第3話 キュウリ、襲来
迂闊な発言をしてしまった……。
ウィリアムは後悔したが既に後の祭り。
野次馬は盛り上がってヒートアップしてしまっているし緒仁原トウガは不敵な笑みを浮かべてこちらを挑発している。
「実はな、兄さんの事は一目見た時から気になってたんだよ。あんたかなりできるんだろ? 俺にはわかるぜ」
トウガの言葉にウィリアムが内心で嘆息する。
そもそも目を付けられていたらしい。先ほどの小声を拾われたのも注意を向けられていたからか。
そしてウィリアムの実力を一目である程度見抜いている所もこの男が非凡な武術家である事の証左であった。
……もうこうなれば仕方がない。
下手に舌先で逃げを打てば後々まで面倒が付き纏いそうな気がする。
この男の望み通りに相手をしてやる事がこの場の最善の対処かもしれないと思ってウィリアムは覚悟を決める。
「わかった。じゃあお言葉に甘えるとしようか」
「へへっ、そうこなくっちゃあな」
ニヤリと笑ってトウガは構えを取った。
先ほどのパルテリースの時よりも更に腰を落とした体勢だ。
タックルに入る構えのようにも見える。
ウィリアムもそのトウガの前で両腕を折り畳んで拳を構える。
「……………………」
ウィリアムは思案する。
全力でいけばこの男の鉄壁の防御を打ち破ってダメージを与えることができるかもしれない。
しかしそれでは大怪我をさせてしまうだろう。それは望むところではない。
手を抜いて勝ちを譲るのもダメだ。
観衆はごまかせてもトウガ本人の目はごまかせそうにない。この男は八百長を見抜くはずだ。
そうなれば話が更にややこしくなるだろう。
それに何よりも大道芸とはいえ真剣勝負だ。お茶を濁すのは失礼だ。
ならば方法は一つ。
力でやれないのなら技術で勝つ。
周囲が水を打ったように静まり返る。
誰かの呼吸の音すら聞こえそうな沈黙。
瞬間───。
ウィリアムが動いた。
お手本のような綺麗なストレートが緒仁原トウガの腹に飲み込まれる。
そして再びの静寂。
その後にこれまで通り打った側が手を押さえて悶え苦しむことになるのだろうと誰もが予想した。
しかし……。
「……が……はッ……!」
トウガはぐにゃりと身体をくの字に曲げ、ウィリアムにもたれかかるように倒れこんできた。
それをウィリアムが抱き留める。
黒髪の巨漢は完全に昏倒していた。
────────────────
「がはははは! じゃんじゃん食ってくれよ!!」
豪快に笑うトウガ。
テーブルに並ぶ大量の料理。
そしてひたすらにそれを口内に消していくエルフ娘。
ここは港の見えるログハウスのレストラン。
ウィリアムたちは港の勝負の一件の後で昏倒したトウガを抱えてここに移動してきた。
宿泊用のコテージが隣接しているのでそこにトウガを放り込んでようやくレストランで一息付いていたのだが……。
「何だよこっちにいたのか! 水臭えな声掛けてくれよ!!」
早々に復活したトウガがやってきたというわけだ。
勝ちの報酬だと言う銀貨の山を丁重に断る。大体がそんなバケツ一杯のコインを持たされても扱いに困る。会計にも時間がかかるし……。
そう言うとトウガはじゃあここの支払いを自分が持つと言い出した。
「おいっしい! おいしいね! これを作ったシェフを呼べー!!」
「あちらで疲労で座り込んでおります……」
青い顔を引き攣らせたウェイターがパルテリースの言葉に答える。
実際テーブルに着いているのは3人なのに大宴会でもしているような料理の量だ。
混む時間帯は外れているとは言え調理はキツいだろう。
「姐さんよく食うな。どこに入るんだそんなに?」
トウガも不思議そうに見ている。
「いや~それにしても兄貴は強えな! 俺は16の時に武者修行の為に国を出て6年間あちこち旅してきたが、あんな鮮やかにやられたのは初めてだぜ!」
という事は緒仁原トウガは22歳くらいなのか。
若いなあ、とウィリアムは思った。
トウガを昏倒させたウィリアムの打撃。
あれは一言で言ってしまえばフェイントである。
数多の挑戦者の拳を弾き返してきたトウガの鋼の筋肉。
だがあれにはカラクリがある。ウィリアムは見抜いていたが。
あれは筋肉の頑健さだけでなく、もう1つのトウガの優れた素養「反射神経」との複合技だ。
着撃の瞬間に筋肉に力を込めて硬化させる。それでどんな剛拳も弾いてきたのだ。
だからウィリアムは視線やモーションでフェイントを仕掛けてトウガの認識よりほんの僅かに着撃の瞬間をずらしたのだ。
1秒にも満たないほんの僅かなズレ。
だがそれは達人同士の立会いでは致命の一瞬である。
結果としてトウガは力みが抜けたもっとも無防備な瞬間にウィリアムの打撃を受けた。
勿論優秀な武術家であるトウガは自身の敗因を理解している事だろう。
「とにかくよお。俺は決めたぜ。兄貴……アンタに付いていく。弟子や舎弟だと思ってコキ使ってくれ!」
「いやいや……」
ふるふると首を横に振るウィリアム。
こんなでっかいのを養っていく余裕は……まああるっちゃあるのだが、視界が狭くなるので邪魔くさい。
「あっはっは! 面白いね、トーガ! 先生連れてってあげようよ」
「また君はそうやって軽々しく……。事務所に君が連れてきたヘンなペットが何匹いると思ってるんだ」
無責任に喜んでいるパルテリースに、なんともやるせない顔でウィリアムが食後のコーヒーを口へ運んだ。
連れてくるのはパルテリースなのに怒られるのは何故かいつもウィリアムの方だ。
吊り上げた目を三角にしている敏腕美少女秘書の顔が脳裏をよぎる。
「頼むぜ兄貴! 俺は役に立つ男だぜ。兄貴に付きまとってくる妙な連中は全員俺が片付けてやるよ」
今がまさにその妙なのに付きまとわれている瞬間なんだが……と言いたいウィリアムだ。
ここまでのやり取りだけでも大体わかる。
彼は少々クセはあるものの好人物だ。
……しかしそれだけに冷たく突き放し難い。
なんとか穏便に彼にお引取り願う方法はないものか……とウィリアムが頭を悩ませていると。
「……? 何だ?」
表が俄かに騒がしくなる。
盛り上がっている、というのでもなさそうだ。悲鳴のようなものも聞こえた。
気になって何事かとレストランの表に出てみた。
人々がざわついているのは店のすぐ目の前の道路だ。
だがそこの光景を見た時、ウィリアムたちは思わず言葉を失う事になる。
(な、なんだあれは……?)
見れば何らかのトラブルらしい。
人通りの多いメインストリートの真ん中で1人の男が地面に尻餅を突いている。
気の弱そうな華奢な青年だ。
そしてへたり込む青年を見下ろしているのはまた……何と言うかいかにもな男だった。
ガタイのいい強面の男だ。
胸元の大きく開いたシャツに金のチェーンのネックレスをしている。
髪型はテカテカにワックスで塗り固めたリーゼント。
「伊東~。オレに随分とでけぇ口を叩けるようになったじゃねえかよ」
「……くっ、セルゲイ!」
凄むセルゲイと呼ばれたリーゼント男の前で伊東と呼ばれた青年はよろよろと立ち上がった。
しかしそんな2人のやり取りもウィリアムたちは見ていない。
全員そのセルゲイが後ろに引き連れている何者かに視線が釘付けになっている。
「何アレ? キュウリ?」
パルテリースが不思議そうに言う。
誰もその言葉を否定しなかった。
実際にそれはそうとしか見えない何かであった。
『人型の巨大キュウリ』
それを説明しろと言われれば多くの人はそう答えるだろう。
人間大の巨大なキュウリだ。
濃い緑色のボディに浮かぶブツブツ。
頭部(?)にあたる部分に黒い点を打った白いボールを2つくっつけたような目らしきものがある。
そこ以外は完全にただの大きなキュウリだ。
枝分かれするように手足に当たるパーツを形成し「大」の字のような形状になっている。
それをセルゲイは3体自分の後ろに従者のように引き連れているのである。
「そいつらを街へ連れてくるなと言っただろ!」
「何だとテメエ! オレの可愛いキュウリにケチ付けんのかあ!?」
やはりキュウリらしい。
伊東の言葉にセルゲイが激昂している。
「農家の人かな?」
「チンピラには見えるがキンピラの材料作ってそうには見えねえな」
パルテリースの言葉に上手いんだかそうでないんだかよくわからない返しをするトウガ。
セルゲイが乱暴に伊東の襟首を掴んだ。
「……本格的に痛え目見ねえとわかんねえみたいだなあ」
これはまずいな、と前に出ようとするウィリアムの肩をトウガが掴む。
「おっと、兄貴が行くような相手じゃねえよ」
ニッと歯を見せて笑うとずかずかと巨漢が出て行った。
「オイ待ちなあ! 天下の往来でごちゃごちゃやってんじゃねえぜ!!」
「うおっ!? 何だてめえはよ!!?」
突然割って出てきた大男に思わずセルゲイも頬を引き攣らせた。
「なぁに通りすがりのお節介よ。ついでに言えばキュウリは大好物だぜ」
ボキボキと指を鳴らしながら不敵に笑うトウガ。
こうなるととにかくこの男は迫力がある。
野次馬も無責任にやれやれと囃し立て始めた。
「……クソッタレが! てめえ覚えてやがれよ!!」
空気が完全にアウェーになったのを感じ取ったか、セルゲイがこれまたいかにもな捨て台詞を残して背を向けた。
キュウリたちはキュッキュッと鳴き声(?)を上げながらリーゼントの男に付き従い退場していく。
「何だつまんねえな」
気持ち肩を落とし気味に戻ってくるトウガ。
そこに先ほどの伊東と呼ばれた青年が声を掛けてきた。
「あ、あの……危ない所をありがとうございます!」
「なんもしてねえよ。あっちが勝手に帰っただけだ」
気にすんな、と手をひらひらと振るトウガ。
名刺を差し出してくるのでウィリアムがそれを受け取る。
そこには……。
「パリリンカ総督府環境課のH・C・伊東と申します」
……容姿に反してえらくアグレッシブな名前が記されていた。