第21話 死の魔人
再び目を覚ました時、ウィリアムの視界には見覚えのない部屋の天井が広がっていた。
彼の知らない事だが、そこはガイアードの医務室である。
常駐の医師は既に退去してしまって無人のであるが……。
体を起こそうとして激痛に呻くウィリアム。
「ああ、先生!? まだ起きてはならぬ!」
エルザがすぐに駆け寄ってきた。
見れば自分のあちこちに包帯が巻かれている。
応急手当とはいえ中々しっかりとした処置だ。
「やらないよりはましでしょう。どのみち魔人の貴方は死んでいないのならどうにかなります」
驚いてそちらを見るとカルラがいる。
彼女も肩をはだけてそこから包帯を覗かせている。
薄ぼんやりとだが自分が付けた傷だという記憶があるウィリアム。
どう反応してよいのかわからず彼が無言でカルラを見ていると……。
「なんですか、もう戦いは終わりました。警戒する必要はありません」
メイドは相変わらずの調子だった。
どうやらほぼ無意識の執念の一撃で手傷を負わせることはできたようだが何故彼女が矛を収める気になったのか皆目見当も付かないウィリアムは困惑しきりである。
「先生……すまなかった。我の為に……我の為に……こんな……」
エルザがウィリアムに抱き着いて涙をこぼす。
正確にはエルザの為というか彼女がウィリアムを呼び寄せるエサとして標的にされたのであり、原因はウィリアム側なのだが。
(いたいいたいたいいたいいたいいたいたいたいたい)
抱き着かれて激痛で無言で悶えている彼はそれどころではなかった。
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半壊した研究所。
ウィリアムの一撃により寸断された三分の一程が崩落し瓦礫の山となっている。
突き出た鉄骨や壁や床の残骸が積み重なる山に命の気配はない。
誰もいない。
……その筈の空間。
突如その瓦礫の一部が漆黒に染まった。
墨で塗りつぶしたように、光すら反射しない真の黒色に染まって瓦礫が細かく崩れていく。
鉄骨も石材もその他も全てが等しい脆さであるようにあっさりと。
そして……その下から誰かがゆっくりと立ち上がる。
「……ようやく追いつけたと思っていたのに……」
血だらけでボロボロになった白衣を着たその女性はレンズにヒビが入って弦が曲がってしまった眼鏡を手でぐいぐい曲げて直すと再び掛ける。
「人生って本当に思うようにいかないわね……」
そう呟いて柳生キリコは、はあ、とため息を1つ吐いた。
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『その瞬間』にウィリアムとカルラの2人は同時に肩を震わせていた。
間近に落雷があったようなショックを受けて2人が全身を強張らせる。
(今の魔力波動は覚醒の……! 誰かが魔人になった!)
無言で飛び出していくメイド。
ウィリアムも痛みに耐えて上体を無理やりに起こす。
彼はカルラと違って覚醒波動を識別できたわけではないが、それでも何か外でとてつもない事が起きたのは感じ取れた。
「先生! ダメだ!」
「……いや……! 行かなければ……!!」
自らを抱き留めるエルザに、その手を掴んでウィリアムが掠れた声で叫んだ。
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エルザに肩を借りたウィリアムが表に出ると崩落した研究所を背景に対峙する2人のシルエットがあった。
カルラと……そして先ほど研究所の崩落に巻き込まれて命を落としたはずのキリコ。
「キリコ……魔人になったのですね」
「ふぅん……そうかなとは思っていたけれど、これはやっぱりそういう事なのね」
キリコは興味深そうに自分の両手の掌を見ている。
彼女は先程までと外見には何の変化もない。
「なりたいなんて思ったことは1度もないのだけど……皮肉ね」
キリコが苦笑する。
そして白衣の女は足元の瓦礫……恐らく床か壁の破片のようなものを1つ拾い上げた。
「こういうのも、魔人の力?」
彼女の手の中で瓦礫が黒く染まり崩れ去った。
メイドが首を横に振る。
……辛そうな表情で。
「違います。それは貴女の固有の能力。キリコ……貴女は触ったものを死なせる力を発現させたのですね」
カルラはため息だったのか、それとも決意の吐息だったのか……大きく息をはあっと吐き出した。
「離れてください、ウィリアム」
「何?」
眉を顰めるウィリアムを振り返るカルラ。
その表情には彼女がこれまで見せてこなかった微かな焦りが伺える。
「今から彼女を……柳生キリコを殺します。邪魔だから離れていてください」
「!? 待て……いくら魔人になったからと言っていきなり命を奪うなんて……」
焦るウィリアムにカルラの表情が険しくなる。
「違います……事はもうそんな簡単な話ではありません。彼女の潜在能力がわからないのですか? 少なく見積もっても私と同等です。そして滅びを与えるあの力……彼女が成長して十全に能力を操れば私でも対処できなくなる可能性があります」
それに……とカルラが奥歯を噛む。
「元々彼女は内側に大きな『闇』を抱えて生きていました。今までは何とか己の本性と折り合いを付けて社会生活を営んでいたようですが魔人となり大きな力を手にした今、どう転ぶか予測できません」
目の前で自分を殺すという話をされているのに当のキリコはただ穏やかに微笑むだけだ。
「やっぱりあなたは私のことをちゃんと理解してくれていたのね。嬉しいわ、カルラ」
「キリコ……」
ヒビの入ったレンズの奥の瞳が真紅に輝く。
「だけどそんなあなたでも、今自分の足の下で起きているこれには気付かなかった?」
「……!!!」
『触れるものに死を与える力』自らが立つ地面も触れているのと同義。
少しずつ地下に力を満たして……。
ぐらっと地面が大きく波打つ。
その瞬間迷わずカルラはウィリアムたちの方に走り出し2人を抱えて地を蹴った。
柳生キリコは白衣のポケットから短い棒の付いた丸い飴を1つ取り出すと包みを解いて口に入れる。
「……『ほろびのけもの』」
大地を突き破り巨大な黒い咢が持ち上がった。
まるで山脈が隆起したかのように目の前すべてを黒い影が覆っていく。
エリア全体を一飲みにするような大きな黒い口が建ち並んだ工場を嚙み砕く。
崩れ落ちていく建物……だがそれらは地に落ちるより早く黒く染まって風に溶けて消えていく。
「なんてことだ……」
その光景を目にしたウィリアムは呟いていた。
あれほど巨大な工場群が瓦礫すら残らない。
そこに誰かがいたのだと、何かがあったのだという……痕跡すら何も残らない。
究極の寂寥感とも言うべき乾いた寒さが彼の胸を満たす。
そして全てが収まった時、そこにはただでこぼことした荒れ地が残るのみだった。
柳生キリコは……。
その姿は消え失せ、どこにも確認できなかった。




