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幸狂曲第5番〈Girasole〉  作者: 目玉木 明助
第1楽章 カルマファミリー編
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8.初仕事・陽動のヨウ②


ーーひとまず、お守り代わりのトランペットを、邪魔にならないであろう足もとに置いた。


 汗のにじむ手で、例の折り畳みホワイトボードを開いていく。



……ひととおりの準備はできた。


はるはゆっくりと深呼吸する。


「ご、ご来店中のみなさま! よってらっしゃい、みてらっしゃい!」


 はるに向けられる、奇異の眼差し。


なんだなんだと寄ってくる人。

素知らぬ顔をして素通りしていく人。


(うぐぐ……! 頑張れ私!)

はるは自らにエールを送った。


「新製品をご紹介するため、カル……丸火マルカ通商株式会社つうしょうかぶしきがいしゃからやってまいりました。

よ……コホン、広報担当の、日楽あきら はると申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」


 はるのプレゼンを聴きにきてくれたお客さんたちが、


ーーマルカ通商って知ってる?

ーー知らなあい。そんな会社、聞いたこともないわ。


 と、こそこそ話し合っているのが聞こえてくる。

 

 はるの唇から徐々に水分が失われていくのが、嫌でも感じられる。


「……っ、弊社へいしゃの新製品というのが、こちらの、本国製のナイフになります」

 もちろん実物なんて用意していないので、はるはホワイトボードの"片面"に、マーカーでイラストを描くことにした。


ーー海を越え遠路はるばるやってきた、美しい銀の調理器具を思い浮かべて。


(ここまでは、直前にボスたちと打ち合わせをした通りだ)


「なんとこのナイフ、切れ味もすごいんです! お肉にお魚。ケーキまで、なんでもすぱすぱーっと、ストレスなく切れてしまいます!」


 TVショッピングのように、はるはちょっと大げさに、お客さんたちの前で手刀を切ってみせた。


 周囲が、ざわざわとし始める。

どうやら、順調に人が集まってきているようだ。



 そんな中。



 背筋をぴしりと伸ばし、前の方ではるのプレゼンを聴いていた主婦の一人が、はい、と手を挙げた。


「あの、色々とすごいのは分かったのだけれど。肝心のナイフが見当たらないみたいね」


その主婦は、ふんっと鼻息を鳴らして一気にまくしたてた。

 

 彼女の発言を皮切りに、はるのもとへ一斉に主婦が押しかけてくる。


ーーねえねえお姉さん、一体どんなナイフなの?

ーー何の材質でできてるの?

ーー実演販売して切れ味見せてよー


 はるは主婦たちに問い詰められ、律儀にも一人ひとりに返答する。

 ふいに、足もとに置いたトランペットを見やる。


「きらきらのナイフです」

真鍮しんちゅうで、できておりますっ!」

「きっと良い音が出るでしょう」


 はるは非常に分かりやすく、しどろもどろになっていた。

(聖徳太子ってすごい……!)

今さらながらそう思う。

(それにしても、みんな遅いなあ。もうそろそろ来てもいい頃だと思うんだけど)


場はすでに、暖かすぎるくらいに暖まっていた。




 空気を読まず、はるの"らくらく薄型トランシーバー"が振動する。

 差出人は、影助えいすけだった。


『おいヨウ、作戦の進捗状況はどうなってるーーなんかそっちからギャーギャー聞こえんだけど。

 まあいいワ、密売人バイニンっぽいヤツ見つけたし、今からオレらァ物流倉庫でり合うから、一般人パンピどもテキトーにけさせとけよ、じゃーー』


影助えいすけさん、ちょっと待っ……!」


ブツン、ツーツー。

 

 と、虚しくも通信は切れてしまった。


(物流倉庫って、外、だよね。一階の……)

 ハッとなる。

はるたちが今いるのは、ちょうど一階だ。

 抗争なら、ほぼ100パーセントの確率で、銃などの飛び道具が使われるのだろう。

 万が一、ということもある。もしも銃弾が、この中にいる誰かに被弾したらーー

 はるはそう想像しただけでもぞっとした。


(とにかくみんなを守らなきゃ。プレゼンはもうみんな聴いていないし、どうすればーー)


 はるは考えて考えて、考える。


その時だった。

「ちょっと、みんなどいたどいた。店長さん、連れてきたわよ」

 先ほど手を挙げた主婦が、デパートのオーナーを呼び出してきたようだった。


「ほら店長さん、あの人ですぅ」


 すみません、失礼ですがーーとはるはその男性に声をかけられる。


「身分証などお持ちでしょうか。加えて、他企業の移動販売の方は入館許可証も必要になりますので……」


 今のはるを表すなら、まさしく背水の陣。


ーー私は何も聞かされていなかったんです。   

違う。


ーー今から外で、マフィアの抗争が始まるんです。

これも違う。


 堂々巡りをしていた途端、はるは気付く。


(私、嘘を吐きたくないんだ)


 さっきのプレゼンのときも、そうだった。普段のはるならもう少し、はきはきスムーズに発表を進められていたはずだ。

 

それができなかったということは。


(私は多分、上手に誤魔化したり、嘘を吐いたりすることができない)


だが、気付いたからと言って、無力のはるに何ができるというのだろうか。


 みんなに、にじりにじりと詰め寄られ、はるのかかとはがつん、と楽器ケースに当たる。


 もしかしてこのコならーーとはるは一瞬思う。

だって音楽は、嘘を吐かない。それに、みんなを避難させられるかもしれない。

ぶるぶると、ただの幻想にすぎない結末を打ち消すように首を振る。


(それに、長年のブランクもあるし)


 けれど今、人の命に関わるこの状況で、そんなことを気にする余裕など、あるのだろうか。

はるは数秒、自分の気持ちと闘う。


(いや。そんなこと、気にしてられるか!)


 はるは決心して、楽器ケースを開け、トランペットにマウスピースをはめ込む。

 楽器店でメンテナンスはしていたので、オイルはちゃんと注してある。

乾いた唇を、ぺろりとなめた。


周りは当然のように、ぽかんとしている。

ーーチャンス。


(チューニングすら、してないけど)


はるはまず、ドレミファソラシドを上から下、下から上へと繰り返す。

 high.♭ハイベーまでいって、かすかに音が掠ってしまった。でも。


(思ったよりは吹けるものなんだなあ)

現役時代の思いが、逡巡しゅんじゅんしてくる。


はるはエスカレーターを目指して走る。


「今からマーチングパレードをやります! 聴きたい方は私に着いてきてください!」


「! ちょっと君! 待ちなさい‼︎」

 背後から聞こえる、オーナーの声。


 みんながはるに続き、エスカレーターめがけて駆け出す。調理器具コーナー以外のお客さんたちも、私も俺もと着いてくる。


ーーあー! はいはい! サッカーの。

ーーW杯ワールドカップのイタリア代表も、ちょーイケてたわよねぇ


(良かった。みんななんだかんだ言って、ちゃんと着いてきてるみたい)


高らかで優雅な、トランペットの音色。

お送りしますは、歌劇「アイーダ」より、凱旋行進曲。


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