい!」
ーーだからこんなに、頭がふらふらするんだ。
(それにしたって私、命の恩人になんてことをーー!)
疑心暗鬼になっていたのもあり、聖田にあらぬ疑いをかけてしまうところだった。
「ところで陽さん、食欲はありますか?」
ぐーきゅるると、お腹が盛大に返事をする。
ーーもう、何も言うまい。
陽は色々諦める。
丸一日くらい、食事をとっていなかったような感覚に陥る。
「ではそのまま、口を開けていてくださいね」
どこに用意していたのか、はい、あーんと、おかゆのようなものが口に運ばれてきた。
「……んんっ⁈ お、美味しい! これ、リゾットですか?」
特にきのこがよく煮付けられていた。
「ええ。喜んでいただけたようで何よりです。」
腕によりをかけて作りましたので、と付け加えられる。本当に、計り知れない。
「ーーって! 大丈夫です! 自分で食べられるくらいには回復していますから‼︎」
「いえいえ、これがなかなか。雛鳥に餌付けしているみたいで楽しいですよ」
聖田はにこにこと笑いながら、"餌付け"を止める気配がない。
陽は聖田の圧に若干押されつつ、黙って世話されることを決意した。
(どういう状況なんだろう……)
「元気になったら、またトランペットを吹けるようになりますからね。もう少しの辛抱ですよ」
「⁈ なんでそれをーー」
ああ、と聖田は陽の右手を一瞥する。
「右手の小指が、少しだけ曲がっていましたから。」
たしかにトランペットを演奏する際は、フィンガーフックと呼ばれる場所に小指を掛けているが、それだけでトランペット吹きと分かってしまうなんて。
凄すぎる、と陽は思った。
あとは、と聖田。
「勘です。」
(勘かあーーー!)
リゾットを食べ終わると、陽はずっと気になっていたことを聖田に尋ねてみることにした。
「聖田さんは一体どうして、ここにーーカルマファミリーにいるんですか?」
聖田が意味ありげに陽を見つめる。
「僕、元々はここのかかりつけ医だったんですよ」
「ところが先日、勤め先に勘当されてしまい……縁あってカルマファミリーの一員になった、というわけです」
陽はなんだか感慨深くなってしまう。
「そうかあ……それなら私たち、"騙されちゃった同盟"ですね」
「実は私も、同じ会社だった先輩の借金を返さなきゃならなくて、ここにいるんです」
陽は困ったように笑った。
聖田は一度目を見開いたかと思うと、陽と一緒になって笑ってくれた。
「それは災難でしたね。ーーせっかくです、"騙されちゃった"どうし、仲良く頑張りましょう」
聖田と陽は、子供の約束のように指切りをする。
陽の中にはすでに、変な仲間意識が芽生え始めていた。
あとがき
息をするように嘘をつく、聖田さん。
※カルマのかかりつけ医というのはもちろん嘘です